47.次元違いの荒神
お読みいただきありがとうございます。
『くっ……』
方々の壁に叩き付けられた四柱は、小さく呻きながら床へ崩れ落ちる。ただの打撃ではなく、荒ぶる神威を喰らったため、ダメージをそのまま受けたのだ。壁面ごと粉砕して外に吹き飛びそうな勢いで激突したにも関わらず、棟のどこにもヒビすら入っていないのは、疫神の結界が効いているからだろうか。
「フ、フレイ――」
「行ってはいけませんアマーリエ! あなたが戦線に出れば、また焔神様のトリガーが緩んでしまいます!」
「っ……!」
反射的に足を踏み出しかけたアマーリエだが、フルードに制止されてたたらを踏む。
疫神との初戦時、アマーリエを守ろうと神威の抑制を外しかけたフレイム。あの時の彼が放った、得体も底も知れぬ圧。愛しい者が、どこか遠い遠い彼方へ行ってしまいそうだと感じた恐怖と焦燥は、今でも心に焼き付いている。
『戦線なぁ……この程度、我にしてみれば戦っている内にも入らんぞ。ほんの軽くじゃれて来る子猫の相手をしてやっているようなものだ』
一方の疫神は槍と稲妻を消し、どこか困ったような苦笑を浮かべてのたまった。恐ろしい言葉に、静かな戦慄が場を満たす。
(とんでもないわ……)
アマーリエは言葉も思考も停止させて立ち尽くした。入眠から覚醒したばかりの疫神とは、もう少しやり合えているように思ったが、あの時の彼は本当に寝起きのプレウォーミングアップしかしていなかったのだ。
『お前たちの性格は大人しすぎる。我の相手はできん。アイとセラがいれば後方支援に回り、中距離か遠距離からの援護射撃でもしていただろうが、それでも結果は今と同じだ』
右手でペンをヒラヒラ振る疫神は、今の攻防で左手しか使っていない。殺気どころか、害意も敵意も、闘志と戦意すら放っていない。ただただ愉しく遊んでいるだけだ。
悪意もなく、気迫もなく、威圧もなく。ただヘラリとそこにいるだけで、全てを圧倒する。
『少しは戯れたかったゆえ、あえて体を動かしはしたが……何なら武器も手足も使わず、ただ棒のように突っ立って居眠りしたままでも、我はお前たち全員を瞬時に圧服させられるぞ』
『ディス、あに、うえ……』
うつ伏せに倒れ込んだラミルファが、喉の奥から絞り出すように呟いた。頭をもたげ、震える腕を疫神に向けて伸ばす。
『そんなはずない……あなたが……返して、下さい……!』
灰緑の目が懇願の色を帯びて兄を見上げていた。細い腕が痙攣している様を認め、疫神の顔色が変わる。
『腕が痛むのか? 手首を打った時か、最後に一撃を入れた時か……なるべく傷付けんよう加減したつもりであったが』
長身がかき消え、末弟の前に片膝を付いた体勢で現れる。暗緑の御稜威がラミルファに纏わされた。回復の神威だ。フレイムと戦神、闘神も同様の光に包まれる。
『兄上……』
なおも腕を伸ばす末の邪神に、静かな口調で諭すように話しかける。
『動いてはならん。繰り返すが、お前は荒事などせずとも良い。我と対峙するのは無理だ』
『対峙したくてしているわけではありません。兄上がペンを取り上げるから――』
『可愛い弟にこれ以上のことをするつもりはない。他の同胞にもだ』
サラリとした白髪を、大きな手がくしゃりと撫でる。赤子を宥めるような優しい手付きだった。普段の疫神は、末弟のことを力の弱い存在として扱っている。その気になれば自分と同格になると認めはしていてもだ。一方の葬邪神は、末弟は自身と同等の神であるという認識が濃い。
『分かっているだろう、お前は我に勝てん。お前が最奥に押し隠している、凶暴な面を表出させるスイッチを入れなければ、だが』
疫神がフルードに本気で攻撃でもしかけない限り、そのスイッチは入らない。そして、疫神は大切な身内にそのような無体はしない。
『例え勝てずとも、あなたが手に持っているそれをアマーリエに戻すまでは何度でも……』
まだ回復途上なのだろう、よろめきながらも身を起こそうとするラミルファをそっと押し留め、疫神が屈み込んだ。長い黒髪が流れ落ちる。赤い唇が末弟の耳元に寄せられた。
『――――――――』
囁かれた言葉。それを聞いた末の邪神が双眸を見開き、兄を見つめて動きを止めた。同時に、アマーリエたちの脳裏に声が弾ける。
《――――――――》
(えっ……!)
全員が微かに息を呑む。身を引いた疫神が右手をクルッと返した。
『さて、そろそろこれを潰してしまおう』
『待たんかディス!』
怒号と共に赤黄の光がつんざめき、葬邪神が顕現した。
ありがとうございました。