35.神に見出されない神使
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『それもそうか。シュナ、お前は引っかからんかったのか? 聖威師を還すことは人間側にとって自滅行為であるにも関わらず、国王と主任がこのような内容に印を押すだろうかと』
『いいえアレク、書状の最後を見て。此度の奏上は真実であるという宣誓の後に、聖威師様方が還られた後の地上のことはこちらにお任せあれと、今後のことまで触れて書いてあるわ』
『うむ、ブレイの言う通りだ。ゆえ、私が眠っておる間に状況が変わり、聖威師が還ろうとも凌げる目処が、何らかの形で付いたのだと思うたのだ』
難しい顔で書状を睨む葬邪神とブレイズに、遊運命神が補足する。
ルリエラたちは神の怒りのことを知らない。聖威師がいなくなろうとも、主任神官の力や神官府の神器があればどうにかできるとタカをくくり、この文言を入れたのだろう。だが遊運命神は、それを別の意味で受け取っていた。
『なるほど……神官たちの独断だというなら、そいつらは正印を持ち出せる立場なのか?』
『ルリエラは主任から信用されていたため、印の結界を解除するための言霊を伝えられていました。シュレッドも帝国の国王と親交があり、その縁故で側近を兼任しているため、やはり御璽の結界を解く術を知っていました』
マーカスは澱みなく答えた。彼の神官としての勤務歴は、オーネリアに迫るほど長い。しかもつい最近まで生きていたため、中央本府や神官については、ほぼ最新の情報が頭に入っている。
『ただし、予防策は取られていました。自身では外せないチョーカー型の霊具を常に付けさせられていたのです。解除方法を他言したり、正規の用件以外で印を取り出そうとすれば、霊具が反応して装着者の首を締め上げます。また、主任と国王にも即座に伝わります』
一人の人物が大切な印を取り出せる状況なのだから、当たり前の措置と言える。
そもそも、保管されている物の重要性を踏まえれば、権限を付与された複数名がそろわなければ保管庫を開くことができないようにするべきだ。しかし、緊急で押印が必要になった時や、火事や地震などの非常事態で印を避難させたい時などに、権限付与者がすぐに全員来られないこともある。
実際、三千年以上に及ぶ帝国と皇国の歴史の中で、そのような事態が幾度か起こった。そのたびに時の執政者が頭を悩ませながら制度を修正し、現在はマーカスが説明した体制になっている。
『だが今回、無断で印が使われたとすれば、その霊具をすり抜けたということか?』
『ルリエラとシュレッドのチョーカーは少し前に外されました。二人が使役に選定されたためです。天より選ばれ、僅かとはいえ神側の存在に足を踏み入れた彼らに、そのような威圧的な霊具を付けさせておくのは如何なものかという声が上がり、外すことになりました』
神官府の神官だけでなく、帝城の官吏たちも問題視したため、主任と副主任を含む人間の高位神官、そして国王と王族を始めとする大臣たちが協議して決まったことだ。
決定後、事後報告を受けたフルードたち聖威師は、抑止を無くして良いものか慎重に再検討することを提案したが、決定は覆らなかった。そうなると、聖威師はそれを受け入れるしかない。人の世を運営するのは人だ。人間の領分に属する案件に対して、最終的な決定権を持つのは人間のトップなのだ。
葬邪神が漆黒の双眸を眇め、神々がさざめきのように言葉を交わし合った。
『選ばれたと言っても、あの二人は神が見出したわけではない』
『掃除や手入れが大好きとかで、誰もやりたがらない暗い場所の清掃もやると手を挙げたから、天界全体の清掃専従の使役として内定したのではなかった?』
『それでも神にお目見えすることはあるからと、研修の参加対象に入れられてはいたようだが』
個別の神に選ばれずとも、そのようにして選出される方法もある。ただし、清掃は基本的に下働きの仕事だ。奇跡に満ちた天界にも、綺麗でない場所はある。悪神の領域に近い区画や、神同士が遊んで逆巻いた神威の名残が漂っている場所は、空気が違うので下位の雑役でも嫌がる。
そんな場所でも厭わずに掃除すると売り込んだことで、ルリエラとシュレッドは特殊枠で使役に内定した。
『ストッパーが無くなったことも、ルリエラとシュレッドの箍を緩ませる一因になったのかもしれません。その点も踏まえ、主任と大精霊に留意を願い出ていたのですが……』
ルリエラとシュレッドの心を確認しても、主任や聖威師への純然たる思慕があるのみだった。ルリエラにしても、聖威師への尊崇の念もきちんと持っている。天や神々への逆心は見付からなかった。ゆえに、優先順位は高くないとして対応を後回しにされたのだ。
『推測ですが、二人の強すぎる敬愛の心が暴走を起こしてしまったのではないかと思われます』
『二人で共謀したということか。ルリエラは印章を、シュレッドは御璽を持ち出し、宣誓書に押印する。そしてルリエラが立会人として署名し、シュレッドが天と交信した。その霊威を、よりにもよってシュナが拾った……』
『きちんと調べてみなければ分かりませんが、その可能性はあると思われます。事実として、交信者と宣誓書の署名者は彼らだったわけですから』
葬邪神がまとめ、マーカスが遠慮がちに、しかし明確に肯定した。
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