64.のこされたもの
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フルードが遺した莫大な私財は、遺言状に従って帝国と皇国の国庫に寄付され、国が行う福祉活動の資金に宛てられることになった。彼は聖威師として得た巨額の資産を、ずっと公益のために投資していた。
似たようなことは他の聖威師たちも行っており、復興支援や伝統技能、芸術、スポーツ、環境、教育などそれぞれが関心のある分野を後援して来たが、フルードは福祉だった。聖威師という立場上、特定の施設や人物に肩入れすることはできないが、ある程度の広域分野を絞るくらいは許されている。
(フルード様……あなたが遺して下さった山ほどの遺産は、属国にも分配されるそうです。世界中にあなたの思いが届くのです。救われる人がたくさんいます。きっと、あなたが考えているより遥かに多くの人が)
死にゆく誰かによって遺された物が、この世界に生きる命を照らす糧となる。かつてこの地を生き抜いた者の信念と誠心は、亡き後もなお、今を在る生者たちを力強く後押しする。
(死者が生者の光となる……私たち残された者も、あなたの遺志を継いで歩いて行きます)
属国に分けてもなお、フルードが寄贈した遺産は有り余る。それを元手に、公的な福祉基金を新設する計画もあるらしい。子どもの神官たちに対するフォローや福利厚生も拡充されるそうだ。遺された物が、残された者を支えるのだ。
横で遺言状に目を通していたリーリアが、ハンカチで目元を抑えている。
「素晴らしい方でしたわ。もっとたくさん、教えていただきたいことがありましたわね」
「そうね。ご本人は今一つどころか今二つ、今三つくらい自覚しておられなかったけれど、本当に良いところをたくさんお持ちで、多くの人に慕われていたわ」
(低年齢の神官にも好かれていたものね)
幼くして徴を発現した子どもの神官は、心細いことや不安なことがあると、時折霊威を使って隠れてしまう場合がある。そんな時、フルードはスルリとその子たちを見付け出しては抱き上げていた。
聖威師なのだからすぐに見付けられて当然だと周囲は捉えていたが、本当の理由はそれだけではない。かつては自分が泣きながら隠れていた側だったので、行動パターンが朧げにでも読めたのだ。
また、佳良たちも幼いフルードを探し回っては励ましていたので、これまた隠れそうな所を把握しており、やはり子どもたちを発見して宥めるのが上手いという。彼らが紡いで来た絆の一端が、こんな所にも見え隠れしていた。
(例え一年に満たない期間でも、フルード様に師事できた私は運が良かったのよ)
そう再認識しながら、リーリアを見る。遺言状の文字も彼女の姿も、周囲の光景も、妙にぼやけていた。おそらく自分の目も潤んでいるせいだろう。フルードと過ごした日々の記憶はいつまでも、この胸の最奥に宿る。これから先、混迷の遠路を歩むであろう自分を導いてくれる縁として。
「近く、私は大神官の地位に就くわ。リーリア様も神官長になるのでしょう」
大神官にはまだアリステルがいるとはいえ、彼は悪神なのであまり表には出ない。それ以前に、アリステルもまた、余命が尽きかけている身だ。間もなく昇天の時を迎える。
「ええ。オーネリア様方だけでなく、アシュトン様方ももう長くないようですのよ。次代への安定的な継承の意も込めて、座を譲ることになさったそうですの」
近年は高位神器の暴走が頻発していた。荒ぶる有色の神威と対峙し、間近でそれを浴び続けることは、擬人化した体を相応に損耗させ寿命を削り取る。聖威師の仕事は常に死と隣り合わせなのだ。
既に昇天期限が近付いている佳良とオーネリア、ライナスと当波だけでなく、当代の役職者として最前線で激務に当たり続けて来たアシュトンや当真、恵奈も大幅に寿命を消耗し、残る猶予は数年もないという。
「一緒に頑張りましょう。今の内に分からないことは聞きまくって、教えていただかなくては」
「アマーリエ様が一緒ですから安心ですわ。聞くは一時の恥ですものね」
同意したリーリアが、不意に思い付いたという顔で緑の目を瞬かせ、話題を変えた。
「そういえばアマーリエ様、ルリエラとシュレッドのことはお聞きになりまして?」
「アシュトン様から概要だけは。両名とも、神使内定取消し及び昇天資格剥奪の上、地下世界に送られるそうね。もちろん自害や自傷、精神崩壊ができないような処置を施した上で」
国王と主任の印を持ち出したことはもちろんだが、遊運命神に意図的に嘘の奏上をしたことがまずかった。神官がそのようなことをするなど問題外だ。神々の協議の結果、主任と国王の印があれば奏上を受け付けるという従来の方針はひとまず維持されることになったが、それとて次はないだろう。
「ルリエラは秘奥の神器を暴走させた件もあるでしょう。地下世界の中でも下層に行かされると聞いたわ。主任への純愛をこじらせた結果とはいえ、許される行いではないものね」
「アシュトン様も同様に仰せでしたわ。残酷な言い方だが、神罰牢行きでなかっただけまだ温情判決だ、と」
(ルリエラが秘奥の神器を暴走させたから、世界が破滅の危機に陥って、命と引き換えに停止したフルード様があんな苦痛まみれの死に方で逝去してしまったのだし……)
フルードの寿命は既に尽きかけていたとはいえ、あの件がなければあと少しくらいは生存し、神官たちと最後の別れの時間を取り、苦痛の少ない最期を迎えられたかもしれない。そう考えれば、ルリエラを恨む神官たちも少なくないだろう。
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