70.おまけ〜宝物は変わらずここにある 前編〜
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「やってしまったわ……」
アマーリエは大神官室で頭を抱えていた。就任の挨拶が終わって戻り、やれやれと思いながら鏡を見たところ、髪に付けていたピンが一つ失くなっていたのだ。
「何度かお辞儀をしたから、どこかで落としたのね」
下が無駄にふかふかの絨毯だったため、音がせず気付かなかった。
「天堂に入れるのは神格持ちだけだから、自分で取りに行かなくては」
首尾を聞きに来たリーリアが、慰めるように言った。
「もう神々もお還りですし、こっそり行って帰れば誰にも見付かりませんわよ。わたくしも一緒に行きますわ」
「けれど、リーリア様は仕事が……」
「大丈夫ですわ。挨拶の時間は仕事が入らないよう、アシュトン様が調整して下さっていますもの。余裕を見て時間を組んで下さっていますから、まだ手が空いていますの。さ、早く取りに行ってしまいましょう」
「そうね、ありがとう」
こうなると、自分の番が最後でよかったと思うしかない。肩を落としながら、リーリアと共に天堂の前に転移し、ガチャッと扉を開けたアマーリエはフリーズした。
10歳にも満たない金髪の少年が、台座に置かれた山盛りのフィナンシェ――貢物の菓子の一つである――を両手に持ち、猫のように目を細めてもむもむもむと美味そうに頬張っていた。
『不味くはなし。でも焔神様の料理、もっと美味』
少年の側には何故か幼児姿の疫神もおり、同じく貢物の菓子や果物を真っ黒に腐食させてもこもこ食べている。台座の近くには、フレイムにフロース、ラミルファ、葬邪神までそろっていた。
『『「「…………」」』』
室内に静寂が落ちる。ドアを開けたままの体勢で固まるアマーリエと、隣で足を踏み出しかけた体勢で止まっているリーリア。リスのように頰を膨らませてフィナンシェを食べていた金髪の少年が、目を真ん丸に見開いた。澄み切った碧眼がキラキラと輝いている。いち早く動いたのはフレイムとフロースだった。
『ユフィー!』
「んんっ!?」
瞬間移動のような速さで動いたフレイムにガシッと抱き付かれ――抱きしめる、ではなく抱き付かれ――、アマーリエは衝撃で目を剥いた。言ってみれば、ガタイの良い長身男性にタックルされたようなものだ。吹っ飛んでいないのは聖威師の体力の賜物である。
『あっ、すまん』
フレイムが慌てて支えてくれる。フロースの方は勢いよくリーリアを抱擁しており、彼の腕の中でリーリアが妙な声と音を立てていた。
『お、おい泡神様、リーリアが潰れてんぞ! 締まってる締まってる!』
『ご、ごめんレアナ!』
あわあわと力を緩めているフロース。高らかな笑いが弾けた。ラミルファが身を折って笑い転げている。
『ふ、ふふふっ……アマーリエはまた潰れ顔になっているのかい。リーリアまで潰れ声を出すとは。大神官と神官長がそろってコレでは、先が思いやられる。ねえセイン?』
灰緑眼が向いた先には、金髪碧眼の少年がいた。何故か激しく動揺したように目をあちこちにさ迷わせ、小さな手に大事そうに持ったフィナンシェまでカタカタ揺らしている。声変わりを終えていない柔らかな声が漏れた。
『あ、あ、あ、マーリエ、リーリア……なな、何故ここに……挨拶は終わったはず』
「「……えええ!? まさかあなた、フルード様!?」」
アマーリエとリーリアは大声を出した。ラミルファの最後の台詞と、少年の透き通った優しい碧眼を合わせれば、自ずと答えが弾き出される。
ちびフルードがぴょんと飛び上がり、身を縮めてささっとラミルファの後ろに隠れた。ラミルファが振り向き、聞いたことがないくらい優しい声で話しかける。
『セイン、大丈夫だから出ておいで。アマーリエとリーリアはびっくりして声が大きくなっただけだ。怖いものは何もない。あっても僕が瞬殺するから君の視界には入らないよ』
終盤、何だか怖いことを言った気もする。
『す、すみません、ちょっとビックリしまして……』
ひょっこりとちびフルードが姿を見せた。その姿が見慣れた青年のものに変じる。少女にも少年にも青年にも見える、氷菓子のような美貌。
『ユフィー、ちょうど会いに行こうと思ってたんだ! まさかお前から来てくれるなんて感激だぜ!』
『私もレアナの所に行こうと思っていた。パパさんがフィナンシェを食べたいと言うから、付き添いで降りるのにかこつけてね。そうしたらあなたの方がやって来てくれた』
まさに以心伝心だと感動している主神たちに、忘れ物を取りに来ただけだとは言えないアマーリエとリーリアは引き攣り笑いで目を逸らした。
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