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3.属国神官の憂鬱 後編

お読みいただきありがとうございます。

「何か問題がありますの?」


 ざっと確認するが、至って普通の礼状である。どこにも失礼な文言は見当たらない。


「こちらに敬称を付けておらん。テスオラ王国の主任神官と書いてあるのだ」

「それは当然ですわ。今やアマーリエ様は神の御一柱。世界王たる帝国の王よりも上位の存在なのですから」

「くそ。元最下位の神官ごときが。それも平民に落ちぶれた零細貴族の小娘風情が!」


 祖父が杖で床を打つ。その双眸が鈍い輝きを放った。


「中央本府の当代大神官とてそうだ。元を辿ればただの平民――それも貴族の使用人として買われていた最下層の貧民ではないか!」


 憤懣やるかたなしと言わんばかりの唸りが漏れる。


「前にも話しただろう、リーリア。大神官はな、テスオラ神官府の主任神官にしてアヴェント侯爵家の当主を呼びつけて説教しおったのだぞ! 本来ならば我らの顔を拝むこともできぬ身分であったに!」

「しかし父上、大神官のご指摘は至極真っ当なものでしたし……」


 もそもそと口を動かす父を遮り、祖父はギラつく眼をリーリアに据えた。


「もうすぐだ。この屈辱はもうすぐ終わる。まだ公にしていないが――お前も高位神に見初められたのだからな、リーリア。サード家の小娘と元使用人が大きな顔をしていられるのも今だけだ」

(アマーリエ様も大神官も大きな顔などしていませんわよ。当然の対応をなさっているだけです)


 心の中で反論するが、口には出さない。


(アマーリエ様に関しては、礼状を出してくださっただけ寛容ですわ。……あの方が家族から手酷い扱いを受けているのを、我が国の神官たちは見て見ぬフリをしていたのですから)


 父ダライを中心に、アマーリエの家族は一家で彼女を冷遇していたと聞いた。だが、当時のテスオラ王国神官府の主任神官は、宗主国から出向して来たダライの言いなりだった。アマーリエに対する行為を黙認するよう神官たちに働きかけ、時にはもみ消しまで行っていたという。


(せめて、わたくしがあの方の状況に気付いていれば)


 アマーリエがテスオラ神官府にいた頃、リーリアは副主任神官であった父の補佐役だった。ダライにより神官府の下層階で雑用ばかりやらされていた彼女は、上層階にいるリーリアと会える機会はほとんどなかった。


(我が国の神官府に恨みを抱かれていても不思議ではありませんわ)


 アマーリエが高位神の寵を受けたことをきっかけに、彼女が受けて来た扱いが表沙汰になった。ダライの専横に目を瞑り、腰巾着と化していた主任神官は更迭され、リーリアの父がその座を引き継いだ。


 とはいえ、霊威の強さはリーリアの方が上だ。父の下で数年ほど、補佐という名目で経験と実績を積んだ後、早々に主任の座が譲られる手はずだった。


 しかし、ここに来て状況が一変した。


「リーリアよ。神に愛されたお前は、いずれ宗主国にある中央本府に栄転となる。そして、神官府の総本山の最上位に上り詰めるのだ。我が家門、我が神官府、我が王国の全てにとってこの上なき誇りであり、光である」


 祖父が重々しい口調で告げる。その言葉の一つ一つが、強固な鎖と化してリーリアを縛り付けていく。

 家の、神官府の、果ては一国の期待と希望を背負った自分。それを裏切ることなどできない。下手を打てば、テスオラ全体に大損失が発生してしまう。


 今は特にそうだ。アマーリエが神に見初められて以降、彼女を蔑ろにして来たテスオラ神官にはどんよりとした空気が垂れ込めている。


「お前の主神――ゲイル様は、まだ例の許可を下さらんのか」

「わたくしが寵を授かったことを外部に公表するお許しですわね。はい、まだですわ。今少しの間は内密にするようにとの仰せのまま、お変わりはございません」

「そうか……。だが、いつまでも秘しておけることではないのは、ゲイル様ご自身もお分かりのはずだ。照覧祭(しょうらんさい)でアマーリエと見えれば、お前が神格を得たことも見抜かれるであろうしな」


 リーリアは元々、来たる照覧祭でアマーリエと対面する予定だった。知らん顔を向けて来た少女へ、慌ててご機嫌取りをするために。その屈辱に憤慨していた祖父は、リーリアも神に見初められたことで一気に機嫌を直した。これで対等に対面できる、と。

 だが、肝心のゲイルが、寵を得たことを(しら)せるなとの一点張りなのだ。


「お前が寵を受けたことを公表できれば、我らの面目は回復する。自身がテスオラの救世主であると自覚せよ」


 重ねてプレッシャーをかける祖父を、父は窘めてくれない。黙って下を向いたままだ。いつものことだと、リーリアはすっかり諦めている。


 リーリアに厳格な教育を施し、(しつけ)と称して体罰を振るう祖父から、この父は一度だって娘を守ろうとしてはくれなかった。父親を当てにするという選択肢は、自分の中でとっくに消えている。


 なお、母は子どもにも家庭にも興味がない。神官としての仕事をしていない時は、日がなファッション雑誌を読みふけっている。すぐ近くで娘が祖父に打たれていてもお構いなしだ。


「良いか、決してゲイル様のご機嫌を損ねてはならん。何事もご意向に添い、常にその御心に従うように。むろん、逆らうなどもってのほかだ。一日でも早く、ご寵愛を授かったことを公にするご許可をいただくのだぞ」

「……はい……」

「今に見ておれ。我が家門の名を世界全土に轟かせてくれるわ」


 ふんと鼻を鳴らし、祖父が足音高く部屋を出て行く。

 部屋に張り巡らされていた緊張感がふっと途切れた。ようやく肩の力を抜ける。


「お父……主任神官。夜番の神官からの申し送り事項に関する資料をお持ちしました」

「ああ、ありがとう。ねえリーリア、神官たちが落ち着かないんだ。あちこちで口論や小競り合いも頻発しているし。どうしよう?」


 困った顔で問いかけて来る父に、またかと溜め息が出そうになった。重苦しい空気が垂れ込めるテスオラ神官府では、それに比例するかのように諍いが増えている。神官たちを統率する主任はこの有様だ。


「近く、神官たちを集めて冷静になるよう話をしますわ。後ほど日時と場所を連絡いたしますので、承認をお願いします」

「分かった。いつもありがとう、助かるよ」


 まだ十代の娘に神官たちの統制を任せ、もう安心だと諸手を上げて喜ぶ父。いつものことだ。


「お父様、もう少ししっかりなさって下さいまし。わたくしはいずれ中央本府に異動になりますわ。そうなれば、お父様が神官たちの手綱を取らなくてはなりませんのよ」

「わ、分かっているよ……。はぁ、どうしてこうなるんだろう。私は中継ぎの主任で、数年後にはリーリアが継承するはずだったのに。こんなことなら、副主任神官にこの席を譲りたい」

「そのようなこと、お祖父様がお許しになりませんわ」


 現在の副主任神官は、アヴェント家と敵対関係にあるマキシム侯爵家の当主だ。本当はリーリアを副主任にしたかった祖父だが、裏で行われた様々な駆け引きの結果、マキシム当主がその地位に就いた。そこで次善の策として、リーリアを主任補佐に押し込んだのだ。


「そうだね。まあ、私の後のことは父上が考えてくれるだろう。リーリアは中央本府で頑張れば良い。お前を愛して下さる主神様の下で、幸せになるんだよ」


 笑顔で言う父は、ゲイルの本性を知らない。初めて会った時の彼の優しい態度を、そのまま信じている。


「…………」


 咄嗟に答えられず、リーリアはつと目を逸らした。脳裏に蘇るのは、主神から投げ付けられた心ない言葉。



 ――お前など選ぶのではなかった。

 ――お前への愛想などとうに尽きている。

 ――実に疎ましい。



(いいえお父様、違うのです。わたくしはゲイル様に愛されてなどおりません)


 無意識に撫でた薬指の指輪が、冷たい光沢を放っている。


(わたくしは、失寵(しっちょう)した愛し子……神様に嫌われた神官なのです)

ありがとうございました。

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