46.破り捨てられた神託
お読みいただきありがとうございます。
「どうもこうもねえよ。さっさと過去視してみればいいだろ」
不気味に笑うラミルファを、フレイムがピシャリとぶった切る。
『ふふ、相変わらず真面目だな。それに効率的で合理的でもある。意外なことに』
「お前が場当たり次第すぎるだけだよ! つか意外って何だ意外って」
すぐさま飛んで来る文句を聞き流し、少年の細い指が宙を滑った。
『では過去を視てみよう。皆も視たいだろうから共有してあげようか』
パチンと指を鳴らすと、フレイムが天界の様子を写した時と同じような、丸い光が現れた。
『今から9年前の光景を映す。投影対象は僕が勧請を受けた邸。時間は神託を下ろす直前だ』
光が揺らぎ、こぢんまりとした邸の門が映り込んだ。
(属国の……母の実家だわ)
率直に言って良い思い出がない場所だ。アマーリエは複雑な気持ちで映像に視線を送る。
と、玄関が勢いよく開き、バタバタと家族が出て来た。今よりも若いダライとネイーシャ、ダライに抱かれているミリエーナ、そしてネイーシャに引っ張られている小さなアマーリエ。キョトリと丸い目を瞬かせているミリエーナ以外は、一様に強張った顔をしている。一家の後ろからラモスとディモスも飛び出して来た。
アマーリエはハッとして現実のディモスを見る。ふかふかの毛を赤く染めた霊獣の片割れは、地に座り込んだままじっとしていた。邪神の力を受けた傷は全く治っていない。すぐ隣にはラモスが寄り添っている。
(早く手当をしてあげたいわ。けれど、邪神様の力で負った傷を治すなんて聖威師でも無理なのでは……)
「アマーリエ」
虚空に視線を送るフレイムが、まだ子どものアマーリエを見て呟いた。
『繰り返しますが、どうか今日のことはくれぐれも内密に……! 皆様にももう一度お伝え下さい』
『え、ええ……』
映像の中では、後ろから見送りに出た初老の女性の手に、ダライが皮袋を押し付けている。ジャラリと硬貨の音が鳴った。気圧されるように受け取った女性を置き去る勢いで、ダライとネイーシャが走り出した。
『待って、お父様、お母様……』
まだ10歳にも満たないアマーリエが細い足で付いて行こうとするが、小石に躓いて転倒した。膝が地面に擦れ、赤い飛沫が飛び散る。
息を潜めて映像を見ていた神官たちが緊張の空気を纏い、フレイムが小さく息を呑んだ。
『主!』
『ご主人様!』
ラモスとディモスがすぐに駆け寄った。
『何をしているの、ノロマね!』
金切り声を上げたネイーシャが霊獣たちを押しのけると、アマーリエの腕を掴んで引きずり立たせた。
『さっさと来い!』
ダライが怒鳴る。ネイーシャと共に、足から血を流す長女を気遣いもせず、大人の速度で走る。母に引きずられるアマーリエは、何度も転びそうになりながら必死で付いて行く。ラモスとディモスが左右に寄り添っていた。
邸の門を抜けた親子の姿は、瞬く間に道の向こうに消えた。
『元気だな、君たち。一家でマラソン大会にでも出るのか?』
ラミルファが笑いを堪えるように口元に指を当てながら言った。
「…………」
フレイムは無言だ。気遣うようにアマーリエの背を撫でながら、ダライとネイーシャ――映像ではなく現実にいる方だ――に射殺しそうな眼光を向けている。周囲の神官たちも、夫婦に冷ややかな眼差しを向けていた。
アマーリエはそっと息を吸い込んだ。
(これは……ラミルファ様を勧請して、不快にさせてしまった後の光景だわ)
『は、母上……』
玄関を開けたまま立ち尽くす初老の女性に、邸の中から歩いて来た壮年の男性が声をかけた。
『こんなことになって、俺たちはどうすれば……』
男性に続いて出て来た中年の女性も、不安そうな顔で胸元のストールをかき合わせた。
『帝国――宗主国から来た神官なのに、神を怒らせるなんて。しかも有色の高位神よ。私たちにも悪いことがあるのではなくて?』
『あの娘の縁談を取り持つという話はどうする?』
『受けるはずがないじゃない! 神に嫌われた娘の世話なんて焼いたら祟られるわ!』
ヒステリーを起こしたように怒鳴る中年女性の容姿は、ネイーシャに似通っていた。
「アマーリエ。この方々が母方のお身内ですか?」
倒れたきり動かないミリエーナを背に庇った体勢のまま、映像を注視しているフルードが声をかけて来た。
「は、はい。母の親戚です」
と、映像の中で、息を切らした若い娘が小走りでやって来た。細長い緑の箱を両手で捧げ持っている。箱の中には折り畳まれた紙が入っていた。
『おばあ様! い、今、勧請の間にある神託箱が光って神告文が出現しました!』
『ええっ、うちに神告文が!? そんなこと前代未聞だわ!』
初老の女性が目を剥いて箱を見つめる。恐る恐る手を伸ばし、折り畳まれた紙の角を摘んで上の方をそっと開いた。最上段の一行目だけ読み、絶叫して紙を箱の中に放り戻す。
『ひいいぃぃ!』
『どうしたの、お母様!?』
中年女性が顔色を変えて駆け寄った。
『さ、先ほどの神からだと書いてあるわ! 高位神からの託宣よ!』
『ええぇぇ!?』
初老の女性と悲鳴を上げた中年の女性が、抱き合ってへたり込む。
『き、きっとお怒りの御文だ! そうに違いない! 俺たちも祟られるんだ! うわああぁあ!』
勝手に決め付けた男性が頭を抱えて叫び、金切り声を上げた娘が限界まで腕を伸ばして箱を遠ざけた。
『きゃあああぁ! いやああぁ!』
四人がそれぞれ騒いでいる様子を眺めていたフレイムが、アマーリエを振り返った。真面目な顔で言う。
「おいアマーリエ。バカ母とバカ妹のぶっ飛び思考ヒステリックモードは絶対この家系からの遺伝だぞ」
「ぶ、ぶっ飛び……ヒス……え、えぇ……まぁ……」
何と返せばいいか分からないアマーリエは、曖昧に口を濁す。
箱の中の紙を凝視しながら賑やかに叫び続ける四人を見つめ、ラミルファが薄い笑みで呟いた。
『取りあえず読めよ』
邪神に正論を言われている。アマーリエが虚ろな目で映像を見上げた時。
『あのぅ、すみません』
細い声が聞こえた。邸の門を潜り、白に近い薄翠色の法衣を着込んだ少年が入って来る。
(……あら?)
「シュードン?」
線の細い少年を見たアマーリエは、反射的に声を出していた。そこに映っていたのは、間違いなく妹の元婚約者だった。後ろには従者の男性が控えており、布に包まれた大きめの箱を持っている。
(どうして彼がここに?)
当時の彼は、まだミリエーナと婚約していない。この騒動の後でミリエーナが徴を発現し、ダライがグランズ家に打診して婚約者になったはずだ。
現実世界でシュードンがいる方を見ると、神官たちも彼に視線を向けていた。万座の注目を浴びたシュードンは、青白い顔で震えている。だが、映像は現実に構うことなく進んでいく。
未だ開け放したままの玄関で騒いでいた四人がハッと我に返った。初老の女性が咳払いしながら身なりを正す。
『あら……ど、どちら様?』
『ミレニアム帝国グランズ子爵家の次男、シュードンと申します』
やや緊張した面持ちで頭を下げ、シュードンは身分証を出して女性に見せた。
『突然の訪問を申し訳ありません。サード家のダライ様とネイーシャ様はおいででしょうか? 我がグランズ家は以前より、サード家から幾度か贈り物をいただいていました』
ダライは凋落したサード家を立て直そうと、後ろ盾になってくれそうな帝国の貴族にたびたび付け届けを送っていた。ほとんど無視され、形式的な礼状しか返って来なかったが。
『時期を同じくして我が家で弔事があったため、返礼が先延ばしになってしまい申し訳ありません。遅くなりましたがお礼をお持ちしました』
後ろに控える従者が、布に包まれた箱を軽く掲げて目礼する。次男とはいえ嫡子を寄越したグランズ家の対応は他の家と比べて破格だ。おそらく、返礼が大幅に遅れたことへの詫びを含んでいるのだろう。
『まあ、それはご丁寧に……でもどうしてうちにいらしたの?』
『え? サード家の暫定の滞在先として、こちらの邸が登録されていましたので……違ったでしょうか?』
『あっ……そうだったわね。ごめんなさい、元々入る予定だった邸が準備できたから、皆そちらにいるのよ。登録している情報を更新するのを忘れていたわ』
帝国から長期出向したサード家が滞在する邸は、テスオラ王国の神官府が用意する手はずになっていた。だが、関係者の伝達ミスで準備が遅れたため、当初はネイーシャの実家に暫定で世話になることを視野に入れていた。
結局、邸の用意が何とか間に合ったので問題はなかったのだが……母の実家もネイーシャも、事前に提出した連絡先を更新していなかったらしい。さすがは何事にもルーズな家だ。
『そうでしたか。すみません、事前に確認してから伺うべきでした。失礼ですが、サード家がいらっしゃるお邸の場所を教えていただけませんでしょうか?』
『ええ、メモを渡すわ』
初老の女性が目配せすると、壮年の男性が懐からメモ用紙とペンを取り出し、サラサラと文字を書き付けてシュードンの従者に渡した。
『坊っちゃま。一応、このことを旦那様に報告して参ります。もしかしたら、アポイントを取って後日再訪した方がいいと言われるかもしれませんし。すぐに戻りますので少しお待ち下さい』
『ああ』
従者がシュードンに囁くと、腕に付けていた転移霊具を起動させてその場からかき消える。
『ごめんなさいね。実は、ダライさんたちは先ほどまでここに来ていたのだけれど、帰ってしまって……ああ、そうだわ!』
申し訳なさそうに言いかけた女性が、ハッと目を輝かせた。
『シュードン君! 法衣を着ているということは、あなたも神官なのね?』
『は、はい。もう見習い期間が終わります』
『ちょうど良かったわ! 神官なら神託を扱えるでしょう。この神告文をダライさんに……サード家に渡してくれないかしら?』
ホッとした顔で言った女性が緑の箱に入った紙に目を向ける。箱を持っていた娘もこれ幸いと頷き、押し付けるようにしてシュードンに箱を渡した。
『え、えっと、これは……?』
『高位神様からのお告げよ。内容の見当は付いているわ。詳しくは話せないけれど、色々と事情があってね……多分アマーリエの件だと思うの。ダライさんとネイーシャに対応してもらうのが一番いいから、届けてくれないかしら。神官府への報告もサード家から上げてもらうよう伝えて下さる? 私たちはもう、この神託のことは忘れるわ』
アマーリエは唖然とした。自分たちの家に届けられた神託を、それも高位の神からの託宣を、きちんと読みもせずまだ見習いの子どもに丸投げするとは。おそらく怒りの神告文が届いたと思い込んでいるのだろう、保身に必死だ。
(どれだけいい加減なのよ……)
横目でラミルファを見ると、笑みを貼り付けたまま硬直していた。従神たちが溜め息を吐く。
『何とまあ……こやつらは本当に神官なのか?』
『属国の神官のレベルの低さよ……』
『神のお告げを何だと思っておるのか』
投影された幼いシュードンは困惑しながらも箱を受け取り、女性たちと少し話をした後で邸を辞去した。
『神託か……神告文って初めて見るな』
門の前で一人になったシュードンはそう呟き、渡された箱を見ていたが、おもむろに中の紙を取り出す。
『少しくらい読んで良いよな』
(良くないわよ!)
アマーリエは内心で突っ込んだ。他者宛の書簡は読まない。常識である。それが神託であればなおのこと。大きな輪をなして映像を見守る神官たちも、一斉に眉を曇らせていた。現実のシュードンは、何故か真っ青になって俯いている。
皆の声なき制止の念を跳ね返し、幼いシュードンは紙を広げ、悪神が書いたとは思えぬ流麗な筆跡を読み込んだ。
『…………』
しばし沈黙が落ちる。
(どうしたのかしら)
アマーリエが心配になった時。シュードンが緩慢に動いた。
『神を……勧請したのか。それにこの書き方とさっきの婆さんの台詞……勧請者ってもしかしてアマーリエか? あのクソ弱い霊威の奴だろ』
小さく呟く。その目からは光が消えていた。
『積極的に神の前に出せ? 美しい気? 神が認める? ……冗談じゃねえよ』
焦りと憎悪にまみれた顔で、映像越しのシュードンが唸る。
『そんなことして、もしアイツの評価が上がったら……俺が正真正銘の最底辺になっちまうだろうが。俺より霊威が低いアイツがいるから、何とかドベを免れてるのに』
手の中で握り潰された神託の紙が、乾いた音を立てた。
『お前はずっと一番下でいろ、アマーリエ。俺のためにな』
そして、丸めた神託を開くと、指に力を込めて引き裂いた。ビリビリと嫌な音が響く。
『こんな神託、要らねーよ。無かったことにしてやる』
そして、細かな紙片と化した神告文を、吹き付ける風に乗せるように放った。
虚空に紙の花びらが散る。
真っ白なそれは虚空にばらまかれ、近くを流れる川に落ちていった。
『坊ちゃん、お待たせしました』
従者が転移で戻って来る。
『ああ。父様は何て言ってた? このままサード家がいる場所に行くか、日を改めるか……』
シュードンは澄まし顔で話しかけた。何事もなかったかのように。そして、従者と会話しながら歩き出す。
川に落ちそびれた神託の残骸が一欠片、風に乗ってヒラリと舞った。
ありがとうございました。