59.かつて誓ったこと
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『俺は神格を授かる直前まで、精霊を家族だと思う神になると決めていたんだ』
他の者を全て下がらせ、夫婦だけになった部屋で、フレイムがポツリポツリと呟いた。ヨルンの処遇が決まり、神々が解散してから、アンディと水晶神を含む聖威師や神々と事後処理などの話をした後、焔神の領域に戻って来たのだ。
『使役の価値なんて、天界じゃ塵も同然だ。自分が生き残るために仲間を見捨てたり、裏切ることもある。……俺もやったことがある。精霊同士で喧嘩が起こってな、上位精霊が作った強力な霊具を持ち出して応戦した奴がいたんだが、それを誤作動させちまった。で、仲裁しようとしてた一体が暴発に巻き込まれたんだ』
巻き込まれた精霊は、片足を吹き飛ばされた。自身の持つ力より強い霊威に負わされた傷であるため、治癒はできず傷口を止血するのが精一杯だったという。より強い霊威が周囲の空間を制圧したため、その場にいる者たちの力が乱されてしまい、転移や結界なども使えなかったそうだ。
『霊具からは高濃度の霊威の弾丸が大量乱射された。今すぐその場から逃げねえと全員死ぬ状況になって、多くの精霊が逃げ出した。俺は怪我した奴を置いて行けなくて、運ぼうとしたんだが、ソイツが大型の精霊で……重量がありすぎて霊威無しじゃ無理だった』
力が使えないため、変化などで小さくなってもらうこともできなかったという。
水たまりに点々と落ちる雨粒のごとくしめやかに、ソファに腰掛けたフレイムの声が大気に染み渡る。
『ソイツは自分を置いて逃げろと言った。どうしてもできずにまごまごしてたら、巨体の怪力で俺を持ち上げて遠くにぶん投げたんだ。離れた所に飛ばされた俺は、騒ぎに気付いて駆け付けた別の精霊に引っ張られて駆け出した』
きつく握り込んだ拳から今にも血が出そうだと、隣に座るアマーリエはそっと夫の手に自身の手のひらを添えた。フレイムが瞬きし、微かに拳を緩める。
『飛んで来る流れ弾を必死で避けながら走って、途中で振り向いたんだ。そしたら、俺を遠ざけてくれた精霊が、片足で這って逃げようとしてた。アイツも必死に生きようとしてたんだ。最後の最後まで……』
当時のフレイムはただの精霊だ。それも最下級の。天界の基準では、何の力も持たないも同然だった。あの時の彼にあった選択肢は二つ。自分だけ逃げるか、二体で共倒れになるか。大型の精霊を助ける方法はなかった。
(私も同じ状況で、真逆の結果だったわ)
アマーリエの脳裏に、星降の儀の出来事が浮かぶ。現在の自分を形作る基点となった出来事。最悪の地獄へ繋がる道に見せかけた、幸福の絶頂へ至るスタート地点。
あの時、深手を負ったディモスを――唯一の家族を置いて逃げるか、共に死ぬかの二択を迫られた。目の前には二股に分かれた岐路、そのどちらを選んでも辿り着くのは地獄。結果的には、あの場にはフレイムがいたため、起死回生の勧請で全員が生き残る第三の脇道を切り開いた。その脇道が天国へ通じていた。
だが、かつてのフレイムにそんな活路は無く、奇跡も起こらなかった。
『上位精霊を呼んで霊具を止めてもらった時、アイツはもう蜂の巣になって死んでた。真面目で心優しい奴だったのに』
静かに語る山吹色の双眸が濡れている。
『天界じゃよくある……とまでは言わねえが、珍しくもないことだ。自分の保身で精一杯なんだよ。神格を賜ることになった時、俺は精霊を同胞と見なしたまま愛し続ける神になろうと思った。そういう神が一柱でもいれば、使役の立場が安定して精霊たちにも余裕が生まれるだろうってな』
カランと小さな音がした。ソファの前にあるテーブルに置かれたグラスの氷が溶けた音だ。濃い神酒を氷で割ったグラスに、フレイムもアマーリエも手を付けていない。
『だが――火神の神使になることが決まり、いざ神格を得た瞬間、俺を構成するものの大半が変貌した。神をこそ身内と思うようになったんだ。呼応するように、精霊への親近感と同類感が急速に薄れていった』
それでも、まだ完全ではなかったという。その時に得た神格は、最高神の神使が箔を付けるために賜る限定的なもの。広義では神族に含まれる存在になるものの、正式な立場は使役のままであるからだ。
『母神たちに捨てられたくないと思った。切り捨てられたらと考えるだけで絶望的な心地になった』
フレイムを虐げていた前代の大精霊は箔付けの神格を剥奪され、ただの精霊に逆戻りとなった。一度は神々の身内に片足を踏み込み、親愛が芽生えたにも関わらず、その場所から叩き落とされた。それは何よりの地獄だ。神格を奪われた時点で、神々は彼への情をあっさりとかき消した。一度は得た大切な家族を失ってしまったのだ。彼は今後ずっと、その悲嘆を抱えて生きなければならない。
『そして、ついに正式な神格を授かって焔神になった時、俺の家族は完全に神々に置き換わった』
精霊を家族として愛する神になる。自身の心の奥底から打ち立てたはずの誓いは、熱湯に放り込まれた氷片のごとく消えてしまった。
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