57.暴れる神は慈愛の神
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『ダメダメ。意地悪、やめる』
床から跳躍し、華麗に宙返りした疫神が、葬邪神と視線が合う高さに浮かんだ。ちっちっちと指を振って言う。
『アレク、アマーリエの守護神、なった。アマーリエが人の生を終えるまで、心身を守護する、そう神性に誓ってた。我、天界で聞いてた。なら、それ守る。自分が言ったこと、ちゃんと守る。アマーリエの心、守るどころか追い詰める、ダーメダメ』
次の瞬間、幼い体が麗しい長身へと変貌した。漆黒の瞳に髪。葬邪神とよく似ていながらも異なる麗姿。片割れよりもストレートに近い長髪がハラリと揺らめく。
『アレクシード。我が唯一の半身よ。神々の兄たる者が、勇を鼓した小さき雛を苛めてはならん。愛ある試練ならば、主神や先達神など他の神々が与えよう。今この場でお前がそれを為すことは、ただの幸災楽禍であると心得よ』
究極の慈愛とでも言うべき包容力を宿した眼差しが、葬邪神を諭すかのごとく温かな色を帯びている。
果てしなく広がる無辺の優しさを垣間見た瞬間、アマーリエの脳裏に、やはり疫神も兄なのだという悟りが再臨した。
葬邪神と全く同時に顕現した双子。兄弟の別を付けてはいるが、実態としてはどちらも長子であり長兄なのだと、どの神も言う。
一方、幾度か瞬きした葬邪神は、不意に目を逸らしてはぁ〜あと息を吐き出した。
『ディス、お前はどうして時々、急に良いお兄ちゃんムーブをかまし出すんだ。いつもそうしてくれれば俺も楽なのに……』
スルリと滑り込むようにアリステルが近付き、にっこり笑みくずれた。全幅の信頼に満ちたその顔は、フルードがフレイムに向けるものと瓜二つだった。
『父上が約束破りなどなさるはずがありませんよね。誓約通り、アマーリエの心を守って下さるはずです』
『あぁ〜分かった分かった、パパ諦めるよ。玩具などなくとも、可愛いお前がいてくれるからな、それで良い』
双眸をとことんまで優しくした葬邪神が瞬殺で折れる。
《アマーリエ、一の兄上が何を言おうとしていたか分かるかい?》
言葉を挟むタイミングが掴めず、神々の様子を見ていたアマーリエに、ラミルファから個別念話が入った。
《君の主張は一理あるが、それはそれとして、君の言を受け入れれば自分は愛し子を得られなくなる。神が愛し子を得ることは権利であるのに。ついては、君が責任を持って代わりの生き餌を探して自分の前に差し出せ。そういった感じのことを言おうとしていたのだと思う。それに対する返事は準備できていたのか?》
《……それは……で、できていませんでした》
アマーリエの全身が凍り付いた。ヨルンの身代わりに他の誰かを生贄に差し出す。そんなことができるはずがない。
《ああ、やはりね。そこまでは考えが回っていない気がしたよ。もちろん、一の兄上も本気ではなかったはずだ。少し意地悪で試すだけで、君が返答に窮したら適当な理由を付けて撤回してくれていただろう。兄上は同胞には優しいからね。だが、それを承知していてもなお、君を助けようと大勢の神々が動こうとした》
フレイムやブレイズ、ラミルファにフルード、アリステル。彼らだけではない。先達の元聖威師たち、フロースにウェイブ、嵐神、ルファリオンに灼神、時空神、戦神と闘神。悪神であるはずの魔神。その他にも多くの神々が、あの瞬間、アマーリエを庇おうと口を開きかけていた。
『その中で最も早かったのが、まさかの二の兄上だったわけだ。ふふ、君は随分と気に入られているようじゃないか。暴れ神の懐にスルリと入り込むとは大したものだ。悪神をたらし込むのはレシスの血筋かな』
歴史上で初めて奇跡の聖威師となった少女。アマーリエはその遥か遠き末裔だ。同じく彼女の子孫であるフルードはラミルファを射止め、アリステルは自らも悪神となって葬邪神を含む三柱の心を鷲掴みにした。
(そういえば、私の祖先は……初代の奇跡の聖威師になられたレシスの祖は、まだ入眠中なのよね)
未だ目覚めていない眠り神たちの一柱が彼女なのだという。フルードとアリステルが昇天直後に挨拶に行こうとしたものの、眠りが深く夢を介しての接触もできなかったらしい。
(――いいえ、今はそんなことを考えている場合ではないわ)
思考が反れかけたものの、それどころではないと思い出し、慌てて意識を切り替える。
《私の考えが浅く、神々のお手を煩わせてしまいましたことをお詫び申し上げます。仰せになられたことは当然考慮し、対応まで考えておくべきでした》
(代わりの愛し子を差し出せ……フルード様やアリステル様だったら、そういう意地悪を言われることも想定して、上手い返しを用意していたはずだわ。私はまだまだね)
落ち着いて思い返してみれば、5年前にラミルファが特別降臨した際も、類似の理由を建前に掲げていた。愛し子として目を付けていたミリエーナが使えなくなったので、代わりを探すために来たのだと。あの時点で、アマーリエは今回のヒントを得ていたのだ。だが、それを活かせなかった。
《もっと精進します》
しょんぼりして言うと、脳裏で高らかな呵々大笑が弾けた。
《落ち込むことはない。一の兄上相手に正面から物申し、一定の理はあると言わしめさせた時点で、今回は及第点だ。褒賞ではなく処罰を願いたいとは、いみじくも言ったものだよ》
まあまあやるじゃないか、と、末の邪神は上機嫌で賞賛をくれる。
《足りない部分はこれから身に付けていけば良い。フレイムやセインが幾らでも協力してくれるだろう。優しい僕も、気が向いたら手伝ってやっても良いよ》
《ありがとうございます……》
飄々と嘯くラミルファに心から礼を言うと、彼は思い出したように続けた。
《あっ、そうだ。今回、精霊という存在が前面に出て来ただろう。君も知っての通り、フレイムも元精霊だ。それに関してだがね》
ありがとうございました。