74.大好き①
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「まあ! フレイム、まだ地上にいられるの?」
嬉しさが抑え切れず、アマーリエは声を弾ませた。
「あの人たちの処遇が決まったから、もう天に還るのだと思っていたわ」
ダライ、ネイーシャ、ミリエーナ、そしてシュードンは神官の務めから外され、地下で苦役に従事することになった。並行して、調教神オーアによる徹底的な再教育を受けるのだという。更生できるかどうかと死後の命運は、本人たちにかかっている。
ただし、仮に改心して天界に上がって来られたとしても、もはやアマーリエとは身分も立場も違う。フレイムの同意なく接触されることはないという。
「ああ、母神から特別に許可が出たんだ。密命をちゃんと果たした褒美ってことでな」
フレイムも明るい表情で笑っている。火神の命は既に完遂したことから、神使ではなく神としての降臨が許可された。そのため、もう神格を抑えてはいない。
とはいえ、神は理由なく地上に関わらないのが原則。神格を解放した状態で下界に降りる場合は短時間かつ単発が基本となっている。今回は火神の許可を得ての特別降臨なのでそれには当てはまらないが、それでも御稜威は可能な限り抑制しておくと言っていた。
「ま、褒美ってのは表向きで……実際のところは愛し子を得た祝いだろう。ユフィーとの新婚生活を楽しめっていうお心遣いだ」
「えっ」
頰をかいて言うフレイムに、アマーリエも顔を赤くする。お互い照れたように見つめ合った時、ゴォンと帝城の鐘が鳴った。
「もう少しで神官府の式典の時間だわ」
我に返ったアマーリエは、フレイムと手を繋いで歩き出した。
「お前、大神官の代理で式典の開会挨拶を任されたんだもんな。緊張して壇上ですっ転ぶなよ」
「転ばないわよ、失礼ね!」
「お前が捻挫でもしたら俺が暴れて会場をぶっ壊してやるからな」
「……絶対に怪我しないようにするわ」
神官府の中でも、聖威師と一部の霊威師しか入れない区画を歩いていると、応接室から声が聞こえて来た。フレイムと二人して中を覗くと、フルードが深水色の神官衣を来た神官と向かい合っている。
(濃い水色……属国にある神官府の方だわ。というか……あら? あの人、テスオラ王国の副主任ではない?)
帝国の属国の神官は水色、皇国の属国の神官は臙脂色の法衣を着用する。大神官の前で下を向いて畏まっている横顔には見覚えがあった。アマーリエがつい最近までいたテスオラ王国の神官府で、副主任であった神官だ。
(もしかして、彼が新しい主任神官になったのかしら)
アマーリエがいた頃の主任神官はダライの腰巾着で、常に彼の顔色を窺っては媚びへつらっていた。だが、サード家への取り調べでその件も明らかになり、主任神官の地位から更迭されたという。テスオラ王国だけではない。ここ帝都中央本府にいるダライの上司も、部下への教育不行き届きで処分を検討されていると聞く。
フルードがいつもの優しい笑みを浮かべて言った。
「何ですか、今回の不手際は。神への祈願で使用する守り玉の種類を間違えるなど。皇国語の安全と安産を間違えて発注し、儀式が始まる寸前で気付いて緊急救助要請の念話を送って来るとはどういう了見ですか。いきなり安産の守り玉を送って来られ、何とかして下さいと泣きつかれても困ります。誰が産めばいいのかと私たち聖威師は大騒ぎだったのですよ」
「何の話だよ……」
フレイムが呟き、アマーリエは遠い目をした。聖威師になりたてのアマーリエは、まだこういった対応には参加していない。が、色々と大変なようだ。
「それから。そちらの神官府から届く定期報告書を読みました。新米の受付係が、身分証を偽造した不審者の侵入を許してしまったそうですね。牛乳配達員を装った者が神官府を訪れ、ある神官から個人的に毎日注文を受けていると言うのを信じて結界を開けてしまったとか」
トントンとデスクを叩き、フルードが抑揚のない声で言う。
「馬鹿ですか? 職場にプライベートの牛乳配達をさせる神官がいるわけないでしょう。しかも大瓶をダース単位でという注文だったと書かれていましたよ。一人で毎日牛乳の大瓶を12本も飲む者がどこにいるのですか」
アマーリエとフレイムは仲良くズコッとこけた。不審者も受付もどちらも馬鹿である。
「主任神官として、神官たちの引き締めを徹底して下さい」
やはり彼が新しい主任になっていたらしい。聖威師から直々の注意を受け、縮こまって謝罪している。
「大体、あなたの所の神官はいつも要領を得ないのです。下らない話を長々と念話し、その第一声が『俺、俺です、俺俺、ほら俺』ですよ。誰ですか俺って。危うく詐欺だと思って通報しかけましたよ」
「「…………」」
アマーリエは無言でフレイムと顔を見合わせ、コソコソとその場を後にした。
「あいつストレス溜まってんだろうな」
十分に離れた所まで来ると、フレイムが呟く。
「そう? 私は帝国の神官府に来たばかりだから分からないけれど、他の神官たちは皆、大神官は最近生き生きしてると言っているわよ。前よりお元気になられたみたいだって。確かに、私と初めてお会いした時より、何となくお体の力が抜けたように見えるわ」
「……そうか」
一拍置いて相槌を打ち、応接室がある方を見遣ったフレイムは、とても柔らかな顔をしていた。
(やっぱり、フレイムが大神官に何かしたのかしら)
フルードが実はフレイムの教え子であると聞かされた時は驚いた。アマーリエの邸に来た日、彼はフレイムと随分長く話し込んでいたようだ。
『大神官として色々なものを背負い込んでるようだったし、寿命も迫ってたからな。もう重責は捨てて天に還るよう言ったんだが……断固拒否された』
フレイムはそう言って苦笑していた。
『そんでまぁ、説得しようとしたんだが、反論するわ抵抗するわ泣くわついには癇癪起こして暴れるわで、駄々っ子の相手は大変だったぜ。俺の方が強いから力ずくで強行突破することもできるが、それも想定されてて最後は自分自身を丸ごと人質に取った渾身の泣き落としで言いくるめられちまってな』
昇天を無理強いされるならいっそこの足で神罰牢に駆け込む、と言って自身の首にナイフの刃先を突き付けたらしい。入牢できないよう拘束されたとしても、手足が折れようが魂が砕けようがどれだけ時間がかかろうが抜け出して、必ず入ってやると宣言したという。
ここまで言えばフレイムは絶対に妥協してくれる、自分の側に付いてくれると心の底から信じているからできる荒業だ。両者の間に確固たる絆が無ければ、『勝手に入れ』と返されて自爆する可能性もあるのだから。
事実、仰天したフレイムはやめてくれと必死で宥め、一も二もなく譲歩したという。
『全く、どこであんなやり方覚えやがったんだか。俺は教えてねえぞ、あんな捨て身の特攻方法。遅い反抗期か?』
口をへの字に曲げたフレイムだが、その眼差しはどこまでも優しい。
『しょうがねえから、強制帰還はもう少し保留にしてやることにしたよ。今後はあいつのことも見といてやる。んで、マジで限界だと思ったらその時は即座に昇天させる。また神罰牢に行くって騒いでも、今度は譲らねえ』
それはフルード本人にも言い諭してあるのだという。フルード自身もこれ以上の駄々をこねるつもりは無いようで、大人しく頷いたらしい。今回見逃してくれるならそれだけで十分ですと。
『神罰牢の入口を全部封鎖するとか、あいつの思考や記憶の一部を一時的に封印するとか、こっちにだって取れる方法はあるんだからな。まぁ、今回に関しては折れてやるが……最高神からも、現状は保留でいいが引き続き注意して様子を見ておくよう指示が出た』
と、可愛い弟を心底想う顔でフルードのことを話していた。二人は師弟でありながら義兄弟でもあるそうだ。彼らがどのような経緯で師弟兼義兄弟になったのかはまだ聞けていないが、きっとこれから話してもらえるだろう。
なにせ、時間はたくさんあるのだから。
ありがとうございました。