57.どれだけ怖く辛くとも
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本話、次話と流血表現・残酷描写・グロ等がありますのでご注意下さい。
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一歩入った瞬間、心身をひき肉にせんばかりの殺気と威圧が突き刺さる。離れの中央で刺すような光を放っているのは、秘奥の神器。その傍にあるのは停止用の神器だ。
反射的に回れ右して外へ逃げ出したい心境を抑え、フルードは前を見た。背後で扉が閉まる音が響き、充満する圧が強さを増した。
全身が震え、泣きべそをかいて蹲りたくなる。フルードの根幹は、怖がりだった幼い頃から何も変わっていない。
ああそうだ、自分はずっと、ずっと耐えて来た。暴走する神器が、荒れる神が、向かい来る神威が怖かった。対峙するたび、緊張と不安と恐怖で嘔吐しそうになるのを必死で堪えて来た。自邸では毎晩のように涙を流してベッドに丸くなり、震えながら吐いていた。
それでも耐え続けて来た。今までも、そして今この瞬間も、ずっと――
「……お鎮まり下さい」
誰もいない離れの中でなら、本当の姿を晒しても良いのかもしれない。だが、あえて本心は出さず、悠然とした笑みを帯びる。みっともなく怯え、メソメソしている姿など見せられない。
自分を育ててくれたのは、神々の中で最も格高き者達だ。フレイム、狼神、ラミルファ、火神、ブレイズ、ルファリオン、そして紅日皇后と黇死皇――彼らの薫陶を賜ることができた自分は幸運だった。
いや、彼らだけではない。その他にも本当に多くの神々が、自分を教え導いてくれた。だからこそ、彼らに恥じぬ姿でありたい。最後の最後まで。決して逃げはしない。例え半歩たりとも。
「これより止めさせていただきます」
宣言し、足に力を入れて跳躍しようとした瞬間、秘奥の神器が激しい光線を放った。ジュッという音が反響し、体が傾く。左脚が太ももから消し飛んでいた。聖威で治癒と復元を試みるが、最高位の神器の力で受けた傷はすぐに治せない。治療は早々に諦め、傷口を聖威で圧迫し、止血だけに集中する。
(思えば、僕の生涯は本当に数奇なものだった)
床に倒れ込んだ勢いのまま、両腕と右脚で這いながら進むが、続けて照射された熱線の御稜威で右脚も膝上から焼却された。
(物心付く前から……きっと生まれた時から、両親に虐待されていた。それでも死ななかったのは、八つ当たりの道具を潰さないよう、最低限の手加減だけはされていたから。そうでなければ、無力な赤子や乳幼児が、あの環境で生き延びられるはずがない)
今の状況で一つだけ幸運だったのは、秘奥の神器は暴走のプロセスも独特であり、最初から全力で狂うわけではないということだ。現時点ではまだ初期の段階で、離れの中という限定空間でちまちま光線を吐いているだけなので、どうにか対処ができる。暴走が進行すると、全国を射程範囲に入れた広範囲を灼熱の神威で舐め回すため、近付くことができず対応も困難になってしまうのだ。
(徴を発現したことで、金の卵を生む鶏として神官府に送られたものの、神の勧請はおろか交信もろくにできない落ちこぼれだった)
両腕で這って体を動かす。止まることは許されない。全ては大神官として世界を救うために。前へ、前へ――前へ。進み続けろ。限界を破れ、死線を越えろ。
(ガルーンに買われてからは、ひたすら拷問を受ける日々を送った)
虐待など遥かに超えた残虐な責め苦を受け続けていると、五感が失くなる。
光が消え、音が消え、味が消え、匂いも手触りも温度も消え、最後に意識が途絶える。感覚の消失は死と同義だ。絶対凍土の暗闇を彷徨った後、空気が揺らぐ音や草花の匂い、地面の温かさと感触を感じて目を覚ます。
音や香り、温度は生の象徴であり、命そのものだ。そして、それらを感じたことで絶望する。ああ、自分はまだ生きている、また死ねなかったのかと。
(死にながら生きる日々。この世界には一握の希望も無いと思っていた)
頰を灼熱が掠め、体に衝撃が走る。一瞬だけ視界に咲いた赤い花が何なのか、考える余裕もなかった。前進を止めてはならないと腕を動かそうとし、左腕が肘上から消し飛んでいることに気付いた。同時に、先ほど咲いた赤が己の血飛沫だったことを悟った。
(けれど、真冬のあの日、僕の運命は根本から変わった。ラミ様に見初められたあの夜をきっかけに、全てが逆転した)
右腕の力だけでズルズルと進んで行くと、ヒュンと風が動いた。視線を向ければ、鎌鼬のような刃が二撃続けて飛来するのが見えた。顔を上げ、一撃目は口で無理矢理受け止め、間髪入れずに追撃して来た二撃目は噛んだ刃で受けて軌道を変えるが、逸らし切れずに視界の右半分が吹っ飛んだ。刃が右目を斬り裂き、眼球が破裂したのだと察した。潰れた右目が眼窩から外れて転がり落ちる。
それでも動きと決意を鈍らせることはない。例え首から上だけが聖威で浮遊している状態になろうとも、右腕を咥えて神器の元まで運ぶ。初めからそう決めていた。真に達したい目的があるならば、生首になっても諦めずに食らい付け。そう教え込まれたから。
己の志を抱き続けろと念じる。抱け、握れ、進め。この胸に宿る決意と誓いを、決して無くさぬように。
今はただ、欠片の脇見もせずひたすら前へと向かう――この身に務めを背負う限り。
ありがとうございました。