41.最後の手段
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(聖威師でもない人間を守ってくれる悪神なんかいないわ)
仮にそんな奇特な悪神がいたとしても、人間の思考や価値観を尊重してくれるはずがない。確実に悪神の基準で行動し、エイリーに苦行を押し付けるだろう。
アマーリエの危機には影に日向に全力で立ち回ってくれたラミルファが、今は完全に素知らぬ顔で動こうとしない。その落差が、同胞とそれ以外への残酷なまでの線引きを物語っている。
「……一つだけ打開策がある。私がエイールの守護神になる案だ。私が今すぐ神に戻り、昇天する。フルードかアマーリエが即座に私を勧請し、エイールの守護神になることを請願する。それを私が受ければ、助けられる」
「そ、それはそうですけれど、そうしたらアリステル様はもう聖威師に戻れなくなってしまいます。奇跡の聖威師はとても稀少なのでしょう?」
「聖威師が神官府の長となってより三千年強、奇跡の聖威師がいたことはほとんどなかった。それでも務めはこなせていた」
悪神を宥めることも、悪神の神器を鎮静することも、通常の聖威師にも可能だ。もしも奇跡の聖威師がいたなら、同じ悪神同士なのでそちらが対応する方が好ましい、という程度である。
「奇跡の聖威師は、神であるのだから畏敬と尊崇の対象だ。だが同時に、悪神の神格を持つことから、恐怖の対象でもある」
アリステルの存在は、中央本府でもあまり話題にならない。滅多に表に出ないのだから当然のこととはいえ、それでもれっきとした正式な大神官であるのにだ。
聖威師を除いたほとんどの神官たちは、無意識に彼を話題や意識そのものから除外し、考えないようにしている。アリステルは、その存在自体を憂虞すべき悪神だからだ。
「私は元人間ではあるが、人に興味も愛着も持っていない。人間にどう思われようが、どう評価されようが全く気にしない。それでも、大神官として神官府の和を考慮するならば、私は早くいなくなった方が良いのかもしれない」
「待って下さい、そんなこと……」
ない、とは言い切れなかった。今でこそ聖威師の仲間入りを果たし、アリステルとも親しくしているアマーリエだが、もし人間の霊威師のままであったなら――きっと彼をとても恐れていただろうから。
「……アリステルがエイリーの守護神となることは、最終手段として検討します」
難しい顔をしたフルードが告げる。彼にとっても苦渋の判断なのだろう。
「ただ、エイリーには厳しい言い方になりますが――世界を守ることができる聖威師と、何の力も持たないただの人間。どちらに価値があるかといえば、比べようもなく前者です」
同じ貌にはまり込む正反対の青が、正面から絡み合った。
「大神官とはいえ悪神であるあなたは、表立って前に出ることが少ない。その活動や務めの全容も周知されていませんが……誰も見ていない、聞いていない、知られてないところで、数え切れないほどの人々を救っています。その総数は億の単位程度では済みません。世界そのものを救ったことも幾度もあります。あなたがいれば、これからも大勢の者が助かるでしょう」
「それがどうした。繰り返すが、私は人間からの毀誉褒貶はどうでも良い。ただ、私を愛しんで下さる神々に認めていただければそれで良い。それに、お前が今言ったことは、目の前にいる者の危機を見過ごして良い理由にはならない」
「ええ、その通りです。いつかどこかの日、まさに目の前で危機に瀕して泣いている者たちを守ることができるのがあなただと言っているのです。あなたはまだこの世界に必要な存在です。……エイリーを救いつつ、アリステルを失わずに済む他の方法があれば良いのですが」
別の良案がないか頭を回すフルードを眺め、アリステルは口の中で呟いた。
「例え今少し長らえたとしても、私が地上にいられるのはどのみち残り僅かだ。フルード、お前も同じだろう」
その声は音にならないほど小さく、やはり妙案がないかと必死で考えているアマーリエには届かない。ただ、フレイムとラミルファは神妙な顔でレシスの兄弟を見ている。
少しの間、宙を睨んでいたフルードが口を開いた。
「ライナス様に頼み、爆発する前にエイリーの時間を止めていただきましょうか」
時空神の愛し子であるライナスは、自らも時の神の神格を有している。アマーリエは一度、彼がその権能を行使しているところを見たことがある。輝く時計盤を左手の甲に浮き上がらせ、その中にある時針と分針、秒針を右手の指で自在に動かすことで時間操作を行なっていた。
時計型の他にも、スロットのようにズラリと横に並んだ数字を手や中空に出現させるやり方もあるという。数字は年月日と時間、分、秒を示しており、スロットを回せば任意の時を設定できる。
また、シャボン玉のように浮かせた無数の数字を好きなように抽出・配置する場合もあるらしい。後は、砂時計や水時計などを出現させて時間を操る方法もあると聞いた。
そして何より、その気になればそういった小道具を用いる必要もなく、己の意思一つのみで思うままに時を制御できるそうだ。だが、時間操作は国法で禁術とされているため、どの方法であれ滅多に使う機会がないとも言っていた。聖威師は超法的な存在だが、人の世の決まりはできる限り尊重するようにしている。
「そんなことをしても一時しのぎだろう。時間停止は禁術だ、使用上の制約が大きい。制限が緩いライナス様でもそれほど長くは止められない」
「ですが、少しだけでも時間稼ぎしている間に、聖威師全員で知恵を出し合えば、新しい策が浮かぶかもしれないではありませんか……」
冷静なアリステルに、僅かでも希望を繋げるのなら無駄ではないと、フルードが反論しかけた時だった。
「ああ、残念だが時間切れだよ」
ラミルファが軽く口笛を吹いた。
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