29.人にないもの、あるもの
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「神格を解放した神であれば修行は不要ですが、神性を抑えている聖威師は人と同じように修練が必要です」
「だが、ただ鍛えれば良いというものではない。自身に合った師に従事し、適切な指導を受けねば、潰れてしまう恐れもあろう」
秀峰が静かに言った。光を吸い込んで艶めく漆黒の双眸が、初めて会った時と変わらぬ静謐さと奥深さを湛えている。
「人は心を持つ生き物だ。石ころでも鉄でもない。石は研磨すれば玉となり、鉄は叩けば鋼となる。だが、人の心は力任せに磨くだけでは摩耗し、闇雲に叩くだけでは砕けてしまうやもしれぬ。それは人間に擬態している聖威師も同様だ」
この皇帝は、幼少期は無能の御子として不遇をかこつ身であったそうだ。ずっと昔に、心が破壊されるような何かがあったのかもしれない。フルードが唇を綻ばせた。
「仰せの通りです。心は命そのものです。命は生きています。生きるためには、適度な休息と安寧も必要です。進むべき時に進み、休むべき時は休む。自分を大切にしなくてはなりません」
向かい合う二名は、青年でありながら少女にも見える面立ちをしている。秀峰は、性別を凌駕した神秘の美しさ。フルードは、性差が顕れる前の子どもがそのまま成長したような、奇跡的な中性さ。驚異的かつ絶世の麗姿は同じでも、その種類が違う。
「それに、人は植物でもありません。深く大地に息づく根は持っていません。ですが、人間には足があります。自身のいる場所が嫌だと思えば、地面を踏みしめて行きたい方に進んでいくことができます」
「そうだな。例え足が不自由な者がいようとも、杖を使い義足を使い、腕で這い周囲の支えを借り、一歩ずつでも進む事はできよう。己に自信を持ち、かくあるべきと思う方向を目指せば良い」
対話する秀峰とフレイムの呼吸がピタリと合っているのは、彼らの気質が似ているのか、これまでに相当親しくする機会があったのか。
「私は大いなる導きにより、最高の師を得ることができました」
フルードの師はフレイム、両者が巡り合うよう陰から誘導したのはラミルファ。フルードはそれらを承知していた。
「とはいえ、世の中にはそのような幸運に恵まれぬ者の方が圧倒的に多い。ですから、私に許された範囲でできることを行なって来ました」
寄付や物資の提供を始めとする、福祉活動への後援もその一種だ。
「ですが、この身に残された時間はあと僅か。……紅日皇后が始まりの神器を修復されたあの出来事が23年前になる時、私はもう地上にいないでしょう」
すぐ際まで迫り来る刻限。終焉を見据えるフルードの姿を映す皇帝たちの双眸は、どこか切ない。彼らにも視えているのだ。フルードに残された猶予がもはや尽きかけていることが。それを察した優しい青が、ほろ苦さを孕んで揺れた。
「俺たちも遠からず上に行くよ。天威師にも滞留上限はあるからさ。そしたら一緒に話そうよぉ」
「そなたは色持ちの神だ。有色の神は超天に来られる。私たちの方から天界に降りても良い」
自分たちはいつでも会えるのだと言うクレイスと秀峰に、アマーリエは内心で驚愕した。
(高位神って超天に行けるの!? 至高神様がいらっしゃる領域でしょう?)
天界よりさらに高次にある超天。至高の神々が坐すその絶域にすら達することができる色持ちの神は、本当に特別なのだ。数多の神々の中でも一握りしかいない有色の神。今まで朧にしか分かっていなかったその特異性と特別性を、ここで認識することになった。
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