29.久しぶりの実家
お読みいただきありがとうございます。
◆◆◆
「やっぱり汚れが目立つわね」
金木犀の茶会から数日後。見慣れた実家に足を踏み入れたアマーリエは、小さく呟いていた。
フレイムの寵を受け、邸を賜って以降はほとんど帰っていなかったサード邸は、不思議な懐かしさと寂寥を感じさせた。良い思い出はほとんどない場所だが、それでもここはアマーリエの生家なのだ。
「空気も籠っているわ」
(まず邸中の窓を開けて換気して、上から順に掃き掃除と拭き掃除を……)
薄汚れた窓ガラスを見ながら、頭の中で清掃手順を組み立てていると、当然のごとくくっ付いて来たフレイムが咳払いした。
「あのな、ユフィー。お前が考えること、何となく分かるんだが。自分で掃除しなくても、聖威を使えば一瞬でピッカピカにできるからな?」
(あっ――!)
そうだったと目を見開く。サード邸にいた頃は脆弱な霊威しかなく、ほぼ全ての重労働を手作業で行なっていた。その時の気持ちに戻ってしまっている。
「わわわ分かっているわよ。そ、そうよ聖威を使うわよ」
明らかに不自然な噛み具合で頷くと、フレイムはそれ以上ツッコむことなく苦笑した。ポン、と軽く頭を撫でられる。
「ま、愛妻の実家だからな。俺がやってやるか」
次の瞬間、景色を切り替えるように、視界に映る全てが鮮明になった。棚に積もっていた塵や埃、薄汚れた床、重く淀んだ空気までが一気に吹き払われる。微かな曇りすらなくなった窓ガラスを覗けば、雑然としていた庭の草木までが嘘のように整っていた。
「わぁ、すごいわ……!」
「ふふん、褒めろ褒めろ」
感嘆の声を上げるアマーリエにニヤッと笑い、指の一本も動かすことなく邸を生まれ変わらせたフレイムが問う。
「で、どこから手を付けてくんだ?」
「ええと、やっぱりまずは資料庫かしら」
アマーリエたちが属国にいた間、この邸を使う者はいなかった。貴重な資料の類は、属国に行く前に、父ダライが帝都の役所の金庫に預けていた。
9年振りに帰邸した際、それらの返却手続きを行ったのはアマーリエだが、中身をじっくり見ることはせず資料庫に入れていたのだ。
だが、いざ確認してみると、資料や文献の類は思っていたよりも少なかった。残っているものも、ほぼ全て綺麗に仕分けされている。
「お祖父様が貴族籍を抜ける時、かなり整理して下さったのね」
祖父が残した目録や書き付け、記録を確認しながら、若干拍子抜けするアマーリエ。
「これならやることはないわ」
(何回か来なくてはいけないかと思っていたけれど)
神官府の神官たちは交代で休暇を取る。それは聖威師も同様だ。休日を幾つか潰さなくてはならないかと覚悟していたので、嬉しい誤算である。
ラミルファに言われた家系図の原本も確認し、役所で取り寄せた写しと照合してみたが、ピタリと一致した。
「これで全部なのか?」
「後は……お父様の部屋に何かあるかも。歴代の当主が使っていた部屋よ」
ダライが使っていた部屋に入ってみるも、家に関係ありそうな文書は見当たらなかった。せいぜい、古本として売れそうな実用書や事典などがあるくらいだ。
「見事に何もないわね」
「もう終わりか。早いな」
「あっという間に終わったわ」
「んじゃ帰るか。何か甘いモン作ってやるよ。クリームチーズのタルトなんてどうだ?」
「この前作ってくれたやつね! もちろん食べたいわ! カスタードをいっぱい入れてくれる?」
弾んだ声で部屋を出たアマーリエは、帰ろうと廊下を歩きかけ、ふと振り返った。
「――そうだわ。書斎も見ておこうかしら。お祖父様がよくそこに籠って、書き物や調べ物をしていたというのよ」
「おっ、行ってみようぜ」
ありがとうございました。




