5.流行のおまじない
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その瞬間、ソファでごろ寝していたラミルファが一瞬で扉の前に転移し、礼儀正しく出迎える。
「どちら様でしょうか。聖威師方へのご用でしたら、私がお伺いいたします」
向こう側に立っていたのは、まだ若い神官だった。書類の束を持ち、軽く息を上げて汗をかいている。
「夜勤終了後に申し訳ありません。急遽追加で資料が出てしまいまして、確認をお願いしたく」
昨日の夕刻に提出した書類の追加資料であるため、書類を確認したと思われる昨晩の夜勤担当の聖威師に見てもらった方がスムーズだと思い、持って来たのだという。
「都立公園にある噴水型霊具の改修の件です」
「それなら私が確認したものだわ。追加資料があるなら今見ます」
アマーリエの返事と共に、ラミルファがスッと横にズレた。
「お入り下さい」
「ありがとう」
ホッとした顔で微笑み、神官が入室した。渡された資料に素早く目を通し、軽く頷く。
(……うん、規定通りだし問題ないわ)
「内容を確認しました。これで良いでしょう」
確認済みの署名をしようとするが、今いる卓は食事用なので、テーブルクロスがかかっている。書き物をするには向いていない。と、いつに間にか横に控えていたラミルファが、流れるような動作でバインダーとペンを渡してくれた。アマーリエは資料をバインダーに置き、サラサラとサインをする。
「助かりました。時間外にお手間を取らせてしまい、大変申し訳ありませんでした」
頭を下げた神官は、フルードにも深くお辞儀した。フルードが笑顔で応じる。
「神官ノクディル・アリントン。いつも丁寧な仕事をありがとう。引き続き励んで下さい」
「はい!」
大神官から言葉をかけられたからか、名前を覚えられていたからか、頰を紅潮させた神官が上ずった声で返し、踵を返す。
「どうぞ」
その動きを読み、先にドアに向かっていたラミルファが、そつのない動きで扉を開ける。
「ええと、失礼ですがあなたは……」
「大神官にご支援いただいている孤児院の者です。神の愛し子のお慈悲を賜り、先日より行儀見習いとして参りました。聖威師方のお側で作法等を学ばせていただいております」
「そうでしたか」
流れるように嘘八百の経歴を答えた邪神に、神官は納得した顔では頷いた。孤児だと聞かされても、侮る気配はない。美しい身のこなしと気品から、何か理由ありの――高貴な方のご落胤だと踏んだのか、あるいは彼自身の元々の性格なのか。
最後に軽く礼をし、神官は去っていった。扉が静かに閉まると、フルードとアマーリエは立ち上がって邪神に頭を下げる。
「ありがとうございます、邪神様」
「ラミルファ様、ありがとうございました」
「僕は優秀だから、きちんと従者役をこなしてあげるのだよ」
ふふんと笑ったラミルファが、手をヒラヒラ振って座るよう促した。バインダーとペンを消し、毛布がきっちりたたまれているソファに近付く。先ほど起き上がった時にたたんだのだろう。
(ラミルファ様って意外と気配りしてくれるし、面倒見も良いわよね。昨夜だって、聖威の使い方を教えてくれたもの)
しかも説明が分かりやすかった。同じく教え上手なフレイムが、渋面を作りながらも何も言わなかったので、ケチの付けようがない指導だったのだろう。フルードは何故か嬉しそうにニコニコしていた。
(私が何回失敗しても馬鹿にしなかったわ)
ラミルファは同胞には寛容だというフレイムの言葉が蘇る。
当の邪神は再びゴロンと寝転がり、頭をもたげてフルードを見た。
「それにしても、君はいつもこんな安物の毛布で仮眠しているのか。肌が荒れるだろう」
「こちらは最上の絹を使っておりますが、お気に召されませんでしたか」
「これで一級品か。人間の世界は貧相なものばかりだな。君はもっと上質な品を使わなくては。また僕の髪を織り上げた布をやろうか。掛布にも最強の鎧にもなる」
「邪神様の大御心に感謝申し上げます」
フルードと邪神の会話を聞き流しつつ、アマーリエは思考を切り替える。
(さてと、今日の運勢はどうかしら)
神官衣の袂から手のひらサイズの筒を取り出して振ると、バツ印が描かれた棒が出て来た。がっくりと肩を落とす。
「またバツだわ……」
ラミルファとの会話に区切りが付いたフルードが、視線を投じて来た。
「一日の始めの運試しですか。昨日もやっていましたね」
「ルルアージュちゃんに教えてもらったのです。今、帝都で流行っていると」
験担ぎにはもってこいの遊びを教えてくれたのは、聖威師になってから知り合ったフルードの娘だ。アマーリエより7つも年下の彼女は、しかし、聖威師としては何年も先輩である。
『アマーリエお姉様、帝都で人気のおまじないをご存知? 朝にこれを振って、その日の運を占うのです』
アマーリエのことをお姉様と呼んで慕ってくれるルルアージュは、そう言って筒を渡してくれた。
「そうですか、娘が。そういえば、出勤した時に兄妹で仲良く振っているのを見かけたことがあります」
フルードが思い出すように筒を眺めた。ルルアージュと、一つ上の兄である長子のことを思い浮かべているのだろう。アマーリエはどちらとも既に面識があり、有り難いことに兄妹そろって懐いてくれている。
「基本的には二重丸、丸、三角、バツの四種類で、ハートとドクロを追加することもあるのでしたか」
「はい。私は今のところ、二重丸3本、丸と三角を8本ずつ、バツ4本を入れています。それから、ハートとドクロを1本ずつ。全部で25本です」
筒は収納霊具になっており、見た目は手のひらに乗るほどのサイズだが、中には大量の棒を収めることが可能だ。
「大神官も引いてみますか?」
「私はやめておきます」
「運試しとか験担ぎはしない派なのですか?」
「いいえ。結果が分かり切っているからです」
「え?」
(どういう意味? 聖威を使えば出る棒を制御できるということかしら?)
だが、こういうものは霊威や聖威を使わずに引くのが暗黙の了解だ。
瞬きするアマーリエに、美貌の大神官はニコリと微笑んだ。
「面白いものをお見せしましょうか。筒をお借りします」
ありがとうございました。