80.そして未来へ 下
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ここで区切りです。
広間に沈黙が落ちる。ややあって、フレイムが呟いた。
「……何言ってんだお前?」
『ウェイブは愛し子を得てから変わった。前は気難しくてほとんど笑わなくていつもしかめっ面をしていたのが、愛し子ができてからは嘘みたいに丸くなり、明るく笑うようになった』
チラとフルードの方を見ているのは、波神の愛し子だというフルードの息子に意識を馳せているからか。
『嵐神様だってそうだ。あの勝気で負けん気が強くて攻撃的で、神威に棘を生やしているみたいだった嵐神様が、愛し子を持ったらすっかりメロメロになって、性格も神威も柔らかくなった』
ここでもフルードに視線を向けているのは、嵐神の愛し子がアシュトン……フルードの妻だからだろう。
『焔神様だってきっと変化があるはずだ。だから、高位神をも変える愛し子に興味があるんだ。もし愛し子を見つけたら私はどうなるのか、どこがどれくらいどのように変化するのか、それを知りたい』
「あー……そういやお前、興味があることや気になったことには全力投球の研究者肌だったな」
頰をかいたフレイムが苦笑いする。
『それで頑張って降臨した。父神や兄神、姉神たちは心配していたが、何かあれば今は焔神様が地上にいるから頼れと言われた。焔神様なら大抵のことは燃やしまくって何とかしてくれるだろうと』
「俺は便利屋じゃねーよ!」
突っ込むフレイムだが、意外にもフルードとアマーリエが賛同した。
「そうですね、焔神様は割と何でも燃やして下さいますね。サツマイモから金属から神器から運命や未来まで何でも」
「人間も燃やしますよ。私の家系図上の両親と妹のことも何度も燃やそうとしていましたもの。ついでに妹の婚約者も」
「ちょっと待て、セイン、ユフィー……」
『うん、そうだろう! ということだから頼んだ、焔神様』
「何をだよ!」
そこでフロースは、思案するように顎に手を当てた。いつの間にやら、最初の怯えた態度が鳴りを潜めている。気を許した者の前では、普通に話せるようになるのだろう。
『私が降臨していることは、ひとまず焔神様と聖威師たち以外には伏せておく。公表したら皆が挨拶に来てしまう。だけど、焔神様が言う通り私はかなりのあがり症で臆病者だ。人間たちの前で威厳ある態度を取り続けるのは精神的に負担だ』
そんな情けないことを堂々と言っていいのだろうか。神なのに。
アマーリエは虚ろな目になった。
『素性を伏せて神官たちを見て回るしかないが、よく知らない場所を供もなく歩き回るのは怖い』
今回は、使役や従神の同行は認められなかったのだという。
「お、お前……そんなんでよく愛し子を探しに来ようとか思えたな」
フレイムが唖然と呟いた。
「天界から地上を視て探した方が……いや、今は天界ではあんまり神威を使うなってお達しが出てるんだったか」
ラミルファが後祭の時に話していた情報だ。
『うん。広範囲にいる不特定多数を長時間視るのはやめておいた方がいいと思う』
「じゃあその状況が落ち着くまで待つか、範囲や時間を多少限定してコツコツ視ていけよ。それか、神威を極力使うなってのはあくまで努力義務だろうから、思い切って無視しちまうとか。悪いこと言わねえから、普通に天界から視た方が良いと思うぜ』
「だけど、父神や兄姉神に頑張って来いと送り出してもらったのに、こんなにすぐに還るなんてできない』
「んー……なら……どうするつもりなんだ? 地上のどっかに引きこもって、遠視で神官府を眺めて良さそうな奴を絞るのか? 神使を選定する使役にもそういうやり方をしてる奴はいるみたいだが』
効率的なやり方ではある。フレイムも火神の神使を探している時、遠視を併用していた。
ただ、二つ目の密命があったこと、直接見て分かることもあること、聖威には厳重な使用制限があること、体を動かしていた方が性に合うという自身の性格等々により、積極的に神官府に足を運んでいた。そういう使役も多い。
『その件だが……パパさん。それにアマーリエも。二人に協力して欲しいことがある』
この瞬間、アマーリエは嫌な予感が走り、ブルッと震えた。フルードが恭しく問いかける。
「どのようなことでしょうか」
『あなたたちは、日々多くの神官と接しているだろう。変装した私を、部下か何かのフリをして側に控えさせて欲しい』
嫌な予感的中である。とんでもないことを言い出した泡神に、聞いているアマーリエは戦慄した。フルードとフレイムが呆気に取られている。
『そうすれば、あなたたちの後ろに隠れて神官たちを直に確認できる。私自身が対応するのではなく見ているだけなら、負担も少ない』
フロースはその神格の通り、泡のように掴み所のない笑みを浮かべた。
『これからしばらくの間、日替わりや時間替わりで二人に付かせてもらえれば助かる』
僅かに灰色がかった白い双眸が、フルードとアマーリエを順繰りに見た。
『ねぇ、協力してくれるだろう?』
一応疑問形を取ってはいるが、実質的には命令だ。天の神の命令を聖威師は拒めない。
「承知いたしました」
「仰せのままに」
フルードとアマーリエは低頭して答える。それ以外の選択肢がなかった。フレイムが天井を仰いでやれやれと呟く。
――その時だった。
『それは良きアイデアだ』
いきなり空間が割れ、裂け目から絶世の美少年が顔を覗かせた。アマーリエは思わず声を上げる。
「ラミルファ様!?」
本性である骸骨の姿ではなく、白髪緑目の人型だ。フレイムが目をつり上げた。
「テメエ何しに来やがった!」
『少し前から天界で君たちの話を聴いていたのだよ。たまたま神官府を視ていたら泡神様が降りていたものだから気になってね』
ラミルファが裂け目を抜け、軽い動作で広間に降り立った。軽薄な笑みを浮かべて言う。
『従者のフリをして好みの者がいないか探す。斬新な発想だ、なかなか面白い。僕も真似しよう』
「え?」
アマーリエはギョッとした。突然現れたと思えば、一体何を言い出すのか。
『どこかの誰かのせいで、我が愛し子および神使にと目論んでいた者たちが穢れてしまった。彼女たちが再び美しくなるよう働きかけるつもりだが、それと並行して別の候補を探すのも悪くない。ああ心配するな、つい今しがた禍神から特別降臨の許可は取って来た』
「そんなっ……」
アマーリエは青ざめた。サード家の面々が助かったとしても、別の誰かが邪神の――悪神の生き餌になってしまうのか。だが、ラミルファの言葉には続きがあった。
『といっても、この僕に相応しい愛し子と神使などそう簡単には見付からない。良さそうな者がいなければ、次の機会を待つことにしよう』
それを聞いて少しホッとする。彼の嗜好に合う者がいなければ諦めてくれるらしい。
『我が同胞フルードとアマーリエ。僕も君たちの配下に変装し、側にいてやろう。そして新たな愛し子候補を探す』
(ラミルファ様まで!?)
何だかとんでもないことになってきた。
「ふざけんなお前! 顔面にスーパーキラキラクリーンパウダー大量噴射してやろうか!?」
噛み付いたフレイムが、手に火球を出現させてラミルファにぶん投げた。それをヒラリとかわし、邪神は澄まし顔で嗤笑を上げる。
『ふふ、今から喧嘩の続きをするか? その余波で神官府をめちゃくちゃにしてやるのも面白い』
そんなことになれば大騒ぎだと、アマーリエは顔を強張らせた。それに気付いたフレイムが舌打ちし、追加で投げようとしていた炎を消す。
「……あぁぁ、もー! こんなタイミングでしゃしゃり出て来やがって。こうなったら俺も部下になりすましてユフィーとセインの側にいるぜ。そんでラミルファ、お前を監視してるからな!」
(ええぇぇぇっ!?)
収拾が付かないとはこのことである。というか、フレイムは別に変装する必要はない気もするのだが……。
「だ、大神官。どうしましょう!? 何だか気が遠くなって来ました……」
一縷の望みをかけてフルードの方を見ると、優しい碧眼がこちらを向いた。気のせいか、全身で脱力しているように見える。
「安心して下さい、アマーリエ。私も意識が飛びそうです。邪神様のお越しで気が抜けてしまいました。大丈夫、二人で一緒に気絶すれば怖くありません」
(だ、駄目だわ……)
大神官も現実逃避しかけているのだろうか。そもそも、自分たちが仲良く倒れても状況は何も変わらない。ラミルファがニヤリと口の端をつり上げる。
『なかなか楽しい遊びになりそうだ。フルード、アマーリエ。貴きこの僕に仕えていただけるという栄誉に感涙するがいい』
「…………」
アマーリエは無言で立ち尽くしながら、これからのことに思いを馳せた。
もうすぐ火ぶたを切る照覧祭。
大勢訪れるであろう、自分に近付いて来る者たち。アヴェント侯爵家リーリアの目通りは、結局受けることにした。照覧祭の日が迫るに連れ、目通りの依頼は日に日に増えている。たくさんの神官たちが事前連絡の有無に関わらず来訪して来る中、彼女だけ断る理由はないからだ。
直感が告げる。きっとこれから何かが起こるのだろうと。
◆◆◆
《泡神様》
何を考えているのか分からない顔でヘラヘラしているラミルファを眺めながら、フレイムはフロースに念話した。
《何だ?》
すぐに応えが返る。
《今回の降臨。本当に愛し子探しが目的なのか?》
《もちろん》
《そうか。んじゃ聞き方を変える。愛し子探しだけが目的なのか?》
《どういう意味だ?》
《聞いてるのはこっちだ。……お前も密命を受けたのか?》
返事はすぐに来なかった。
《特別降臨の許可なんてそうそう出るもんじゃねえだろ。俺は愛し子を得た祝いで許可が出た。だが、まだ見付かってもいない、見付かるかも分からない愛し子探しのために出るもんかなぁ》
神にとって特別な存在である愛し子が関わることならば、かなり柔軟な範囲での降臨が可能になる。だがそれは、愛し子を得てからの話だ。これから探す段階のフロースには当てはまらないはずだ。
なお、選ばれし神の場合は自力で特別降臨できる裏技があるのだが、それはある種の反則技だ。おいそれとは使用できないし、フロースが使ったとも思えない。そもそも、今回はきちんと水神が許可を出している。
《お前も何か内密の指示を受けたのか? あるいは……特別降臨を許可させるだけの重大な事情があるのか?》
《……引きこもりの私が外に出ると言ったのが、それだけ嬉しかったのかもしれない》
山吹の瞳と白灰色の瞳が交差する。ややあって、力を抜いたのはフレイムの方だった。
《そうか。ま、そうかもな》
(言うわけねえか。そんならさっき降臨した時に打ち明けてるだろうしな)
そして、澄まし顔で口笛を吹いているラミルファを見る。
(特別降臨の許可は簡単には出ない。出ないはずなんだ)
一般的な神であろうと悪神であろうと、それは変わらない。ならば、なぜ水神と禍神は。
(もしかしたら、ラミルファは……いや、事実がどうであれ、俺はただ守るべき者を守るだけだ)
そして、愛しい者がいる方を振り向いた。
◆◆◆
こちらの視線を感じ取ったのか、フレイムが振り返った。不意打ちで山吹の双眸が向けられ、アマーリエの胸が高鳴る。
「ユフィー? どうした?」
こちらの眼差しに何かを感じたか、ラミルファを放ってすぐに側に来てくれる。
「いいえ、何でもないの。……ただ、これから大変なことになりそうだなと思って」
「そんなに心配すんな。泡神様は大丈夫だ。ちょっと引っ込み思案なだけで良い奴だからな。……ラミルファも……気には食わねえが、神格を持つ同胞にはマジで寛容だ。もうお前に何かを仕掛けることはない。色々と助けてくれるだろうさ」
安心させるように言った時、フルードが口を開いた。
「申し訳ございませんが、私は一度お暇いたします。他の聖威師を緊急招集し、状況を共有しなければなりません」
「分かった。お前も無理すんなよ」
フレイムが優しく答え、その声が聞こえたらしいフロースも首肯した。
『せっかくだ、僕も一緒に行ってあげよう。従者の練習だよ。ああもちろん、きちんと人間の姿に変化するとも』
ラミルファがニヤニヤしながら言い、フルードは黙って頷いた。フレイムがジロリと邪神を睨み、『変な真似するなよ』と釘を刺す。
「アマーリエ、あなたにも後で来てもらうことになると思います。ひとまず焔神様と共にいて下さい」
「承知しました」
小さく微笑み、フルードはフレイムとフロースに叩頭してかき消えた。バイバーイと手を振ったラミルファの姿も消える。一緒に行ったのだろう。
それを見送ったフレイムが、表情を改めて口を開く。
「ユフィー」
「なに……?」
言いかけた言葉を遮って、そっと抱きしめられた。繊細なガラス細工でも扱うかのように、甘く優しく。
「お前は俺が守る。例え大変なことが起こったとしても、必ず守り抜く。俺はずっとお前と一緒だ。だから大丈夫だ。不安は俺が燃やしてやる。なにせ俺は何でも燃やすらしいからな」
力強い腕に包まれ、その温かさと鼓動を直に感じた瞬間、全身を重く覆っていた懸念が溶けていく。
(……そうよ、何も心配することなんかなかったんだわ。私にはフレイムがいてくれるのだから)
どこまで本気かは分からないが、変装してでも側にいるらしいのだし。
(二人なら何も怖くない。きっと大丈夫)
両腕を伸ばしてフレイムを抱きしめ返す。それを見たフロースが、頰を赤くして両手で顔を覆った――ただし指の間からしっかり見ている。
「そうね。フレイム、あなたを信じているわ」
アマーリエは、最愛の者の目を真っ直ぐに見つめた。
信じている。
慕っている。
――愛している。
神としての彼を勧請した時に抱いた想いを、今一度眼差しに込める。
「――――」
フレイムが魅入られたようにアマーリエの碧眼を見つめた。そして、再び抱擁してくる。今度は先ほどよりも強く。万感の信頼と愛情を込め、アマーリエもそれに応じた。
(私は、私たちは、何があっても絶対に大丈夫)
不安や恐怖といったものが取り払われた胸には、ただ幸福と、これから先への希望だけが宿っていた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
いったん完結です。
続編を書くと思いますが、この続きで書くか、同シリーズの別作品として書くか検討中です。
だいたい全部書き上げてから投稿開始するので、年内か来年以降になると思います。
よろしければまたお読みいただけたら嬉しいです。
最後にいいねや評価、ブクマなどポチッとしていただけると今後の励みになります。