38.皇帝は笑顔の裏で怒る
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天堂で神々が青ざめている時点から、少し時は遡る。
『ピュイィ、モグモグ……キュエェ、ガツガツ……グフッ!?』
よほど美味いのか、鳴き声と咀嚼音を交互に発しながら一心に菓子をがっついていた紅の怪鳥……ではなく神鳥が、不意にくぐもった声を上げた。翼をバッサバッサと動かし、胸を叩いている。
『ムググ、ギュ、グェ……』
「どうした日香二号?」
異変に気付いた秀峰が歓談を止めた。鳥を注視し、顔色を変える。
「大変だ! 日香に修復されたせいでバカになった神器が菓子を喉に詰まらせた!」
丁寧に解説しながら椅子を蹴り、一目散にバカ鳥の元へ走る。白目を剥いて痙攣している巨大な鳥の背をベシベシ殴打しながら、大真面目な顔で悲痛な声を張り上げる。
「この神器に何かあれば、我ら天威師は地上にいられなくなる! 早く吐かせるのだ!」
「はい、黇死皇様!」
やはり真剣な表情で応じたフルードも駆け寄り、フカフカの背を一生懸命に撫で始めた。バッタンバッタンと悶え苦しむ巨鳥を、皇帝と大神官が必死で介抱している。
「「…………」」
椅子から立ち上がったものの、どうすれば良いか分からず遠巻きにしているアマーリエたち。アリステルはシレッとした顔をしている。部屋の隅では、ラモスとディモスが心配そうな顔を向け、フレイムが頰をかいた。
「あー、吐かせるより水でも飲ませてみた方が良いんじゃないっすか」
ラミルファとクレイスは仲良く抱き合い、目ん玉をひん剥いて七転八倒する鳥を指差して爆笑している。この二名は笑い上戸らしい。
《雛たちよ、もう安心じゃぞ〜》
のほほんとした声が脳裏に響いたのはその時だった。アマーリエは目をパチパチとさせる。
「……あら。魔神様から連絡だわ」
《遊運命神様の誤解が解けたのじゃ。こちらで起こったことと判明したことを、全部そちらの頭に転送するでな》
次の瞬間、天堂の中で明らかになった事が脳裏に送られる。
「マジかよ……とんだ神官たちがいたもんだ」
紅鳥に手際良く水を飲ませていたフレイムが舌打ちする。アマーリエも内心で激しく同意した。
(ルリエラさんにシュレッドさん……神使内定者の懇親会場で見かけたわ。やけに熱心に主任や私たちを凝視していたのよね。シュレッドさんとは先日も会って、あの態度だったもの。けれど、まさかこんなことをしでかすなんて)
以前から今回の件の萌芽はあったのだ。密かに育っていた暴走の種が、盛大に花開いたのが現在なのだろう。魔神がおっとりした声で告げた。
《とまれ、遊運命神様も雛たちの本心を理解し、矛を収めてくれた。強硬派もじゃ。残っておる聖威師たちも皆無事であるぞ。後は天堂に帰って来るなり、外で待ち合わせて合流するなり、自由にすれば良い》
「魔神様、ありがとうございます」
「感謝いたします」
アシュトンと恵奈が礼を告げた。
《此方は何もしておらぬ。礼ならば他の雛や泡神様、操運命神様方に申し上げるのじゃ。皆、そなたらのために身を投げ打って尽力したのじゃぞ》
(良かったわ……皆様、ありがとうございます)
ではな〜と言って念話を切った魔神も含めた多くの味方たちに、アマーリエは胸中で謝辞を述べた。
『ブヘァ、グェッホォエッホ!』
おっさん臭く咳き込みながらも、どうにか詰まった菓子を飲み込んだ鳥がゼィゼィと喘いでいる。横では秀峰が安堵した顔で鳥の頭を引っ叩いていた。
「取り込み中に申し上げありません。たった今、念話が入りました」
当真がクレイスと秀峰を見遣り、魔神から伝えられたことを報告する。皇帝たちの顔付きが豹変した。
「世界王の御璽が使われた? それは良くないねぇ。勝手に使った神官も、それを見逃した主任も……そして、そんな神官を信じて側近にしていた帝国王も」
クレイスが冷徹な面差しになって言う。聖威師やフレイムたちに向けていた親しげな態度からガラリと一変していた。
帝国と皇国の王族は、皇帝家の中で天威師に覚醒しなかった人間が就任する。当代の帝国王は、数代前の皇帝の血筋だ。苛政を行っているわけでもなく、取り立てて優れているところもない、平々凡々な王である。アマーリエも神事で幾度か見かけたことはあるが、特別に印象に残るものはなかった。
クレイスと秀峰とはやや血が離れているためか、それほど当代王を気にかけているようには見えなかった。天威師と血統が近い王族であれば、ある程度は目をかけてもらえるのだが。とはいえ、それでも最低限の情は持っているはずだ。霊威至上主義のこの世界で、主任神官が国王に推されないのは、皇帝の同族ではない者が王位に就いても、皇帝や天の神々からの配慮及びバックアップを受けられないからだ。世界王の立ち位置は、一般的な常識とは別枠にある。
「アマーリエとリーリアは知らないかもしれないから、超簡単にだけど話しとくよぉ。当代国王は、傍系の王族が長期公務で数年ほど離城に滞在していた時、随行したお付きに手を付けて生まれたんだ」
その王族はきちんと避妊したつもりでいたが、上手くできていなかったという。
「図らずも身籠ってしまったお付きは、決まりが悪かったらしくてさぁ。腹が目立って来る前に理由を付けて、一時的に側仕えの務めから退いた。で、妊娠と出産の事実を言わないまま産み落とし、その後は仕事に復帰して、陰でこっそり子どもを養育してたんだよ」
それもそれですごい胆力である。だが、いつまでも隠しておけるはずがない。落胤の存在は、やがて父たる王族の知るところとなり、天威師として目覚める可能性があるために放置はできず、皇帝家に迎え入れられた。
「だから当代国王は、皇帝家の子女が胎児の段階から受ける専用教育が不十分な状態で育っちゃったんだ」
皇帝家に入ってからは急ピッチで教えを受けたものの、自我の基礎が芽生える年少期を不意にしてしまった代償は大きかったという。
「加えて本人の素質とか性格的なものも相まって、ちょっとガードが緩いっていうか、脇が甘い大人になっちゃったんだよぉ」
それでも君主として致命的な欠陥レベルにまでは至っておらず、代替わりの際に他の王族が年少だったこともあり、先代の帝国国王は悩みながらもその子どもを王位に即けた。しっかりした側近が支えれば乗り切れると目測を立てたらしい。人王の選定と決定に関しては王族が采配する決まりなので、天威師は口出しも手出しもしなかったという。
「宗基家の先代当主も似たようなものだった。母親が子どもを抱え込み、一位貴族の教育をきちんと受けさせぬまま育ててしまった」
「その結果がアレですわ。先代当主の行いには様々苦労させられましたのよ」
苦虫を噛み潰したような秀峰の言葉に、恵奈が氷点下の笑顔で同意する。宗基家の先代当主は彼女の実父であり、過去に盛大なやらかしをして自爆したらしい。発する空気があまりにも怖すぎて、突っ込んで聞ける雰囲気ではなかったが。
アマーリエが冷や汗をかいた時、パンと軽く手を打ち鳴らす音がした。
「よしっ。俺は帝城に戻って、国王に側近の神官の件について確認して来るよ」
打って変わって再び温かな表情になったクレイスが言い、秀峰も続けた。
「では私は、勧請していた祖神の還御を奉送する。こちらも今しがた、先代……父上と母上から念話があった。先々代、つまりお祖父様とお祖母様をどうにか説得できたらしい。もう戻って来ても安全とのことだ」
「それは良かったですー」
ランドルフが笑顔で応じる。天威師と聖威師は、互いに足りないところを補い合う両翼のような関係だ。双方そろってこそ飛び続けることができる。どちらかが強制昇天になれば、地上と人間は詰みだ。
「話せて嬉しかったよぉ。またお喋りしよう」
「ああ、心安らぐ一時であった。また会おう」
言い置き、皇帝たちが身を翻す。秀峰は巨大な鳥を引きずっていた。見送る皆の前で、その姿がさっとかき消えた。
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