39.容疑者、その二
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「疫神様のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極にございます」
声が震えぬよう腹と喉に力を入れ、アマーリエは拝礼した。黒を中心に暗い深緑を取り入れた疫神の神域は、ラミルファのそれより重厚感が強い。ただその場にいるだけで圧倒され、腰が抜けてしまいそうになる。これでも御稜威は極限まで絞ってくれているはずなのだが。
安堵したことといえば、いつぞやに聞いた毒虫ベッドとやらが見当たらないことだ。聖威師には見えない所にしまってくれているのだろうか。
『疫神様、ご機嫌麗しく』
『ご挨拶申し上げます』
フレイムとフルードも挨拶を述べる。奥の長椅子にしどけなく寝そべり、肘を付いて手枕をしていた疫神が、気怠げに言った。
『麗しくなどないぞ。我は退屈だ。面白いこともない、毎日つまらん』
『二の兄上、そのようなことを仰らず』
笑顔を浮かべたラミルファがトトトッと駆け寄り、疫神の上に馬乗りになった。そして、神衣の胸元をパカッと開く。滑らかな白い肌と逞しい胸板が覗いた。
『んん? 何をしておるのだ?』
『いや、もしかしたら隠し持っているかもしれないと……お気になさらず。ちょっと兄上の体を眺めたくなっただけです』
ペタペタと兄の体を触りながら言うラミルファ。もはや理由にすらなっていない。
『そんなすぐ見付かるトコには隠さんだろ。宝玉と包翼神がそろいもそろって……』
フレイムがポソッと呻くが、疫神は首を傾げつつゴロンと長椅子に脱力し、好きにさせている。
『よく分からんが、ラミがしたいようにすれば良い』
気に障った気配は全くない。末弟に甘いというのは本当のようだと思いつつ、アマーリエは再度礼をした。
「大饗の席ではご挨拶できず、ご無礼をいたしました」
(探したけれどお姿が見えなかったのよね)
内心の思いを読んだように、ラミルファを張り付かせた疫神が応えを寄越す。
『我はあの宴に出席しておらん。最初は一瞬だけ顔を出したのだがな、アレクの奴がへばり付いてうるさかったのだ。大人しくしていろだのあまり動くなだの、堅物なことをゴチャゴチャ言う。面倒臭かったゆえ、さっさと自領に戻った』
濡れた唇から官能的な溜め息が漏れ、肩から零れ落ちた黒髪が艶めいた光を放っている。無駄に色気のある姿を披露している疫神は、言わずもがな青年姿だ。彼はその時の気分で姿を変えるそうだ。
『いっかな面白くない。アレクもハルアも遊んでくれん。来る日も来る日も暇だ』
『兄上、僕が遊び相手になりますよ』
『ラミは荒事をせずとも良い。遊びならばまたゲームをしよう』
疫神の黒眼が慈愛を帯びた。空いている方の腕を上げ、ラミルファの頭を優しく撫でる様子は、完全に末弟を庇護対象と認識している。温厚ながらも自身と対等な荒神だと見なしている葬邪神とは対照的だ。
『うん、持っていないな』
次兄を触りまくったラミルファが頷き、ストンと降りた。
『もう満足したのか?』
『はい』
首肯し、小首を傾げて聞く。
『本当に退屈で面白くないですか、兄上?』
『ああ。むろん、愛しい雛たちが還って来たことは嬉しいぞ。だが、雛たちはか弱すぎる。とても遊べん。ゆえにつまらん』
『では、例えば聖威師の委任状が盗まれて失くなったとすれば、面白いですか?』
いきなりの暴露。フレイムは無表情を保ち、フルードも平静を崩さなかったが、アマーリエはビクッと肩を跳ねさせてしまった。
『……ほぉ』
唐突なラミルファの言葉に瞬きした疫神が、アマーリエの反応を認めて目を眇める。瞳の奥に何かを察した光が閃き、ニィと笑みの形に持ち上げられた口端から鋭い牙が覗いた。
『それは面白い事態だ。退屈を紛らわせる気晴らし程度にはなるだろう』
『しかし兄上は今、面白くもないし退屈なのですよね?』
『ああ。――仮にその例え話が実際に起こっていたとしても、我はそのことを知らなかったからな。つまり、何も関与しておらんということだ』
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