72.ある精霊の独白 中編
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開放感のある廊下は、絨毯の模様から調度品まで完全な左右対称となっている。廊下だけでなく、この神域全体がそうだ。神苑の植え込みや草花、神殿の造形と内部、全てが綿密に均整の取れたものだ。主神の几帳面さが反映されている。
焔神の神域はもっと伸び伸びしているだろうと考え、再びマイカのことに意識が向く。
(マイカもバカな女だ。洗脳霊威を植え込んでいたから、あいつの心は大体分かっていた。フレイムのことを好きなのに素直になれず、傲慢に見下して自分優位に立ち、支配しようとした)
あなたは本当に役立たないとか失敗ばかりして使えないだとか、鼻で笑いながら罵っていた。男でも女でも、好きな相手にこそ意地悪を言いたくなる者がいるらしいが、マイカもそのクチだったのだろう。
フレイムは怒ったり言い返すことなく聞き流し、マイカをあからさまに避けるようなこともしなかった。だが、側から見れば彼女の言葉に傷付いていたのは明らかであり、怒りはせずとも悲しそうな顔をしていた。まさか彼女が自身に好意を持っており、その裏返しの態度だとは想像もしていなかっただろう。
(フレイムは一部の精霊から目の敵にされていた。火神様から分け出でた存在でありながら、強い霊威を持っているわけでもなく、自分たちと同じ非力な精霊という立場。神々には示せない不満や鬱憤をぶつけるちょうど良いはけ口だったからな)
神もそうだが、天で生まれた生粋の精霊には痛覚がない。単に殴られたり蹴られたり叩かれるだけでは、痛みを覚えない。ゆえに、人間の神官から神使になった者たちが、扉に指を挟んだり、庭で転んだりして痛がる感覚が理解し切れない。
だが、そんな天の存在たちも、自分と同格以上の霊威や聖威、神威を込めて傷付けられれば、苦痛を覚える。フレイムの心身に痛みを刻み付ける方法など幾らでもあった。
(あーあ、バッッッカだなぁぁ。フレイムは下に見て良い存在じゃない。頭が良い奴なら分かるだろうに。精霊の分際で火神から名前を賜ったんだから)
火神は精霊などの下働きに対しても情が篤い。あくまで他の神と比較すればの話ではあるが、神々の中では群を抜いて使役への思いやりがある。
自身から偶発的に生まれた精霊に、火神なりに思うところがあったのか、フレイムという名を授けた。その時点で、彼が幾ばくかは火神に目をかけられていることは予想できる。にも関わらず、頭が空っぽな愚者たちは、それすらも気に入らないと執拗にフレイムを呵責していた。
(俺は賢い。フレイムに悪感情を抱かれないよう、かといってフレイムを嫌う精霊に睨まれたりもしないよう、両者の間で上手く立ち回った。将来、どちらが優位になっても生き残れるように)
霊威で手酷く責め苛まれ、わざと失敗させられたりミスを押し付けられるフレイムを、その場では庇いも守りもしなかった。優越感たっぷりでニヤニヤしながら眺めるマイカや、目を逸らして素知らぬ振りをしているヨルンたちの側で、虐めている精霊に追従笑いしていた。
だが、後でこっそりフレイムに会いに行き、酷い目に遭ったな、お前を虐めている奴らが怖くて迎合するしかないんだ、何もできなくてごめんな、俺はお前が悪くないと分かっているからなと言って慰めた。何度も何度も、ずっとそうしていた。
そんな自分を見つめるフレイムは、光のない目をして、力なく口元だけで微笑んでいた。きっと執拗に加虐されたことで気力が湧かなかったのだろう。双方に対して好印象を与えておく自分の対応は、我ながら完璧だったと思う。
(中には鈍臭い精霊たちもいて、フレイムを表立って庇っていた。要領が悪くて仕事も遅い下級精霊共で、仕えている主神にいつも叱られていた。使えなさすぎて、そのうち冷酷な神の所に配置換えされるという話も出ていた)
神殿の長い廊下を抜けるまで、何体かの精霊とすれ違った。皆、一瞬動きを止めて自分に刺すような視線を送って来る。どうしたのだろうと訝るも、それも当然だと思い直した。おそらく嫉妬と羨望の目だ。何故なら――と思考を巡らせながら、一つの部屋に入る。
(だが、結果としてはあの鈍臭共が大正解だった。フレイムが火神の神使になり、ついに高位神まで上り詰めたんだからな。鈍臭精霊たちは、いよいよ冷酷な神の元に下げ渡される寸前、フレイム直々のお声かかりで神使に引き抜かれた。特に、精霊時代のフレイムに親身に寄り添っていた奴らは、従神にまでなった)
奇跡中の奇跡と言える大抜擢だ。元が下働きであるフレイムは、自身の使役に対してめっぽう優しい。彼付きになれれば、まさしく天国のような暮らしを送ることができる。ましてや神格を賜って従神となれば、神々の仲間入りだ。永劫の幸福と安泰が確約される。精霊にとっては夢のまた夢、望みを抱くことすら愚かしい理想の至福だった。
精霊たちは目の色を変えてフレイムに殺到し、ヨルンなど見て見ぬ振りをして来た者たちも一斉に手のひらを返した。マイカも必死で媚を売るようになった。だが、フレイムはやんわりとそれらを受け流し、新たな使役を取ろうとはしなかった。
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