41.夢の終焉
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『聖威師たちが気付いた時には既に、僕とレフィーの間には愛し子の仮誓約が結ばれていた。霊具が爆発した時、君を選ぶ、必ず迎えに行くと言った僕に、レフィーが応と返したから。仮とはいえ誓約がなされた以上、レフィーはもう僕の掌中に入っていた。そうなると聖威師でも手が出せないのさ』
少年神が丁寧に説明する。聖威師たちは、それでも何とか正式な誓約だけは避けさせようと、できる限り動いていたようだが――そう上手くいくはずがなかった。
「で、でも!」
上ずった声でミリエーナが叫んだ。もはや涙目になっている。きっともう分かっているのだろう。自分が寵を受けた相手が――四大高位神の覚えめでたいルファリオンだと信じていた神が、本当は何だったのか。
「この神はわざと私を騙すようなことをしたわ! サード邸で自分をわざわざルファだと言ったり、嘘の神を使って運命の神だと信じ込ませたり! そんなの卑怯じゃない!」
『それは違うな、我が女神』
少年神が、慈悲深く穏やかな眼差しをミリエーナに向けた。神に相応しい美貌と相まって、見ているだけならばこの上なく洗練された光景だった。
『君が今言ったことは、大事な愛し子への僕からの贈り物だ。虚構を信じて舞い上がる君が、天界に来て真実を知った時の絶望を見たくてね。せっかくのプレゼントだったのに、残念ながら今開けられてしまったが』
「そ、んな……」
『ああ本当に、君を捕まえられて幸運だった。僕は若い女の子が大好物だ。良さそうな獲物がいないか、時々地上を確認していて正解だった』
トドメのように言った少年神に続き、フレイムが口を開いた。目が虚ろになっているミリエーナをさすがに憐れに思ったか、少しだけ口調が和らいでいる。
「バカ妹。お前が冷静にこいつの神威を感じ、自分がどんな神に好かれる言動をしているかよく考え、きちんと見極めていれば気付けていたはずだ」
神が与える寵愛を人間の側から拒絶するのは難しい。だが、ミリエーナの近くには神格を持つ聖威師や、彼らを護る高位神がいた。
「星降の儀には、聖威師に寵を与えている高位神も来ていただろう。こいつの本性を判断して、正式な誓約が成る前に自分から助けを求めていれば、まだ引き返せたかもしれねえが……今更言っても詮無いことか」
ミリエーナに媚を売っていた神官たちは、いつの間にか潮を引くように離れていた。あれほどミリエーナを可愛がっていたダライとネイーシャ、そしてシュードンが、顔色を失くして彼女から距離を取っている。
(悪神は災禍を巻き起こし混乱を愉しむ……だから火炎霊具が暴走した時、ミリエーナを唆して水の霊具で爆発を起こさせたんだわ。神官たちが慌てふためく光景を見たかったから)
高位の悪神にしては規模が小さいが、彼の本懐はあくまでミリエーナを手に入れることだ。神官府の混乱はオマケにすぎなかったため、ささやかな悪戯程度に留めたのかもしれない。
「おいラミルファ。俺も聞きたいんだが」
ミリエーナが沈黙したのを見計らい、フレイムが声をかけた。
「9年前にアマーリエが勧請した時、お前は何でさっさと天に還った? 悪神は災いを好む。勧請されたノリで周囲を蹂躙するか、あるいはお前基準では綺麗じゃない気を見せつけたアマーリエに激怒して神威を振りかざすかしそうなものだが」
キョトンと瞬きして聞いていたラミルファが、納得したように頷く。
『あの時の僕は特別に機嫌が良かった。何故なら、少し前の神事で天威師とお話をする機会があったから。皇帝が一、紺月帝様と言葉を交わすことができてね、思わぬ僥倖に超絶上機嫌が継続していたから暴れなかったのだよ』
あまり表に出ることがない悪神だが、彼らを対象として行われる神事も少数ながらある。そして、そこに天威師か聖威師が同席している場合もあるのだ。
「天威師と……それでか。じゃあもう一つ。何で今だけじゃなく9年前も別の姿に変化してたんだ?」
今回は分かる。ラミルファが悪神だと気付いていないミリエーナを弄ぶために、あえて美しく神々しい姿を取って顕れ、コロリと騙されている様子を見て内心嘲笑していたのだ。
だが、9年前はそのような理由はなかったはずなのに、何故今と同じ姿で降臨したのか。
そう尋ねるフレイムに、飛んで来たのはあっけらかんとした答えだった。
『あの時に関しては特段の理由はない。強いて言うならその場の思い付きだ。人間界に行くのなら人間らしい形の方がいいかと思っただけにすぎないよ。それでわざわざ、こんな醜い不細工な姿になってあげたわけだ』
「……そんな下らない理由かよ。こっちが真面目に考えても分かんねーわけだ」
『ふふ、人間に合わせてあげるなんて、僕は親切だろう。ちなみに、紺月帝様がいらした神事では、本来の姿で降臨したよ。天威師とのご対面だしね』
「お前の本当の姿を見たら、どんな鈍い奴だってマトモな神じゃないことに気付く。そっちの方がよっぽど親切だろうさ」
額を抑えて投げやりに切り返したフレイムは、そこで気配を和らげてアマーリエを見た。
「っと、割り込んじまってごめんな。俺が確認したかったことは終わった」
「…………」
一区切り付いたと判断したアマーリエは、一度唾を飲み込んだ。空気が乾燥しているわけではないはずなのに、喉が渇く。心臓がドキドキと高鳴っていた。
それでも、姉として神官として、確認しなくてはならない。言わなくてはならない。ミリエーナはきっと、自分からはこの台詞を言えないだろうから。
夢の終焉と地獄の開幕となる、この台詞を。
深呼吸して足を踏み出し、ゆっくりと少年神に向かって歩み寄る。
「待てアマーリエ、俺も……」
「いいえ、大丈夫」
フレイムが案じる表情で付いて来ようとするのを断り、一人で神の前まで進み出た。裾を捌いて神に対する礼を取り、叩頭する。
「畏れながら、我が妹ミリエーナは御身の御神威に感じ入り、言葉を失っているようです。不肖の妹に代わり、姉たる私が神官としてここに問います。貴き大神ラミルファ様。――あなた様は邪神であらせられるのですか?」
『ああそうだよ』
ケロリと答えた少年神――ラミルファの白皙の美貌が、次の瞬間ヘドロのような色に染まり、ボコリと盛り上がった。腐った汚泥が波打つように蠢く表皮を突き破り、大量の蛆虫がゾロゾロ這い出す。
ドブ色になった皮膚は全身に渡ってドロリと溶け落ち、内部から溢れた臓物や眼球がゴロゴロと転がり、血潮が飛び散り、内部の白骨が露わになる。
真っ黒な炎が激しい音を立てて噴き出した。
「うわあああっ!」
「い、いやー!」
「きゃああ!」
神官たちの悲鳴が弾け、ラミルファの近くにいたミリエーナが一目散に逃げ出した。
だが――そのミリエーナよりもさらに至近距離にいたのは、眼前まで歩み寄っていたアマーリエだった。黒い炎が、顎を開いた生き物のように襲いかかる。
『主、危ない!』
『お下がりを!』
緊急事態を察知したのだろうラモスとディモスが、アマーリエと黒炎の間に転移で出現し、盾になる形で立ちはだかった。
「アマーリエッ!」
ほぼ同時にフレイムが一足飛びに駆け付け、アマーリエを抱いて後方に跳躍する。
「退きなさい!」
地を蹴ったフルードが黒炎の前に体を滑り込ませ、霊獣たちをまとめて背後に押しのけた。フレイムが小さく息を呑む。黒き炎が揺れ、フルードを避けるように熱風ごと軌道を変えた。
(この炎は、シュードンを焼いたあの――!)
「これはあなたの炎だったのですか!?」
思わず叫ぶと、ラミルファがカクカクと骨を揺らして首肯した。
「アあ、そういエば君はさっキもボクの炎を見たナ。愛し子の様子ヲ見ていタら、ボクたチを貶めル無礼ナ神官がいタから、少シお仕置キしたのだヨ。ついデに帝都一帯モ燃やしテやろうト思ったけレど、天威師が仲裁にいらシたから仕方なイ、やめタよ」
最後は、神官たちの中にいるシュードンをギロリと見遣っての言葉だった。
(そうか……シュードンに怒って黒炎をけしかけたのね。ラミルファ様たちの基準では最悪の部類に入る私を、悪神の神使に推すようなことを言ったから。被害が拡大しそうになって天威師が動いた……)
納得したアマーリエはふと周囲に目を向け、とんでもない光景を見て愕然とした。
「――ディ、ディモス!」
視界に映ったのは、自分の危機を察して来てくれた霊獣たち。黒炎の熱気に触れてしまったのだろうディモスの右前脚と右脇腹が、大きくえぐれている。傷口は腐食し、大量の血を流していた。
ディモスは庇うように寄り添うラモスの補助を得てどうにか後退し、燻る煙の中を抜けて来たが、力尽きたように地面に崩れ落ちる。駆け寄ったアマーリエが確認すると、骨が見えるほどの深手を負っている。
「ち、治療を!」
うずくまるディモスの前にしゃがみ込み、手当をしようとするアマーリエに、フレイムが静かに言った。
「無理だ。高位神の神威で負った傷は同格以上の神の力でないと治せねえ」
「そんな」
唇を震わせ、それでも放置はできないと、無駄を承知で治癒の霊威を放つ。その時、金属を擦れさせたような哄笑が弾けた。
『どうシて逃げル、そんナに怖がらなイでよ、ぼクのレフぃー。みてミて、これがボクの本当の姿ナのだヨ、ほらホらすてキだろおおォォぉ?』
ありがとうございました。