43.理解しても心は痛む
お読みいただきありがとうございます。
投稿時から少し加筆しました。
(ミリエーナ!)
アマーリエが様子を窺うと、蛆虫に全身を貪られたミリエーナは血みどろになり、涙と鼻水と唾液でグショグショの顔で放心していた。
正気を保っているのか心配になるが、悪神は生き餌をいたぶる際、決して発狂できないよう神威で術をかけるのだという。加えて、神格を得た以上、この程度の傷が致命傷になることもない。
結果的に、彼女は心も体も壊れてはいないだろう――それが幸か不幸かはともかく。
「ありがとうございます」
さらに深く礼をするフルードに、ラミルファはウぅんと唸りながらしばらく考えていたが、やがて軽い音を立てて美しい少年の姿に戻った。
『うん、やっぱり人界では人間っぽい姿でいた方がいいだろう。ああ僕は親切だなぁ』
朗らかな笑みでうそぶき、目の前でひれ伏している大神官を見下ろす。
『今回は君の願いを聞いたが、所詮一時しのぎだ。次はない。レフィーは僕の愛し子として天界に連れて行く。悪神が住む天獄でじっくり可愛がってあげよう。これは、正式な手順に則った誓約による、正当な権利だ』
「…………」
フルードを始めとする聖威師たちが無言で俯いている。その言葉が聞こえたか、虚空を見つめていたミリエーナが瞳の焦点を合わせ、激しく首を横に振った。
『いつ天に連れて行こうかな。普通の神は聖威師の意思を尊重するんだろう。でも僕は悪神だ。今すぐに連れて行こうか。それとも期間を決めずにいて、その時が来るのを恐怖しながら地上で過ごすレフィーの可愛い様子を見守るのも愉しいな』
(悪趣味だわ……)
アマーリエはボソリと呟いていた。胸中での独白に留めたつもりだったが、無意識に念話になっていたらしく、フレイムが律儀に返してくる。
《そりゃあ悪神だからな、趣味も性格も悪いわな》
オーネリアがフルードの隣で拝礼する。
「邪神ラミルファ様。誠に不躾な申し出ながら、ミリエーナ・サードとの誓約の再考をお願いできませんでしょうか」
ラミルファがパチパチと瞬きすると、無邪気に顔を綻ばせて明るく笑った。
『ふふふ、本当に不躾だな。君は僕の同胞だから笑って許すが、普通なら怒りに任せて人界を丸焼きにしているところだ。神に向かって愛し子を放棄しろと言うなど、有り得ないよ』
板に水を流すような饒舌さと、にっこり弧を描く双眼。
『あっ分かった、場を和ませたくて冗談を言ってくれたのだな。うん、ナイスジョークだ! だが、今回限りにしておくれ』
同胞だということに免じて、今回は冗談にしてやる。
だから二度と言うな。
声なき声がそう告げている。
「大変申し訳ございません。出すぎたことを申しました」
オーネリアがすぐに謝罪した。
『いやいや、分かってくれればいいのだよ』
予定調和に謝罪を受け入れたラミルファが、おもむろに首を巡らせてアマーリエを見た。
『ねえ、レフィーの汚いお姉さん』
ミリエーナとディモスを案じ、交互に視線を送っていたアマーリエは、いきなりのことに肩を跳ねさせる。横でディモスに聖威を放ち、焼け石に水でもと治癒をしてくれていたフレイムがギッと眉をつり上げた。
「だーかーらー、アマーリエを腐すな!」
『僕にとっての真実を述べているまでだよ。……ずっと気になっているのだが。レフィーも、君も、君の両親も、本当に僕の正体を分かっていなかったのだな』
「……え……?」
アマーリエは大量の疑問符を浮かべた。急に何を当たり前のことを言い出すのか。彼がまさか悪神だと思わなかったからこそ、ミリエーナは愛し子の誓約を受けたし、自分たちは彼が運命神だと信じてしまった。
それ以前にラミルファ自身が、アマーリエたちが自分の正体を分かっていないという前提で、美しい姿で現れたり、嘘の神に自分はルファリオンだと言わせたりしていたはずだ。明らかにアマーリエたちを騙して遊んでいた。
なのに何故、答えが分かり切ったことを今更確認してくるのか。
「……は、はい。9年前は悪神様をお喚びする予定ではなかったのです。まさかサッカの葉が変異してリサッカになっていたとは思いもしませんでした。私の気でご不快な思いをさせてしまいましたことをお詫び申し、むぐっ」
だが、謝罪の途中でフレイムに口をふさがれた。
「お前は何も悪くない、ただ自然体にしていただけだ! 落ち度のない奴が謝るな! それでこいつが怒るなら俺が言い返してやる!」
(で、でも……)
そうだとしても、相手は高位神。こちらがへりくだるべきではないかと目を向けると、ラミルファは特に気にした様子もなく顎に手を当てていた。
『……うーん。予想が当たったのだろうか。君たちはあの後、僕の言ったことを実行しなかったのか?』
「はい?」
またしても意味不明な台詞を投げかけられ、訳が分からなくなる。
(僕の言ったこと? 実行しなかった? ……何のこと?)
「あの……何のお話でしょうか。あの後とは何のことでしょう。星降の儀の本祭の後ということでしょうか?」
『違う。これは全然分かっていないな。9年前の話だよ。勧請された時は、君の気が余りにもきっっっっったなすぎて、もうドン引きしてさっさと還ってしまったがね』
(き、きっっっっったない……)
既に事情を理解しているとはいえ、反射的に胸を抑えるアマーリエ。
「ラミルファ! ……お前、本当にいい加減にしろよ」
フレイムが鋭い目で抗議した。声がいつもより低い。これは本気で怒っている。
成り行きを見守っていた佳良が、慰めるように言い添えた。
「アマーリエ、あなたの気持ちはよく分かります。けれど、悪神のお言葉は反対に捉えねばなりません。穢れと濁りを好む高位の悪神にここまで仰っていただけるのは、あなたの気がそれほど澄み切っている証。最高の褒め言葉と同義なのですよ」
「わ、分かっております。ラミルファ様、お見苦しい姿をお見せし、失礼いたしました」
だが、フレイムは収まらない。
「いーや、俺は抗議するぜ! 聖威師と違ってこいつに遠慮する立場じゃねえからな!」
一歩も退かず、ビシィとラミルファを指差して言い募る。
「おいラミルファ、悪神には悪神の基準があるにしてもだ、9年前の時点でそれを説明しておくべきだっただろうが! 降臨した時の反応で、ホントは悪神を勧請するつもりじゃなかったんじゃないかってのは勘付けたはずだ。その時にちゃんと説明してりゃ、アマーリエは霊威が低かろうとここまでの虐待を受けることはなかったんだ!」
「……失礼ながら、何と仰いましたか?」
「虐待とは?」
聞き咎めたフルードとアシュトンが眉を顰めた。戦々恐々と様子を窺っていたダライとネイーシャが、音を立てる勢いで体を硬直させている。アマーリエも固まった。
(こ、ここで告発しちゃうの!? 今この場所で!?)
これは勘だが、フレイムに深い考えはないだろう。おそらく勢いで言っているだけだ。
「ああそうだ。こいつと一つ屋根の下で、同じ部屋で暮らした時間にしっかり見させてもらったぜ! こいつが自邸でどんな陰湿な虐めを受けているかをな!」
「一つ屋根の下?」
「同じ部屋?」
今度は佳良とオーネリアが聞き返した。
(ちょっとフレイム、その言い方はまずいわ、まずすぎる!)
アマーリエはうろたえながら口を開こうとしたが、聖威師の方が先だった。恵奈と当真が真面目な顔でこちらを見る。
「もしやこちらの神使様と関係を深めたのかしら?」
「同じ寝具を使ったのですか?」
(ほ、ほら突っ込まれたじゃない!)
直接的な表現は避けているが、同衾したのかと聞かれているのだ。だが、先んじて答えたのはフレイムだった。キョトンとした顔で一瞬だけ考え込み、頷く。
「ああ、アマーリエと同じ毛布なら使っていたが」
アマーリエの不在中に、膝掛け用のブランケットを貸していただけである。
(きゃあああ! どどどうしてそんな、誤解を招くような表現を!)
アマーリエが内心で百面相をしながら、上手い返答を高速で探していると、意外なところから助け船が来た。ラミルファである。
『何だか立て込んでいるようだが、後にしてくれないか。先に話していたのは僕だから話を戻そう。……そもそもの話、説明というのを、僕はしたはずだ』
ありがとうございました。