55.事態急転
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『お……ダ……イ! 聞こ……る……ダ……!?』
ノイズの中で、場違いなダミ声が響いている。
「きゃぁ!?」
アマーリエは仰天し、何事かと目を瞠る皆の視線を感じつつ、大急ぎで神官衣を探る。引っ張り出したのは、小型の通信霊具だった。
「これは……さっきお父様が落としたものだわ」
「誰かと繋がってるな。まだここの気が揺らいでるから、音質がめちゃくちゃだが」
フレイムがパチンと指を鳴らすと、紅蓮の神威が迸り、霊具の力が安定を取り戻す。
『おいダライ! 聞こえてるか、ダライ!?』
(やっぱり、この声は……)
「ミハロさん!?」
聞き覚えのある中年男性の太い声に、アマーリエは浮かんだ名を告げる。霊具の向こうにいる相手が声を弾ませた。
『ん? その声はダライの能無し長女か! ああ良かった、繋がったんだな! 急に通信が切れたから焦ったさ』
ラミルファの神威に制圧され、霊威も霊具も使えなくなったせいだ。それを察しながら、アマーリエは素早く場を見回した。シュードン以外の全員がこちらを注視している。
「おい、コイツ誰だ?」
フレイムが低い声でラモスとディモスに問う。二頭は渋い面持ちで答えた。
『ミハロ・デーグ。テスオラ王国で、主の父……ダライが行きつけにしていた酒屋の亭主です。半分ゴロツキのような輩で、元伯爵家が付き合うに相応しい者ではありません』
『賭博が大好きで、父親はたびたびこのミハロと勝負しては大敗し、借金を増やしていました。ご主人様にも、その……卑猥で下劣な言葉を浴びせていた人物で、私は好きではありません」
憎々しげに説明する聖獣たちの声を意に介さず、ミハロは続けた。
『能無し長女がいるってことは、ダライもそこにいるんだろ。おいダライ、朝に話した俺との約束忘れてねえよな!? 暴走した神器を正常に戻してくれるって件だよ!』
突然の台詞に、皆がそろって沈黙する。返事がないことに焦れたか、ミハロが早口で喋り出した。
『ほら、昨日も話したろ。俺のデーグ家は昔はいっぱしの神官を出してた家でよ、ずっと前の先祖が神から何個か神器を賜ったんだ。神官を輩出できなくなっても、神器は神官府の許可を得てうちに置いてたが、保管方法を間違えて一個暴走しちまってな。ひとまず他の神器の力で押さえ込んだんだが』
(は!?)
アマーリエはパカっと口を半開きにして硬直した。数ある神器の中には、定められた方法で正しく保管しなければ、あるいは決まった用途で用いなければ、力を暴走させる種類の物もある。
『けどよ、正直に申告したら神官府に激怒されて厳罰処分だろ。どうするか頭を悩ませてたら、お前がうちに高級ワインの転送デリバリーを山ほど注文して来て、次女が高位神の愛し子になったって自慢したんだよな』
それを聞き、膝から力が抜けそうになった。最高の酒を頼むと大騒ぎしていたのに、まさかの属国で行きつけにしていた酒場の店だったとは。
10年近く属国で暮らしていたため、帝国の高級酒店に関する知識がなかったせいだとは思うが、何だか悲しい。
『だから、お前が今まで俺に大負けした分をチャラにしてやるから、次女の力で神器を正常状態に戻してくれって言ったら、お前上機嫌で我がサード家に任せとけっつったよな。それを今すぐやって欲しいんだよ』
「ミ、ミハロさん」
アマーリエはようやく体勢を立て直し、声を割り込ませた。
「父はここにいません。それから、ミリエーナは確かに高位神の愛し子ですが普通の聖威師とは違っていることが分かりまして……結論から言いますと、妹が神器を元に戻すことはおそらく不可能だと思います」
(悪神の聖威師はただの生き餌で、神とは認められないみたいだし……)
予想を立てながらフレイムとラミルファを横目で見ると、二神はその通りだと言わんばかりに頷いた。推測は当たっているようだ。
『……あぁ!?』
ミハロの声がガクンと低くなる。
『おい能無し、ふざけたこと言うなよ。ダライは昨夜快諾したんだ、こっちもそれをアテにしてんだよ! 今になってできませ〜んが通用すると思うのかよ!』
「そう言われても……あっ」
ドスの効いた威嚇を垂れ流す通信機が、ひょいとアマーリエから取り上げられた。ハッと見上げると、穏やかな様相に冷気を纏ったフルードが通信機を摘み上げている。
「だ、大神官」
彼が接近していたことに全く気が付かなかった。呆然と呟くアマーリエの声はミハロには届かなかったらしく、さらにギャンギャンと喚かれる。
『何とか言ったらどうだコラ、ふざけてんのか!?』
「ええ、本当にふざけた話です。神官以外が所有する神器は、神官府の指示の下で厳重に管理する規定になっているはず」
涼やかに応じたフルードに、通信機の向こうが絶句する。
『な……んだお前は!? えっ、ダライは? マジでいないのか? いや、けどダライの通信機にかけてるんだぞ。お前ホントに誰だよ!?』
「私は帝国神官府の大神官です。あなたの話はしかとお聞きしました」
『は? 大神官? ……て、帝国神官府大神官!?』
一拍おいて理解したミハロの声が裏返った。
世界各国の各地域に点在する神官府だが、大神官と神官長を置くのは帝都ないし皇都にある中央本府のみ。聖威師が就任し、仮に聖威師がいなければ空位になるその地位は、全ての神官たちの頂点に立つ称号でもある。
『じ、冗談だよな!? どうして帝国神官府の大神官様がダライの通信機に出るんだよ!? ホラ吹いてんじゃ――』
「静かに。話しているのは私です」
聖威を込めた声で一蹴されたミハロが、カエルが潰れたような呻きを漏らして黙り込む。
「全くもって聞くに耐えない話でした。過去の栄光だとしても、神器を複数賜ったほどの家門でそのような愚行を起こすとは、何と無様な。弁明があるならば言いなさい。発言を許可します」
『…………あ、いや、これはその……あの――神器をいただいたのは本当にずっと前の先祖で、俺は神官のことには全然詳しくなくてですね……』
打って変わって消え入りそうな声に変じたミハロは、本能的に理解したのだろう。通信機の相手が本物の大神官だと。
「また、アマーリエ・サードに対しいかがわしい言葉を浴びせていたという証言も得ましたが、本当ですか。嘘を吐いても私には分かります。正直に言いなさい」
『い、いえ……その、肉付きがいいとか、もっと胸や脚を出して色気のある格好をすればいいとか、昨日の夜着の色は何だったのかとか、酒の席でのちょっとしたジョークのつもりでですね……』
ビキッとフレイムの額に青筋が立った。アマーリエは慌ててその腕を掴み、万一にも暴れないように抑える。
「ジョーク? ただただ気持ちが悪いです。あなたは変態だったのですね。抹殺します。ですがその前に取り調べと罰を受けてもらいます」
薄い氷菓子のように繊細な美貌に怒りと嫌悪をにじませ、フルードが告げた。
「テスオラ王国デーグ家のミハロ。あなたが話したことはたった今、テスオラ王国の神官府に念話で伝えました。まもなく捜査官が急行し、尋問がなされるでしょう」
ありがとうございました。