33.狂気の前兆
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『恐れながら……』
皆が視線を一点に向ける。声の発生源は、惨状と化した部屋の片隅に佇んでいるマーカスだった。緊張と萎縮の気配を全身から漂わせている。
『うん、どうした? 調子が良くなさそうだなぁ。気分が優れないなら、無理せず自領に戻って休んだ方が良いぞ』
真っ先に反応したのは、神々の兄ポジションにいる葬邪神だった。マーカスに優しい眼差しを向けている。同じく姉の立ち位置であるブレイズも気遣わしげな声をかける。
『たくさんの神々が御稜威を発現したから、重圧がかかったでしょう』
険呑な御稜威を纏いかけていた神々が、慌てて力を霧散させた。例え低位であろうとも、正真正銘の神格を得たマーカスは大切な同胞だからだ。
『もったいなきお言葉を賜わり、恐縮にございます。神々の御前で発言する恐れ多さを御し切れず、汗顔の至りです』
『うぅん、まだ神官モードが抜けとらんなぁ。お前はもう俺たちの身内になったんだ、もっとリラーックスして良いんだぞ。で、どうした?』
苦笑する葬邪神に促され、勇気を振り絞ったマーカスが一呼吸置いてから言葉を発した。
『はい……恐れながら遊運命神様に申し上げます』
『ん?』
私? とばかりに己を指差した遊運命神が、キョトリと首を傾げる。だが、その表情は訝しげながらも柔らかだ。
『何かな、新しき雛よ』
『ルリエラ・ミーナ・シュテンバル。シュレッド・ライズ・ドールテン。……あなた様に奏上した神官は、このどちらかではありませんか?』
おずおずと投げかけられた言葉に、やや青みがかった鉛色の双眸が瞬いた。
『おお、その通りだ。よく分かったのう。交信して来たのはシュレッドだ。ルリエラの名もあったぞ。主任と国王の印が入った宣誓書に、押印に立ち会った神官として署名が書かれておった』
『やはり……何と愚かな真似を』
マーカスが胃の辺りを抑える。神となった以上、胃痛も腹痛もないはずだが、人間時代の名残だろう。
「僭越ながら、何かご存知でいらっしゃるのでしょうか」
『はい、ライナス様。あの二名に関しては、以前より気になっていたのです』
丁寧な態度で尋ねたライナスに、マーカスも敬語で応じる。この二名が有する神格を比べれば、当然ながら有色のライナスの圧勝だ。しかし、マーカスは神性を解放して天の神となった身。聖威師たちは未だ神格を抑えた擬人。この場合は双方が互いに対してへりくだる。
マーカスからすれば、常に自身の上に在り続けていた聖威師たちが頭を下げて来る状況なので、内心では慄いている。だが、逝去の前にこうなることは打ち合わせ済みだったので、覚悟はできていた。表面上は動揺を見せずに続ける。
『私は神使内定者の交流会を通じ、彼らと近くで接する機会を得ました。そこで感じたことなのですが……神官ルリエラ及び神官シュレッドは、どうも聖威師に早く昇天していただきたいと思っているようなのです』
定期的に行われる神使内定者の研修が終わった後、皆で食事会や酒席を開いたりして独自に親睦を深めていたらしい。その席でルリエラとシュレッドが放つ何気ない言葉から、そのような印象を抱いたという。
「聖威師に昇天して欲しい……それはどういうことでしょうか?」
オーネリアが眉を寄せた。
『まずルリエラですが、彼女は帝都中央本府の主任神官を敬愛しています。何でも、幼い頃に故郷の街が妖魔の群れの襲撃を受けて壊滅状態になったところ、討伐部隊を率いてやって来た主任神官に救われたそうです』
その時、ルリエラはこう思ったのだという。自分の命はあの人に救っていただいた。だから自分の一生は、あの人に捧げよう。あの人のために生きよう、と。
平民であった彼女が幸運にも徴を発現し、神官となって中央本府に入府したのは、それから少し後のことだった。
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