62.悪神兄たちの娯遊 前編
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光が絶え、希望が絶え、未来が絶え。明るさと幸福を示す全てが死に絶えた暗黒の神域。死穢という名の葬歌に満たされた空間で、巨大な一つ目をギュルンと回す疫神が、ドス黒い蔓がビッシリと這う地面をコロコロ転がっていた。
『おいディス、勝手に俺の領域に入って転がり虫になるんじゃない』
空気どころか空間そのものが死んでいる中を悠々と突っ切り、葬邪神がやって来た。
『来てみたけど、アレク、いなかった。戻るまで遊んでた』
醜悪な緑の体をどっこいせと起こし、悪神姿の疫神が巨瞳をむぅと細める。
『すまんな、用事があって他の神の所に行ってたんだ。念話してくれて良かったんだぞ』
『もう少し遅かったら、してた。転がるの、そろそろ飽きて来たトコだった』
『そうか。で、何の用だ?』
『我、退屈。アレク、一緒遊ぶ』
『またそれか。困ったモンだなお前は。ほんの何年か前に散々暴れたじゃないか。ほら、アマーリエたちが天地狂乱と呼んでいる大騒動の時だ。アマーリエはあの時に一皮剥けたんだなぁ、きっと』
『あの時、我、遊んだない。神鎮め、手伝っただけ。その後、誰も遊んでくれなかった。我、超がっかり。つまらない。退屈退屈、たーいくつ』
『お前の遊び心は無尽蔵だな〜もう。求められる方の身にもなってくれ』
『我も、アレクなんかに頼みたくない。お前、真面目でウザい。面白くない』
『はは、ディスにディスられたぁ』
渾身の邪神ジョークは鼻先でせせら笑われ、あっさりスルーされた。
『でも、お前しかいない、仕方ない。ハルア、滅多に遊んでくれないから』
両手の人差し指をちょんちょんと合わせ、疫神が拗ねたように下を向く。
『お前とまともにやり合えるのは俺とハルアくらいだしなぁ。他の子達は全員大人しすぎる』
疫神が覚醒時にほんの少し羽目を外しかけた際は、止めに入った狼神が圧倒した。だがそれは、アマーリエを本気で泣かせてしまったことに気付いた疫神が、遊びを中断すると決めており、それがゆえに反撃しなかったからだ。もしも疫神にその気があったならば、狼神の抑えを撥ね退けて攻勢に転じていただろう。そうなれば互角の喧嘩になっていた。
『フレディもお前の前では赤子同然だしな』
『そういえば、アレク。我が起きた時、何でフレディ、呼び戻さなかった? あの子も大人しい、でも、焔神様やラミより、まだマシなのに』
『あの子は最初から援軍対象に入れてなかった。暴神と悪戯神がそろってみろ、しっちゃかめっちゃかになるだろうが。ついでにツォルも論外だったぞ。あの面倒くさがりに頼んだところで、めんどいだるいと一蹴されて終わりなのは目に見えておったからな』
『あは、なるほど。ねえアレク、早く遊ぶ』
『俺は良い子の真面目君だから遊ぶの好きじゃないんだなぁ』
『ほら、そういうトコ、ウザい』
『ふん、何とでも言っておれ』
鼻を鳴らす葬邪神の前で、膨れた腹をボヨンと揺らし、小柄な体が中で一回転した。音もなく降り立った時、その姿は片割れに似た絶世の美青年に変化していた。
『おっ、その姿になるのか』
『お前に合わせてやった。お前も我に合わせろ』
腕組みした疫神が、不遜な顔でふふんと笑う。
『姿を変えるだけのお前と遊びに付き合わされる俺じゃ釣り合いが取れんだろ!』
『知らんなぁ』
『お前……いや、良い。とにかくだ』
ジト目で咳払いした葬邪神が、仕切り直すように言う。
『良いタイミングで来てくれた。俺もちょうどお前に頼みたいことがあるんだ』
『断る』
『いや聞けよ! せめて聞いてから断れ! ――俺じゃなくラミからのお願いだったら?』
『受けるに決まっておる』
疫神が対応と態度を綺麗に反転させた。実に見事な手のひらクルリンパである。
『だからまずは聞け! 内容も確認せずに引き受けて、もし吹っ掛けられたらどうするんだ!』
『あの子は兄にそんなことはせん。優しすぎるからな。多少のことはともかく、本気でこちらが困るようなことはできん。お前じゃあるまいし』
『俺だってせんわ! 最後が余計なんだな〜お前!』
ピキッとこめかみを引き攣らせた葬邪神だが、はぁと嘆息して続けた。
『もう良い、とっとと本題に入る。……聖威師の滞留書の件だ』
疫神の面に張り付いていた薄笑いが消える。
『高次会議では帰還賛成派として廃止に入れて欲しい』
『仕方あるまいよ。お前は継続に入れるのだろう?』
『ああ』
くくっと忍び笑いを漏らし、葬邪神よりもストレートに近い髪をかき上げた疫神が唇の端を持ち上げる。
『つくづく奇妙な状態になっていることだ。お前と我の派閥は、本当は逆――お前は帰還賛成派で我は尊重派だというのになぁ』
『……お前にはすまんと思っている』
『申し訳なく思うなら相手をしてくれ。我は暇なのだ』
疫神がゆらりゆらりと手の甲を上向けて揺らした。まるで、凶暴な虎か豹が兄弟を戯れに誘っているようだ。なお、ラミルファも遊びたい時はじゃれ付いて来るが、双子神から見れば、生まれたての仔猫がコロンとお腹を見せて甘えているようにしか見えない。
『……あ〜もう、仕方ないな。少しだけだぞ』
葬邪神が諦観を込めた承諾を返すと、片割れの顔が輝いた。猛獣のごとく見開かれた双眸の中で、縦に裂けた瞳孔が凄絶な威圧を放つ。
『おお、今日は珍しく聞き分けが良いな!』
『お前はいつもながら聞き分けが悪いがな。――ほれ、結界を張った。結界の外には余波も含めて影響が及ばんよう、力を調整してくれ。特に今は無力な聖威師がいるからな、頼んだぞ』
『承知しておる。面倒だが、か弱い雛神のためならば致し方あるまい』
漆黒の落雷が、停止した空間を貫いて大量に降り注ぎ、頭上に掲げた疫神の掌中で一条が槍に転じる。暴れ神は神衣を翻して両手を広げ、歓喜を刷いた顔で告げた。
『遊ぼう、アレク!』
『分かった分かった』
おざなりな頷きに従い、刃物のごとく鋭利な側面を持つ黒い平蔓が無数に湧き上がると、肩下まで軽く持ち上げた葬邪神の手に集い、両刃の剣と化す。
疫神が獲物を一回転させ、葬邪神は剣身を斜に一振りする。半瞬後、二神から甚大無比な神威が迸り、全てが死滅した領域の中で激突した。
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