50.悪神の長は落ち込む
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『ん? んん〜? どうしたそなたら……あっ』
訝しげに全員を見回し、アマーリエの手の中にあるペンを見ると、やおら言葉を止める。そして、神威と同じ色の双眸をもう一度転瞬し、疫神に視線を移した。次男が素知らぬ顔で目を逸らす。
――このまま我が暴れれば、アレクが止めに来る。我とアレクの気迫を受けてラミと同胞が苦しめば、今度は父神が止めに降りる。そこでペンの宝石に神威を充填させる。アレクが前にボヤいているのを聞いたが、ペンの神威が残り少ないのに父神がお応え下さらんのだろう?
こっそりと耳打ちや念話で囁かれた言葉に、皆が即興で乗った結果が今だ。
おそらく疫神は、戦闘神たちが自分を止めようと向かって来ることも、フレイムたちと葬邪神が結界を突破して駆け付けることも含め、大体の展開を見越していた。何も考えていないと同時に果てしなく考えてもいるのだ、この神は。
『最高神はおいそれと地上に降臨できねえけど、天堂があるこの棟は人世とは別空間に隔離されてるからな。ここなら禍神様も気軽に降りられる』
『いや、やってみれば上手くいくもんだなぁ。俺たちが喧嘩するフリをして、仲裁に来た父神の神威をペンに充当させるから協力しろと言われた時はビックリしたが』
フレイムと葬邪神が交互に言う。安心したためか、二神ともやや饒舌になっている。
禍神が降臨した時、疫神は胸に片手を当てていた。あれは挨拶の礼を取る意味もあったが、手の中に持ったペンに禍神の神威を触れさせ、密かに補充していたのだ。上手い具合に禍神が己の御稜威で長子と次子を抑えてくれたため、その力を浴びさせることで充填が容易になった面もあるが、疫神はそこまで予測していたのだろうか。
『ちなみに他の聖威師や主神たちは、危ないからと天堂で待機させているぞ。ディスが本当に暴れるつもりかと思ったのでな』
フルードがここに来られたのは、フレイムとラミルファと共に棟の中を巡りながらアマーリエを探していたためらしい。他の聖威師たちは、天堂に残って遠視や念話でアマーリエとコンタクトを取れないか試みていたそうだ。
ラモスとディモスは、フレイムたちと共にアマーリエを探しに出ようとした。だが、二頭の神格は有色ではない。高位神同士の小競り合いに突っ込んでは危険だから、ここは俺に任せろとフレイムに説得され、ぐっと堪えて天堂に残ったという。
『最初は手加減しながらも形だけ相手をした。少しは演技抜きの光景も混ぜなくては、視ている父神もさすがに違和感を覚えられるかもしれんからな』
疫神がサラッと告げる。フレイムたちが四柱がかりで彼を相手取っていた時は、まだその真意を教えられていなかった。そのため、疫神は本当にペンを壊そうとしていると思い、全員必死で打ちかかっていた。
『しかしディス、俺たちの闘気で萎縮させんようラミにまで調整をかけるとは過保護だなぁ。それをしてやる対象は聖威師だけで良かっただろう』
『我は自分のやりたいようにやるだけだ。先ほども言っただろう、この子に我らの気は強すぎると』
『ホントに兄馬鹿なんだなお前。ラミは普段は大人しいが、俺たちと同じれっきとした荒神だから、それなりには耐えられるだろうに。お前、幼い末っ子にはとことん甘いんだなぁ』
ボソボソと小声で囁き合う兄二神。呆れたような眼差しの葬邪神に対し、疫神は薄ら笑いを浮かべて答えない。
一方のラミルファは、呆れと苦笑のない混ぜになった目でアマーリエを見る。
『アマーリエ、台詞が棒読みだったから冷や冷やしたよ。君はあまり演技が得意ではないようだ』
『すみません……自分なりに精一杯やってみたつもりだったのですけれど』
葬邪神と疫神の一触即発は見せかけだ。カモフラージュとして多少は闘気を出していたが、聖威師たちには威圧を与えぬよう調整してくれていた。それを隠し、さも恐怖を感じているように振る舞ってみたが、落第点だったらしい。シュンとするアマーリエを余所に、ガクリと崩れ落ちたのは禍神だ。
『しまった、やられた〜! 息子たちに一杯食わされるとは』
額を抑え、大げさに煩悶するような表情で頭を振る。
『ラミと聖威師たちを早く助けねばということに意識が向いていた。アレクとディスが、痛がる末弟も怖がる同胞も気にかけぬ時点でおかしかったのに。まぁラミに大事が無かったことは良かったがな。うん、我が子が無事で何よりだ』
淡い笑みを刷いた疫神が、静かにその様子を見ている。それに気付いているのかいないのか、禍神はガックリと両肩を落として項垂れ、超絶にわざとらしい泣き真似なんぞを始める。
『それにしても、見事に騙されてしまった。何と情けない……』
『申し訳ありませんでした、父神。私が企てたことですので、どうか雛たちや若神たちのことはお責めになられませぬよう』
疫神が即座に謝罪した。葬邪神とラミルファもすぐさま親神に駆け寄って詫びを入れている。それをぼんやり見守っていたアマーリエの脳裏に、妖絶な声が広がった。
《ふふふ、良かったな。これで今少しの間はインク切れの懸念に悩まされずに済む》
《い、いえ……》
白々しい態度で泣く素振りを見せている禍神からだった。直々に念話されたことに驚愕しつつ、アマーリエは反射的に返した。一度満タンになってしまえば千年前後は保つはずだが、それを今少しと表現してしまうのは、彼が悠久の時を在る存在であるからか。
《禍神様におかれましては、こたびの非礼を誠に申し訳なく思います》
《私が我が子や同胞を責め立てるはずがない。ディスはその点も分かってやったのだ》
苦笑を帯びた声が返る。見れば、禍神はバレバレな嘘泣きをやめ、自身にしがみ付くようにして謝る末子の背を優しく撫でていた。
《しかし、この子たちが本気でなかったことは僥倖であった。この子たちがその気になれば、私でもどうにもできぬ》
《そうなのですか? 抑えて下さっていたようにお見受けいたしましたけれど》
涅の神威で双子神を緩やかにだが拘束しており、封じられているように思ったが。
《あれはこの子たちが反抗も抵抗もせず、されるがままになってくれていたからだ。もしも〝パパ嫌い!〟とでも言われ、真の神格を出された上で牙を剥かれれば、私など瞬き一つする間もなく束縛し返されてねじ伏せられる。何しろ我が御子神たちは、全員が生来の荒神であるがゆえ》
《はぁ……》
ああ怖い怖い〜、とヘラヘラ嘯く禍神に生返事を投げ、アマーリエは葬邪神と疫神、ラミルファを見た。悪神三兄弟の顔には『パパ大好き!』とデカデカ書いてあり、間違っても親神に無体を働くことは有り得ないと分かる。禍神自身もそれを十二分に承知しているのだろう。言葉とは裏腹に、その表情にはどこまでも余裕があった。
ありがとうございました。