61.本当に危機なのは
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「シュードン?」
アマーリエが目を向けると、いつの間にか目を覚ましていたシュードンは、放心状態で壁を見つめていた。その両脚には未だ黒い蔦が絡み付いている。
「こんなはずじゃなかった……こんなはずじゃ……俺は悪くない……俺が悪いんじゃない……」
何やら呪詛のように言い訳をこぼしているが、それが通用するはずもないだろう。
『神託をビリビリに破り捨てた挙句、その内容に真っ向から反する行いをした。俺がラミルファの立場でも激怒している。あのバカ婚約者はさすがに擁護できねえ』
小さな溜め息をつき、フレイムが続ける。
『この一件に関しては、ラミルファの怒りが正当だ。天の神々も同じことを言うだろう。浄化の火を纏わせようが結界を張ろうが駄目だ、こればかりは悪神側も退かねえ』
「シュードンはどうなるの?」
『神罰牢行きだろうな』
「神罰牢!?」
思わず叫んでしまったアマーリエは急いで口を抑えるが、遅かった。
『大声を出してどうしたんだい、僕の同胞』
ラミルファが聞き付けて問いかけて来る。
「……同胞、ですか?」
先ほどから感じていたことだが、明らかに彼の態度が軟化していた。アマーリエを見ても嫌そうな顔をせず目を逸らしもせず、にこやかに接して来るのだ。
『ああ。神格を得た以上、君は僕の大事な身内だ。君の聖獣たちの場合は神使として授かった神格だから、完全な同胞とは言えないが……広義では仲間に含めて良いだろう。君たちはもう僕にとって大切な存在だ』
(きっっっっったないから随分と昇格したわね。そもそも、あなたの神威でディモスは死にかけたのに、どの口が!)
あっけらかんと言うラミルファを半眼で睨む。それを見たフレイムが、言いにくそうな顔をしながらも割って入った。
『ユフィー……ラミルファの味方をするわけじゃないが……悪神にとって誰かを傷付け苦しめる行為は、人間が子猫や子犬を可愛がって撫でるのと同じ感覚なんだ。穢れた神威を撒き散らした余波で周囲の生命を奪うのも、人間が普通に歩いているうちに自覚なく地面のアリや虫を踏み潰しているような感じだ』
「っ…………」
アマーリエは言葉に詰まった。今日、サード邸を出て神官府に行くまでの間に歩いた道を思い出す。歩いている時は前を見ていたから、足の下に虫がいるか注意などしていなかった。きっと、何匹かは気付かず踏み殺しただろう。
自分も無自覚のうちに、悪気なく他の生命を奪いながら、涼しい顔をして日々を過ごしている。
『足元にいる虫のことは気にしない。だが、同じ人間や仲間だったら気にかけるし助けようとする。同じ生命でも、それが何であるかによって感じ方や対応が変わる。その部分は神も同じなんだよ』
説明するのが難しいけどな、と、フレイムが困ったように眉を下げる。
『お前とディモスたちは、ラミルファにとってさっきまでは地面の虫だったが、神格を得たことで同族に変化した。これからは態度も対応も変わるだろう。それを分かれとは言わないが……神とはそういうものだってことは認識しておいた方がいい。……そこを割り切って納得しなきゃ、やっていけねえからさ』
「…………そう」
最初は神ではなく精霊だったフレイム。今でこそ名実ともに火神一族として受け入れられている彼だが、精霊であった頃はそうではなかったのだろう。実際は300歳であるにも関わらず、神々には焔神として在った年月しかカウントされていないこと、そして今のほろ苦い口調から、そう感じた。
不承不承ながら短い返事をした時、ラミルファが再度口を開いた。
『それで、どうしたのだ。神罰牢と言っていたが』
「……いえ、えっと、シュードンの処分はどうなるのかと思いまして」
『ああ、そのことか。そうだな、神罰牢が妥当だろう』
神罰牢。上位の神の怒りを買った下位神が堕とされる、神のための地獄。その責め苦は人間用の地獄とは比較にならない。最も軽い神罰牢に瞬き一つ分の時間入るくらいならば、最下層の人間用の地獄に無期で入牢した方が遥かにマシだとすら言われる。
原則は神が入れられる場所だが、そもそも神々は非常に結束が強く身内想いであるため、余程の事態が起きなければ使用されることはない。相当のことがあって入牢させられても、同族への情は不動であるため、早期に出られるよう配慮してもらえる。
ならば、滅多に使われないかといえばそうでもなく――実は神罰牢は、神の逆鱗に触れた人間が放り込まれる場合もあるのだ。本当に厄介なのはこちらである。
神は同胞にはどこまでも慈愛深く寛容に対応するが、それ以外に対しては慈悲も容赦もない。神罰牢に投げ入れたことをすっかり忘れ、永劫にそのままとなる可能性も高い。そうなれば、入牢者にとっては一貫の終わりである。
『どの階層にしようかな。あまり上だと軽すぎる。中の上の層くらいか』
(そんな……どうしたらいいの)
横目でフレイムを窺うが、万策無しという表情で首を横に振られた。
『さて、それではそろそろ無礼者を引き渡してもらおうか』
ラミルファがシュードンに視線を投げた。ヘドロ色の神威が走り、フルードが張り巡らせていた聖威の結界がかき消える。
「ひぃっ……」
嫌々をするように首を振るシュードンを背に庇い、フルードが膝を付く。
「だ、大神官ー!」
先ほどのようにしがみつこうとするシュードンだが、ギリギリで手が届かない。
「邪神様。どうか今回ばかりはご寛恕を」
ありがとうございました。