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74.ある精霊の末路

お読みいただきありがとうございます。

 青薔薇の神。使役に対して特に酷薄だと評判の神だ。こき使うどころか、完全に消耗品扱いするらしい。神域にある巨大な薔薇のアーチや植え込みに使役を縛り付け、蔓の棘から霊威を吸い上げさせて養分にする。誰の霊威が最も青い薔薇を咲かせられるか試しているという。

 霊威を吸い上げる際は凄まじい苦痛を伴うように設定しているらしく、神域には常に使役たちの絶叫と慟哭が溢れているそうだ。


 悪神以外の一般的な神の中では最悪の部類で、咎や問題行為を起こした使役たちが彼の神の担当として送られる。フレイムを虐げていた精霊たちの何割かも行かされているはずだ。


『理由を聞きたそうだな』


 余計なことは喋らない灼神が、珍しく言葉を継いだ。それに背を押され、顔を上げて言い募る。


『は、はい。何故、何故あの神なのです。わ、私が希望したのは焔神様の……』

『黙れ。誰が勝手に話して良いと言った。許可もなく顔まで上げるとは、無礼者が。本来ならばこの時点で処罰ものだが、こうして話すのも最後であるため、今回だけは大目に見よう。……お前の変更希望は却下し、強制転換を行うということだ』


 ブラッドオレンジの眼差しの中に燃えるのは、氷の炎と評されるに相応しい熱く冷たい怒り。


『さらに何故だとは聞くな。精霊マイカを洗脳し、風神様の天馬を暴走させた。こう言えば分かるだろう』


 思考ごと精神が硬直した。双眸を見開き、停止した心で主神の言葉を反芻する。やがて、錆び付いたネジが回るように思考がゆっくりと動き出すと同時に、悟った。



 ――全て露見した



『マイカが死に物狂いで否定していると知ったアマーリエが、フレイムに再調査を提案してくれたそうだ。フレイムの指示により大精霊アルシオが過去視を行い、石柱の紐を切った際のマイカをさらに解析し、内部の状態を確認した』


 大精霊は箔付けとはいえ神格を持ち、神威を使える。その力をもってすれば容易いことだ。


『大精霊はマイカの深層に植え付けられていた洗脳霊威に気付き、その気配を追ってお前に辿り着いた。そして、今度はお前を過去視したのだ。お前が今まで行って来たことは全て明るみに出ている』


 数百年をかけて同輩たちの精神を我が物にし、手駒と化していたこと。自分は表に出ず、マイカに実行犯を押し付けて安全な場所にいたこと。自分より優秀な精霊を蹴り落として排除しようとしたこと。


 この神殿ですれ違った精霊たちの、鋭く冷ややかな目を思い出す。自分の所業は、彼らにももう伝えられているのだ。おそらく精霊全員に。


『青薔薇の神の元には、お前が親しくしていたという精霊たちもいる。配置換えの暁には、さぞや楽しく昔話ができるだろう』


 灼神が示す精霊が誰なのか、反射的に悟った。フレイムを虐げていた者たちだ。自分は、彼らに手酷い仕打ちを受けるフレイムを見て、共に笑っていた。だが、フレイムが高位神となった後は態度を翻して彼らを弾劾し、自分は最初からフレイムの味方で密かに慰めていたと叫んだ――彼らの目の前で。

 あの時彼らが自分に向けていた、憤怒と憎悪の眼差し。


『あ……あぁ……』


 目の前がひび割れ、脳裏に広がっていた明るい未来が真っ黒に塗り潰される。


『お、お許し下さい……お許し……』

『そう悲観することはない。青薔薇の神とて、毎日同じ使役の霊威を薔薇の肥料にしているわけではないそうだ。養分になる日と通常の使役として使われる日が半々だと聞いている。後者の日は旧来の友たちと語らうこともできるだろう』


 火神の御子に似つかわしくない凍土の気迫を帯びる灼神は、ああそうだ、と手を打った。


『これも話しておかねば。薔薇の養分として強制吸収される時を除き、これ以降お前の霊威は封じられる。つまり使用不可となるが、自身の努力と創意工夫で補い、青薔薇神によく仕えるように。何、案ずるな。お前の友である精霊たちにも、今のことは伝えておく。皆、親切にお前を助けてくれるだろう』

『れいい、が、つかえない……?』


 自分を激しく憎んでいる者たちの中に、丸腰で放り込まれる。そうなればどんな扱いを受けることか。いっそ自害したくとも、青薔薇の神は自死防止の神威で使役を縛っていると聞く。


『お前の行いの結果、アマーリエとフルードが――我が義妹と義弟が神罰牢へ落ちかけた。本来ならばお前を代わりにあの穴に放り込むところだが、今は慶事中のため、罰を減免することになったのだ。有り難く思え。お前ならば、青薔薇神に特別に気に入られる可能性もある。期待しているのだな』


 青薔薇の神は、特に気に入った使役の体内に薔薇の種を植え付けることもあるそうだ。寄生主の霊威を栄養源として育つ薔薇は、臓腑や骨肉を食い荒らしながら成長し、最後は体内を突き破り外へ飛び出して咲き誇るらしい。それでも、大事な苗床である宿主を殺さないように常時回復・治癒させながら生息するので、死ぬことも発狂することもできないという。


『お待ち下さい! 待って下さい、待って……え、焔神様と話をさせて下さい! 焔神様と!』

(フレイムなら守ってくれる。灼神様の衣を汚した時だって助けてくれた。俺を使役にして助けてくれる。だって同じ精霊だったんだから……)


 だが、間髪入れずに突き返された答えは残酷だった。


『我が弟は全て知っている。お前の処分も承知の上だ。お前の顔は見たくないと言っていた』


 赤みがかったオレンジ色の眼に火の粉が舞い散り、熾烈な憤りが閃く。ギリリと奥歯を噛み締めた口から、囁きより小さな唸りが漏れる。


『真実を知った時、あの子は涙目になっていた……泣かせおって』


 だが、その声はパニック状態の自分の耳を右から左へとすり抜けていく。


『我が弟のことは気にするな。義妹(アマーリエ)がしっかり支えている。むろん、我ら家族神と義弟(フルード)もだ。あの子の心は身内たる神々が癒す。部外者のお前は何も心配せず新天地へ行くが良い』


 灼神の腕がゆらりと上がる。


『い、嫌です、嫌です……嫌だ!』

(どうして、ずっと賢く生きて来た優秀な俺が、何故こんなことに……)


 涙目と鼻水、唾液が混じり合って汚れた顔には頓着せず、凍れる炎の神は冷たい眼差しを向けた。


『お前は大して有能ではなく、仕事もできるとは言えぬ駑馬(どば)であった。その割に自意識は高いため、周囲の精霊からは陰で呆れられていたようだが――それでも私の下働きだった者だ。最後はこの手で送り出してやろう』


 掲げられた手が動き、パチンと指が鳴った。視界がグニャリと歪む。強制転移させられるのだと察した。青薔薇の神の元へ――いつ終わるかも分からぬ生き地獄へと。


『いや、だ……』


 縋るように伸ばした手を、誰も取ってくれない。白に染め抜かれて砕け散る視界の中で、灼神の宣告が響いた。


『今までご苦労であった、メルビン』

ありがとうございました。

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