19.騒動の気配
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「え……」
思いもよらない言葉に、アマーリエは息を飲んだ。
フルードは幼少時に実の両親から熾烈な虐待を受け、ある貴族に買われてからはさらに手酷く痛め付けられていたらしい。それはもう、虐待を超えた拷問の域だったという。少し前、雑談している途中で昔の話になった時、本人からちらりと聞いた話だ。
もう20年以上が経っているのに、あの頃のトラウマが消えないと言っていた。今も時折、かつての痛みが蘇ることがあるそうだ。
「フルードが狼神様に見初められたのを機に、その所業が露見し、現在は投獄されて独房にいる。本来は厳罰では済まないが、少しばかり事情が特殊でね」
そこで言葉を切ったラミルファの続きを、フレイムが引き取る。
「シャルディ家の遠い先祖に聖威師がいたんだ。もちろんとっくに昇天して神になってるけどな。んで捕縛されたアイツは、自分の霊威でその先祖と交信して、末裔である自分を助けてくれと泣き付いた」
見苦しい抵抗に、怒りと呆れが込み上がる。困ったら強者の袖に縋るのかと。ガルーンよりずっと小さく幼いフルードは、きっと誰にも助けを求められなかったのに。
「先祖の方も、ほぼ見限ってはいるんだが、子孫だってことで最後の情が捨て切れなくて、狼神様に減刑と寛大な措置を嘆願した。先祖の主神も、愛し子がそうするならって同調した。結果、通常より大幅に罰が軽減された。神は同胞に甘いからな。嘆願されたら無視できねえんだよ」
現在のガルーンは、肉体労働や調教神による更生などもなく、質素とはいえ衣食住が保証された独房で無駄飯を食い潰しているという。
(そんなの理不尽だわ。祖先の七光りで逃げようとするなんて)
「この調子だと、霊威師として昇天した後も甘い処遇になるんじゃねえかな」
「……皆様はそれで納得しているのですか?」
憤然として聞くと、神々と聖威師が一斉に首を横に振った。
「んなわけねえだろ。あのクソ貴族はいつか必ず地獄に堕とす。……そもそも、怒らせると天界一怖いと言われる狼神様が、いくら同胞の嘆願でも温い処分で済ませすぎってことから疑問なんだが」
腑に落ちないと呟くフレイムが黙り込むと、入れ替わりにフロースが口を開いた。
「減刑されたとはいえ、ガルーンを見初める神なんて考えられない。そんなことをしたら狼神様を真っ向から敵に回す」
(というかそのガルーンって人、20年ほども独房にいたのに、いつ神の目に留まったのかしら)
愛し子は、神の琴線に触れさえすれば老若男女の誰でも選ばれるチャンスがある。神官ではない一般人でもだ。まさしく神の御心のままに、の世界である。だが、収監中であれば肝心の機会を得られない。独房の中をわざわざ視る神などいるのだろうか。
「クソ貴族の様子を視てみるか」
呟いたフレイムが、すぐに眉を顰める。顔付きが一気に険しくなった。
「……ダメだ、視ようとしても弾かれる。今は神威を抑えてるから、妨害を強引に突破することもできねえな」
「だろうな。僕も試したが同じだった」
「こうなったら直接独房に乗り込んで確認するか。認証はいつやるんだ?」
「一日両日中にライナスがするそうだ。立ち会う神はあの子の主神に頼むから、僕たちはフルードとアマーリエの側にいてやってくれと言われたよ」
「そうか……なら確認は任せるが」
フレイムが難しい眼差しで頷くと、ラミルファは淡く微笑んだ。灰緑色の双眸が、気遣いの色を宿してアマーリエを見た。
「これで必要な連絡はした。僕はもう戻る。だが、最後に一つ聞きたい。ここに来た時、皆の気が乱れていた。一番動揺していたのは君だ、アマーリエ。こちらにも何か起こったのだろう?」
静かな問いかけに答えたのはフロースだ。
「私が言ってしまっても良いかな。簡単に言えば、アマーリエを虐めていたテスオラの神官オーブリーが、聖威師になったらしい。ママさんの所に連絡が来た。だけど、私たちは皆アマーリエの味方をして、オーブリーに対する思いやりは湧かない」
「……は?」
ラミルファの端整な容貌に驚きが走った。オーブリー、と口の中で呟く。次いで、いつもは愉快そうな嗤笑を浮かべている双眸に優しさを滲ませ、そっとアマーリエの両手を取った。気のせいか、一瞬眉を顰め、硬い顔になったように見えた。
「…………何とまあ、君の方もフルードと同じような状況になったのか。さぞ不安だろう。だが心配は不要だ、この僕が力になる。覚えておくが良い、僕は君の味方だよ」
「は、はい……ありがとうございます」
アマーリエは目を点にしながら会釈した。この邪神は、身内に対しては本当に親切らしい。彼と初めて会った時の態度とは雲泥の差だ。これが神の同胞になるということなのか。
「しかし、全ての件がタイミングを合わせたように同時に起こったな。これは間違いなく何かありそうだが……まぁ、認証してみないことには何とも言えないか」
ラミルファは意識を切り替えるように呟くと、フレイムとフロースに視線を向ける。
「何かあったら念話してくれ。フレイム、アマーリエのことを頼む」
「当たり前だろ。……俺はユフィーと一緒にいるから、セインの側にはいてやれねえ。神威を抑制してる状態じゃ分身ができねえからな。なるべく遠視とかで様子を見守るようにはするが……」
押し出すような言葉に、邪神はふっと口角を上げた。
「君はそれで良い。心配するな、少しでも有事が起こったら必ず連絡する。――セインは僕たちに任せておけ」
「頼んだぞ」
「ああ。アマーリエ、何かあれば遠慮なく念話するのだよ。アシュトンと佳良、恵奈も」
柔らかく言い、ラミルファはスゥと大気に溶け消えるように姿を消した。
部屋の中に沈黙が落ちた。青ざめているアシュトンを、佳良と恵奈が励ましている。フレイムは険しい顔で宙を睨んでいた。
(一体、何が起きているの。フルード様は大丈夫かしら。私と同じように不安になられているかも)
ラミルファがフルードの側を離れようとしないところを見ると、泰然自若の体ではなさそうだ。
(ラミルファ様の様子からして、今押しかけたり念話したら迷惑よね。けれど、明日は会えないし)
フルードに会いたいと思った。幼少期から虐げられていた人。アマーリエと似た境遇にあり、同じ痛みを分け合える存在。
だが生憎、明日は別行動の日だ。フルードは地方の分府に行く予定が入っており、アマーリエは別の聖威師に付くことになっていた。
(かと言って、明後日にはもう認証の日になってしまうわ)
ふと背筋に悪寒が走り、小さく身震いする。何か大きな騒動が迫っているような、そんな予感だった。
「ユフィー」
目敏く察知したフレイムが、腕の中に抱え込んでくれた。夜勤以外の夜は毎晩感じている体温に、安堵で力が抜ける。
「お前は俺が絶対に守る。いざとなれば真の神格を出してでもだ。だから安心しろ。オーブリーとかいうバカ貴族のことは何も心配すんな」
「……うん……」
そっと背を撫ででくれる手を感じながら、アマーリエは小さく頷いた。
ありがとうございました。