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72.フレイムとフルード 後編

お読みいただきありがとうございます。

 琥珀色の線は、乱れることはなかった。(しずく)の一つも跳ねさせず、静かにグラスに注ぎ込まれている。


『狼神は肝心な時に愛し子を助けに来ない腰抜けですか!?』

『あんたも狼神もどこまで役立たずなんだ!』


 シュードンの罵倒を聞いた時、フレイムは内心、コイツは終わったと思った。おそらくラミルファも、ラミルファの従神たちも同じだっただろう。


 聖威師と寵を与えた神――もちろん悪神以外だ――の絆は双方向に結ばれる。神が聖威師を愛し子と呼んで慈しむように、聖威師も己の主神を心から慕い抜く。両者の想いは同じくらい強い。


「愚劣な言い分にいちいち逆上していては、返って狼神様の格を貶めることになります」


 フルードが柔和な眼差しで告げた。


「どうぞ」


 そつのない所作で差し出された紅茶の水面には、一切の波立ちがない。まるで、彼が浮かべる鉄壁の笑顔のごとく。

 だが――温厚を装った双眸の奥に、稲妻のごとき激昂が閃いていることは、神相手には隠せない。


「いや、死ぬほどキレてるだろ……。バカ婚約者が大バカを言った時は、あのラミルファでさえ一瞬ビビってたぜ」


 ブチ切れたフルードが力を大爆発させ、シュードンごと地上世界を粉砕するのではないかと思ったほどだ。ラミルファとてあの場を制圧していたといっても、全力を出しての完全支配までしていたわけではない。本性が高位神であるフルードが本気で激怒すれば、制圧を弾き飛ばせる可能性は高かった。


 もちろん、そんなことをすれば確実に神格が露出するため、フルードは強制昇天になるだろう。だが、その前に地上が壊滅する方が早い。まさかの聖威師を宥めに天威師が出動する事態になるのかと、アマーリエとシュードン以外の皆が身構えていた。聖威師の前で主神を愚弄するというのは、それほどのことだ。


 だがフルードは、一貫して冷静さを失わずに対応した。多少の毒舌が混じる場面もあったとはいえ。その胆力には、フレイムも密かに舌を巻いていた。おそらくラミルファもだ。


「正直、あの場でラミルファにバカ婚約者を引き渡すかと思ったんだが」

「それはどうにか自重しました。悪神の生き餌にまでするのは憐れですので」

「だがそれ以外にも、本人に自省する機会を与えたり、調教神を頼んだり、色々と救済の手回しをしてるじゃねえか」

「――グランズ家が嘆願書を提出して来ました」


 一呼吸置いてから、フルードが言った。シュードンの両親と兄も神官だが、後祭の日はグランズ家の葬祀(そうし)が重なっており、参加していなかったのだ。


「爵位を返上し、私財を含めた財産を全て返還した上で、どうかこれをもってシュードンの罪一等だけは減じて欲しいと直訴して来たのです」


 霊威が低いことに劣等感を持っていたシュードンだが、家族から大事に思われていないわけではなかったのだ。


「彼には愛してくれる親兄弟がいるのです。それを自覚しているかどうかは怪しいものですが」

「……だから矛を収めたのか」

「自分を心から想ってくれる家族がいるのは、幸福なことです。いつか彼がそのことに気が付けば――変われるのではないかと思いました」

「……そうか。難しい判断も多かっただろう。天威師、高位神、聖威師、人間が全員動いてたからな」

「これも大神官の務めです」

「だが、冷徹な判断を下すのは辛いだろ」


 気遣いを帯びた台詞に、フルードが苦笑いした。


「私のことより愛し子を心配なさって下さい。アマーリエは順当にいけば、次代の神官府の長となります。優しく思いやりのある彼女もまた、己の職責をこなすために、非情という強さを習得する道を歩むでしょう。彼女自身より、あなたの方が先に限界を迎えてしまわれるのでは?」

「それは……そうだな。無理にでも天に連れ帰るかもしれねえ」

「そうでしょう。ですが、主神を宥めすかして譲歩を引き出すのも、聖威師の腕の見せ所です。その点は、私からアマーリエによく説明させていただきますよ」


 澄まし顔で告げるフルードを、本来の彼を知っているフレイムは痛ましげな顔で見つめる。


(ユフィーが同じ道を進んだとして……俺は我慢できるのか?)


 できるとは言い切れなかった。だが、可能な限りアマーリエが望む方向に行かせてやりたいとも思う。


(……ま、それはその時になったら考えればいいことだ)


 今は答えの出せない問いを横に置き、熱い紅茶を口に含んだ。


(未来がどうなろうとも、俺はユフィーと一緒だ。どんな選択をしようとも、ずっと一緒に歩いて行く)


 それだけは、今の段階でも言い切れる確実な回答だった。琥珀色の液体が、ほろ苦さを醸しながら喉を滑り落ちていった。


 一方のフルードは紅茶に手を付けない。無言でカップに視線を落としていたが、おもむろに顔を上げ、フレイムを見る。

 そして――その眼差しが、口調が、変わる。


「……お兄様。僕はずっとあなたにお会いしたかったです。辛い時も苦しい時も泣きたい時も、あなたのことを思い出せば耐えられました」


 身の内にある焔の神器が、体を守るだけでなく、慰めてくれたり寄り添ってくれたり包み込んでくれたりと、徹底的に心のケアをしてくれていたおかげでもある。あれは文字通り、もう一柱のフレイムなのだ。


「俺だっていつもお前のことを気にしてたさ。それと、今回のことに関して礼も言いたい」

「お礼ですか?」

「以前、お前は(えにし)の力を俺に使ってくれただろ。いつか俺の愛し子になり得る者が現れた時、俺とそいつが確実に巡り会えるよう力を込めてくれた。今回、俺がユフィーと出会えたのは、その力の作用もあったはずだ」


 聞いたところ、子犬姿のフレイムを見付けた時のアマーリエは、唐突に入った用事によりあの日あの時間に偶然近くを通りかかり、理由もないのにいつもと違う道を行こうといきなり思い付き、常であれば使わない道を歩いたのだという。本降りの雨の中、普通ならいつもと同じ道でさっさと帰ろうと思うはずなのに。そこで倒れていたフレイムを拾った。

 まさに超常的な力が……二人の縁を結ぶ力が働いたとしか思えない。


「お前の力がなかったら、ユフィーとは上手く会えてなかったかもしれねえ」

「僕の力がなくても、あなたとアマーリエは邂逅(かいこう)していたと思いますが……それでも、何かの形で一助になれていたなら幸いです」


 にっこりと笑うフルードは本当に嬉しそうだった。フレイムが最愛を得たことを、心の底の底から喜んでいる。


「僕はお兄様にお話ししたいことがあるんです。会えなかった間に、どんどん話が溜まってしまいました。たくさん、たくさん。聞いて下さいますか?」

「当たり前だろ。俺もお前に大事な話があるんだ」


 眦を下げて応じながら、フレイムは内心で呟いた。


(ごめんな……お前はもう無理だ)


 今回の降臨に際し、フレイムは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


『地上に留まっている我らの同胞、つまり聖威師たちの様子を確認して来ておくれ。私たちも時折地上を視てはいるが……近くで直に見なければ分からぬこともあるだろう。お前自身の目で直接確認をして来てくれまいか。もし限界になっている子がいれば、一息(ひといき)にその命を断ち、天に連れ帰って来て欲しい。あの子たちはどれだけ辛くとも、人としての寿命を終えるまでは昇天せず耐えようとするだろうから』


 それを受けた上で、フレイムは自身の降臨を聖威師に知らせなかった。自分が見ていると知れば、彼らは平気なふりをする。例え密命の内容を伏せていてもだ。

 天の神々は、聖威師が地上にいることを快く思っていない。早く昇天して自分たちの元に還って来て欲しいと願っている。そのことを知っているので、例え限界だとしても、それを悟られないよう演技するだろう。連れ帰られないように。


 だからこそ、フレイムは自分が降りていることを知らせず、密かに神官府に潜入して陰から聖威師たちの様子を窺っていた。

 一番大変だったのは、フルードの身の内にある焔の神器だ。創生神の神威と気質をそっくりそのまま複写され、超絶に過保護となったその神器が、フレイムが来ていることをフルードに知らせようとするので、内緒にしてもらう交渉をするのに骨を折った。


 そして直に確認した結果、聖威師の大部分は無理をしているがまだどうにか許容範囲内。ただしフルードはもう限界である、という結論に達した。あの火炎霊具爆発事件が起こるより少し前のことだ。事件以降は、こちらの存在を勘付かれた可能性を考え、聖威師たちに近付かないようにしていた。


(優しすぎるんだ、お前は)


 通常であれば自殺か発狂か廃人の3択しかない幼少期を送りながら、心歪むこともなく、周囲を憎まず真っ直ぐな魂のまま育った。

 だが、ただ優しいだけでは聖威師の過酷な務めと責任に耐え切れない。フレイムはフルードが生来の優しさを損なわず強くなれるよう、細心の注意を払って育て上げた。


 狼神はもちろん、火神一族やルファリオン、他の神々も総出で協力し、それは達成したのだが……そもそもの話、本性はとても内気で臆病なフルードに、大神官の椅子は重すぎる。非情な判断や命がけの激戦、大怪我など日常茶飯事なのだ。強靭な意志と聖威による強力な治癒、そして神器の絶大な守護があろうとも、心は疲弊する。表面上は恙無(つつがな)くこなせているが、これ以上はこの子の魂が壊れてしまう。


 おそらく、後もう少し追い詰められていれば狼神が強制昇天に踏み切るか、あるいは体内の炎の神器がフレイムに合図を送って来ていた。この子は限界だ、撤収の時だと。それを受けたフレイムが迎えに降りるか、神器が自ら動いて還らせるかは、その時の状況によっただろうが。


(それに、寿命ももう……)


 フルードの運命は二度変わった。一度目は狼神に見初められ愛し子となることを受け入れた時。二度目はフレイムと出会った時。そして、そうなるよう導いた最初の神は――


 もし運命が変わらなければ、彼は両親と売られた先の貴族により、文字通り命を削る虐待を受け続け、心身共に疲れ切り搾取され果てて、30歳すぎで亡くなるはずだった。


 現在のフルードは31歳。本来の寿命を迎えている真っ最中だ。そして、聖威師が地上にいられるのは、本来人として生きるはずだった寿命の年月のみ。もう猶予はほとんどない。


 だから、もう還り時なのだ。例え本人の意思に反することになったとしても。


「俺から話していいか?」

「僕も話したいです」

「お前の話は天界でいくらでも聞いてやるから」


 フルードが口を閉ざし、瞬きした。昔と変わらない……変わらないように育てた優しい青がこちらを見上げた。

 過酷な幼少期を送り、同年代の子どもより一回り小さかった頃のこの子を思い出す。衣食住を整えて心をケアし、伸び伸びと成長できるよう取り計らったが、育ち切った現在もフレイムより頭一つ分以上は低い。ただし、これはフレイムが長身という理由もあるだろう。


「天界?」


 キョトンと首を傾げるフルードに、フレイムは微笑んだ。


「ああ。お前は本当によく頑張ったな。今回降りてから、こっそり様子を見てたんだ。だから、どれだけ頑張ってるかよく分かった。本当に偉いぜ、お前は」


 この子の心をなるべく傷付けないよう、穏やかな声音を心がけながら言う。


「けど、もう駄目だ。心も魂も寿命も、何もかも限界に来てる。潮時なんだよ。もちろんユフィーとバカ家族、バカ婚約者の件も含めて、処理中の案件を引き継ぎする時間はやる。その辺りはお前も考えてるだろうけどな」


 いかに聖威師といえど、高位の神器の暴走などに対峙し続けている以上、いつ力尽きてもおかしくない。フルードとて、自分が急に昇天しても後の者たちが困らないよう手は打っているはずだ。


「孤児や居場所のない子どもを支援する取り組みもやってるんだろ。それも後任に継がせればいい。……だが、そこまでだ」


 手を差し伸べ、かつてと同じ笑みで優しく言う。


「俺はお前を迎えに来たんだ。お兄様と一緒に天に還ろう、セイン」

ありがとうございました。

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