24.まさに危機一髪
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(きゃああああっ!)
天の馬は、地上の馬とは脚力も速度も桁違いであった。高速飛翔に等しい速さの疾駆、握った手綱から伝わる荒々しい振動。叫ぶ声すら瞬く間に後方へ置き去りにされる。
「――止まって!」
振り落とされないようにしながら馬の統制を取ろうとする。だが――
(駄目だわ、言うことを聞かない!)
神官府では気性の荒い霊獣を乗りこなしたこともある。だが、天界の馬は比較にならないほど力が強く、舵が取り切れない。聖威を放とうと試みても、何故か上手く発動しない。
『ユフィー、俺が手綱を取る!』
フレイムが転移で右横に出現し、アマーリエに向かって手を差し出す。が、馬から立ち上った緑色の光に体ごと弾かれた。
『転移で避難を!』
「聖威が発動しないのです!」
飛翔で肉薄したフルードが左横から指示を出すが、アマーリエは無理だと首を横に振った。フルードと共に馬と並走するラミルファが秀麗な美貌を顰める。
『強制転移もさせられないようだ。この馬は風神様の力を帯びている、それが邪魔している! 狼神様が風神様を呼びに行かれたが――』
灰緑の双眸が、何かに気付いたように見開かれた。
『まずい、この先は……』
バチィ、と大気が爆ぜる。緑と涅の火花が虚空を走り、不可視の何かを突き破った感覚があった。
(な、何?)
『禍神様の結界が相殺されたのか!? ちょっと待て、この向こうには神罰牢行きの穴があるんだぞ!?』
焦燥を孕んだフレイムの言葉に被さるように、馬が駆け行く先の大地に、大小様々な空洞がぽっかり開いているのが見えた。
(嘘でしょう!? こ、このままじゃ落ちるわ!)
恐怖で全身が粟立った時には、既に真っ黒な穴の一つが目の前に迫っていた。一際大きなものだ。禍つ神が手ずから穿った、神の牢へと至る入口。
『止まりなさい!』
速度を上げたフルードが躍り出ると、全身に神威を纏い、両腕を広げて馬の眼前に立ち塞がる。身を呈して突進を止めようとしたのだろう。だが、風神の御稜威に後押しされた馬は、彼を弾き飛ばしてなおも前へ駆けた――大口を開けて待ち構える暗闇に向かって。
『セイン!』
ラミルファの悲鳴が響いた。豪快に吹き飛ばされたフルードが別の穴に落下する。
(フルードさ――)
それを尻目に、アマーリエも大穴へ吸い込まれて行った。
落ちる――落ちる。最悪の地獄へと。
『ユフィー!!』
叫びと共に、紅蓮の神威が渦巻いた。その色が見る見る内に真赤に変わる。
『どけ!』
風神の力が、火神の――焔火神の力に打ち消される。緑色の阻害を破ったフレイムが、長髪をはためかせながらアマーリエを抱きしめた。穴の外へと上昇しようとした瞬間、暗闇の底から涅色の神威が噴き上がった。凄まじい力に押し上げられ、体が強制的に上へと向かう。その流れに乗ったフレイムがさらに自らの御稜威で飛翔し、一気に外へと脱出した。
『無事か!?』
そっと大地に降ろされたアマーリエの頰に、大きな手が添えられた。燃える真っ赤な瞳が、ひたとこちらを見据えている。他の何も映さず、己の愛し子だけを。
「だ、大丈夫よ。ありがとう」
『良かった――良かった!!』
(……むぐっ……)
温かな腕の中にぎゅぅぅっとかき抱かれ、息苦しさを覚えるも、頑張って耐える。少しの間、ものも言わずにアマーリエを抱擁していたフレイムは、やがてそっと腕の力を緩めた。
(た、助かったわ)
そろそろ潰れそうだったアマーリエはホッと息を吐き出した。一方のフレイムは、ハッとした様子になってキョロキョロと周囲を見回し始める。
『――セイン……セインは!?』
『ここです、お兄様』
すぐに応えが返る。目を向けると、フルードがケロリとした顔で穴の外に立っている。その傍には、忘我の美貌を持つ青年が佇んでいた。艶麗な長身に涅色の髪をなびかせている。
「フルード様!」
(良かったわ、ご無事で……!)
ちなみに馬も助かっている。フレイムとアマーリエと共に穴から押し上げられたためだ。今は涅の神威に拘束され、地面に転がっている。
『我が御稜威をもって、穴を強制的に封鎖した』
邪禍神の姿になったラミルファが、静謐な声で告げた。遠くから微かに泣き声が聞こえる。そちらを遠視しているのだろう、フレイムが虚空に視線を投げて呟いた。
『美種がパニクって泣いちまってるな。大樹や主神たちが宥めてるところだ』
(皆を驚かせてしまったわ。戻って元気な姿を見せなくては)
アマーリエが胸中でひとりごちた時、馬に置き去りにされた精霊二体が真っ青な顔で駆けて来た。
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