62.魂が還る場所 後編
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『本当に時間が巻き戻ったわけじゃねえよ。見た目が変わっただけだ。神は変幻自在に容姿を変えられる。精神状態が外見に影響することもあるからな』
フレイムが説明してくれる。なお、仮に時が逆行したとしても、フルードが人間に戻ったり、フルードの内にある焔の神器が消えることはないという。神の本領は時間流を超越するからだ。
『ハルア様、お兄様。僕は聖威師として過ごしていた時間、とても幸福でした。きっと、地上で一番幸せ者でした』
聖威師として天威師にも通ずる超位に上り詰め、広大な邸に住み、大勢に傅かれ、最高級の衣を纏い、食事にも不自由せず、栄華を極めた。
『でも……幸福でしたが、ずっとずっと辛くもありました』
非情な判断をすることが苦しかった。神器に立ち向かって負傷する度に痛かった。荒れる神と対峙すれば身が竦んだ。夜勤の日は夜の静けさが怖かった。異形の魔族やおぞましい悪霊と向き合う時は恐ろしかった。
それら全てを表に出さず、自信に満ちた表情を浮かべて神官たちの前に立ち続けることが辛かった。
『心が泣いています。とってもとっても疲れたと、しんどいと言っています』
『そうだな。疲れちまったよなぁ』
フレイムが包み込むように背を撫でてくれる。狼神が沁み入る声音で言った。
『天界でゆっくりお休み。お前を幸せにしてくれる御方が待っておられる』
その瞬間、一点が晴れた。上方から温かな虹のシャワーが注がれる。超天に坐す至高神――天威師たちの祖神が、帰還を歓迎してくれているのだ。いつでも超天においで、待っている、という思念が伝わって来る。
フレイム、狼神と共に上へ向かってペコリと一礼したフルードは、今度は下を見た。空を突き抜けて超えた眼下には、煌めく天の景色が広がっている。
安らぎと安寧に満たされた奇跡の園で、火神やブレイズ、ルファリオンが微笑んでいる。パパさーん、と手を振っているのはフロースとウェイブだ。お還りぃ〜、と歓迎の声を発しているのは葬邪神、ピョンピョン飛び跳ねているのは幼児姿の疫神。嵐神に魔神、時空神などを含めた数多の神々も勢揃いして嬉しそうな顔を向けている。端の方では、マーカスが遠慮がちに、しかし精一杯の笑顔で頷いていた。
その神々の最前列で、両腕を広げて待っている神がいた。真っ白な髪に灰緑の瞳。
『セイン』
『ラミ様!』
フルードは狼神の背から飛び降りた。
『あっ、こらセイン! ……何だか前にも以前にもありましたな、こんな光景が。焔神様の神域に、初めてあの子を送った時でしたか』
『デジャヴってやつですね。あん時は俺が受けとめてやりましたが……ま、今回はアイツに譲りますよ』
苦笑を帯びた声で話す狼神とフレイムの声を聞き流し、真っ直ぐに落下する。自身の神威を使わずとも、必ず受け止めてくれると分かっていた。
いつの間にか、外見は9歳の頃のものになっていた。彼の神に初めて会った時の姿だ。
『お還り、セイン』
体がふわりと浮き、大切な至宝を扱うかのように優しく優しく抱きしめられる。ああそうだ、初対面の時もこうだった。
『ただいま戻りました、ラミ様!』
ラミルファの姿が変じる。怖気を振るうような美貌の長身に、涅の髪と双眸。宝珠の契りを結んだ時と同じように。
『これからはずっと一緒ですね!』
弾んだ声が自然と漏れる。ラミルファとも、狼神とも、フレイムとも、他の神々とも。もう離れ離れになることはない。共に天界で暮らすのだ。
『そうだとも、我が宝玉』
回された腕に力が込められる。揺るぎない抱擁に包まれる。
『守る。守る。守る。全てを賭して守る。絶対に。必ず。この私が。今度はそなたを、天界で一番幸福にしてあげよう』
追い付いた狼神とフレイムも頭や背を愛撫してくれた。魂の奥では焔の神器が温かに燃えている。上からはまだ祝福の虹が注がれている。
全ての神々が満面の笑みで迎えてくれる中、フルードは目を閉じた。自分はこれから、誰よりも何よりも幸せになれるのだと悟って。
海面の青が満ちる優しい双眸から、透き通った滴が零れ落ちた。
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