45.邪神の事情 後編
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見えないボールを乗せるように手の平を揺らし、ラミルファはクスクスと笑った。
『本当にタイミングが良かった。もしレフィーがずっと帝国神官府に……聖威師の目が届くところにいれば。神使選定で神官府全体の気が混乱状態になっていなければ。聖威師がレフィーだけと個別に向き合う機会があれば。そうすれば、レフィーの気の混濁と、その奥にある魂の澱みに気付かれていた。そうなれば早期に対処されてしまったかもしれない』
実際は、ミリエーナは長年属国におり、聖威師と個別に対面する機会などなかった。また、神使を選定するために天から次々に使役が降り、その強力な波動が神官府の中で複雑に交差している時でもあった。加えて神官たちも前代未聞の状況にひどく動揺し、大半が己の気を刺々しく逆立たせていた。
それらが重なった結果、ミリエーナの気の濁りが紛れて分かりにくくなってしまったのだ。聖威師はもちろん天威師とて、神格を抑えている状態では万能ではない。条件が重なれば見過ごしが起こることもある。火炎霊具爆発の一件で気が付いた時には、もう遅かった。
『とはいえ、ヒヤリとする場面はあった。帝国の神官府に出勤するようになったレフィーが、聖威師の一人と直に接触してしまったから。あれで勘付かれかけた。まぁ仮誓約が間に合ったから良かったが』
チラと佳良を見て放たれた台詞に、アマーリエは初めて彼女と会った日のことを思い出した。
あの時、ミリエーナは他の神官数人と共に佳良の元に乗り込み、その体にしがみついていた。そして、佳良は無言で眉を跳ね上げた。いきなり飛び付かれた不快感を示したのだと思っていたが、もしやミリエーナの魂の波動がよろしくないことを朧げにでも察しかけたのかもしれない。
だが、それを他の聖威師たちに報告して対策を検討している時間はなかった。あの後すぐ後に火炎霊具の爆発が起こり、ミリエーナは仮誓約を結んでしまったのだから。もしかしたら、ミリエーナが佳良と接触したことが、ラミルファを急がせる結果になったのかもしれない。
『そして僕は星降の儀で降臨し、見事に本誓約にこぎつけたわけだ』
嬉しそうに話す内容に、しかし、フレイムは納得していない表情を浮かべた。
「何でわざわざ星降の儀の日を選んだ? もしも土壇場でバカ妹に正体を気付かれれば、聖威師の主神に助けを求められちまうだろ』
確実にミリエーナを手に入れたいならば、他の神がいない場で本誓約をした方が良かったはずだ。当然の疑問に、ラミルファは子どものように無邪気な顔で笑った。
『神々の中でも最高峰に位置するこの僕が寵児を得る、記念すべき瞬間だ。相応の大きな舞台で実行するべきだと思った。最高だったよ、あの瞬間は僕が主役だったのだから』
それを聞いたアマーリエは脱力した。要するに、ただ目立ちたかったのか。大祭である星降の儀は、彼の舞台装置に使われたのだ。フレイムがぽりぽりと頰をかいた。
「あー……じゃあ、結局9年前と同じ姿で降りたのは何でだ?」
『僕を見た時の反応で確かめたかったからだ。愛し子とその家族が、薄々でも僕の正体を察しているか否か。もし予想通り、僕が悪神だと気付いていないようなら、それはそれで面白い。騙して遊んでやろうと思った。例えば、多くの神官が憧れる高位神、ルファリオンの振りをしてみるとか』
「おい、それ……もし悪神だと察知されてたらどうするつもりだったんだよ」
結果的には予想が当たっており、ルファリオンだと信じ込ませる遊びは成功した。だが、それは結果論だ。
「お前って思考も言動も結構ガバガバだよな。バカ家族たちが何一つ気付いてなかったから、全部成功したってだけで」
呆れ声でやれやれと首を振るフレイム。返答は高らかな嗤いだった。
『僕の正体に気付かれていたとしてもどうにでもなったよ。そうしたらレフィーと家族を即座に気絶させるつもりだった。レフィーが自らの意思で助けを求めなければ、他の高位神は動けない。だから意識を刈り取ってその意思を奪った上で、魂を支配して強制的に本誓約を受けさせるつもりだった』
(最初から拒否権はなかったってことね……)
アマーリエは苦々しい思いで唇を噛む。フレイムが舌打ちした。
「そうだったな、お前は禍神の分け身にして御子神だ。愉しいことが大好きで、いざとなれば最強クラスの神威で矛盾も真理も理屈もねじ伏せて力技で全てを思い通りにできる。だったら確実性や一貫性なんざ考えず、行き当たりばったりで好きに動くわな」
ラミルファが小馬鹿にした顔で平然と頷く。自分の力に圧倒的な自信を持っている証だ。
『そうだよ。実際はいざという事態など訪れなかったが。レフィーと父親は僕を怪しまず、ただ寵を得られたことに感激するだけだった。サード邸では母親にも会ったが、全く僕を疑っていなかった。唯一疑問を持っていたのは汚い姉だったけど、悪神だとは予想していなかったようだし』
「愛し子の家が見たいとか吐かしてわざわざサード邸に来たのは、家族の反応を間近で確認するためか」
『ああ。無邪気に僕を運命神だと信じているから、滑稽だったよ。……本当はあの時に過去視ができれば良かったのだが。僕のことをどこまで分かっているか確かめるために、レフィーたちの心も読もうと思っていた。神威を極力使わないようにというのは天界での話で、地上は範囲に含まれていないから』
ラミルファの双眸が聖威師たちに向けられた。
『だが、星降の儀で少しばかり聖威師をからかったから、主神たちに注意されてしまった。こら〜、プンプン、という神威を僕にぶつけて来たせいで、少々力が乱れてしまっていてね。第一目的であるレフィーとの本誓約はできたが、過去や心までは視通せなかった』
「自業自得だろ」
フレイムがじっとりとした眼差しで切り捨てた。
『ふふ、冷たいなぁ。僕の神威を強めて強引に力を安定させることはできたが、あの時は本誓約が成ったことで機嫌が良かった。だから、無理に今すぐ過去視や読心をしなくてもいいかと思ったのだよ。愛し子に会うという名目でまた後日降臨して、その時に視ればいいのだから』
「その後日ってのが今日なわけか」
『そうだよ。本誓約ができたことはめでたい。だが、レフィーと家族たちが、レフィーの姉を異様に無能扱いしていることへの疑問は解決していない』
そもそも、ラミルファが最初に違和感を抱いたのはその点だった。
『僕のことを欠片も怪しまず、普通の神だと信じ切っていることも、不自然といえば不自然だった。単に彼らが馬鹿なだけかもしれないが……もしも僕の神託を実行していなかったのが理由なら、何故実行しなかったのか確認するつもりだった。神の託宣に逆らったわけだから』
そこまで話し、少年の姿をした神はやれやれと肩を竦めた。ほっそりした指でフレイムを示す。
『そう思っていたのに、その前にいきなり君が乱入して来た。それで僕の正体がバレて、今こうなっているわけだ。色々と台無しじゃないか、君のせいだ』
「俺が悪いのかよ! バカ妹の周りを視てたんならアマーリエの側に俺がいたことも知ってただろ!?」
『ああ。だが、僕の生き餌を狙っているわけではないようだと分かってからは、あまり気にしていなかった。君は君で何か役目を持って動いているようだったし、僕の邪魔をしないなら良いかと思って無視していたのだが……その結果が今の状況だ』
これに関しては失敗したかな、と言った邪の神は、不意に凶悪な嗤笑を浮かべた。
『さて。これが僕の経緯だ。次はそちらの番だよ。レフィーと家族たちは、やはり僕が悪神だと分かっていなかった。そして、僕の神託を実行していなかったのではなく、何と神託そのものを認知していなかったわけだ。……はてさて、これは一体どういうことだろう?』
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