5.時空の神
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声を上げたのはフレイムだった。影がチラとアマーリエたちの方を向いた。一見すれば、敵と対峙している中で明らかな隙を見せたようにも思える。
しかし、虎たちは動かない。動けない。これを好機と襲い掛かれば、瞬時に返り討ちに遭うと分かっているのだ。実のところ、この神は隙など見せていない。
『何たる愚行か』
衣を揺らした神が虎に向き直ると、魅惑の響きが紡がれる。
『我が愛し子とその家族を狙うとは』
時空神が、被いていた衣を肩まで下ろした。微かに紫がかった白い髪が零れ落ちる。入れ替わりに現れたのは、精緻な細工品のごとく完成された容貌を持つ青年の顔だった。天の美しさを体現したような、眉目秀麗な顔立ち。だが、両の目は閉じられており、瞳の色は分からない。
優雅な細腕がしなり、流麗に閃く。絶大な神威の揺らめきと共に、衣がぶわりと翻ると、その内側には無限の空間が広がっていた。果て無き宙の中に、大小様々な時計盤が無数に浮かんでいる。
『額突くが良い――』
幻惑的な美声が、荒んだ室内を彩る。
『時空の神の御稜威の下に』
青年がカッと両目を見開く。露わになった双眸の色は漆黒。だが、ただの黒ではない。左目の黒には星々が煌めく宙の波紋が映し出されており、右目の黒は時計盤となり金色の数字と銀色の針が浮き上がっている。
最高神と同等の境地にすら届く、選ばれし神の神威が迸った。部屋の中を突風が吹き荒れる。
「ユフィー!」
フレイムがアマーリエを抱きしめた。時空神が右手を突き出すと、手の甲に輝く数字が出現し、明滅しながら数を減らしてカウントダウンを始めた。
数字が0になった瞬間、空間に亀裂が走り、左右上下に開いて真円となる。向こうに広がるのは、不規則に波紋が揺らめく無限の虚無。不可視の力に搦め捕られ、大虎たちは踏ん張ることも許されず中に吸い込まれていく。
断末魔の雄叫びが尾を引いて消えると、円形の穴はスゥッと閉じた。
『時空牢へ幽閉した』
再び目を瞑った時空神が静かに言う。
「い、一体何があったのですか!?」
アマーリエはライナスたちに駆け寄った。ランドルフとルルアージュの全身をざっと確認し、大きな怪我はしていないことを確認する。
時空神がライナスの前に片膝を付いた。愛し子の容態を確認するように顔を向ける。その瞳は閉じられたままだが、目を開けていなくてもきちんと見えているのだろう。
『大事ないか、我が愛し子よ』
「時空神様のご加護を持ちまして」
安堵と硬さがないまぜになった声で頷くライナス。
『ならばその点は良しとしよう。……地上へ降臨したからには力を抑えねばな』
言葉と共に、時空神の纏っていた神威が抑制される。ゆるりと瞼が開いた。うっすらと微笑む瞳は、色を隠した純白に変わっている。宙も時計盤も、白に塗りつぶされて見えなくなっていた。もしや、神威を抑えている際はこの目になるのだろうか。
「あの虎が襲って来たんですか」
フレイムが時空神に聞いた。
『そのようだ。私はちょうど、この子と交信していたからね。すぐに危機に気が付くことができた』
ライナスの邸とイステンド大公邸には、時空神の創った特殊な部屋がある。それらはライナスの昇天後に閉じられる予定になっており、そのことに関連する確認の交信をしてたそうだ。
確認が済めば茶会を開始する予定で、既に料理や茶菓も準備万端だったという。
「時空神様とお話ししている最中、いきなり部屋の窓ガラスを突き破ってあの虎が乱入して来たのです」
顔色の悪いライナスが話し始めた。強張った顔をしているランドルフとルルアージュの背を、そっと撫でている。
「大公邸の使用人は人間ですので、真っ先に彼らを強制転移で避難させました。その後、自分たちにも結界を張ったのですが、聖威が無効化されてしまいました」
虎の雄叫びだけで室内のあらゆる物が破壊され、結界を纏ったまま壁まで吹き飛ばされたという。同時に聖威も打ち消され、無防備な状態になってしまった。だが、天の神に逆らう行為は厳禁なので、どのみち結界は解かなければならなかったそうだ。同じ天の神の許可がなければ、本来は防御すらできない。
「虎の視線を考えると、私よりも孫たちの方を狙っていたようでした。その時、こちらの異常を察知した時空神様が駆け付けて下さいました」
「もしかして、それで念話が通じるようになったのかしら。最初は、こちらに念話してもノイズに邪魔されて繋がらなかったんです」
「あの虎を放った神が邪魔してたんだな。で、時空神様が来て神威で阻害を中和したから、念話も復活したんだろう」
アマーリエの呟きに、眉間に皺を寄せたフレイムが応じる。時空神が首肯した。
「そのようだ」
「時空神様、あの黒い神威は悪神の色です。聖威師を強制昇天させようとする強硬派の襲撃ですかね?」
「いや、あれは運命神様の神威だった。焔神様は会ったことがないから分からないだろうが」
「は? 義兄上が何で――いや違うか、悪神なんだから遊運命神シュナイツァー様の方か」
「ああそうか、私の言い方が悪かった。そう、遊運命神の力だ」
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