21.エイリスト王国の火災
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身上書によれば、バルドは21歳。アマーリエより年上だが、下位の年長者を呼び捨てにするのもそろそろ慣れて来た。
「そうだな。この場は無礼講にしよう。神官長として許す」
アシュトンも口添えしてくれる。エイールとバルドは顔を見合わせ、少しだけ体から力を抜いた。
「嵐神様は凛々しいお顔立ちをなさっているが、使役にも情を持って接して下さる。明らかに礼を失する行いさえしなければ、良くして下さるだろう」
見た目はキツそうだけど中身は優しいよ、とオブラートに包んで告げるアシュトン。それは真実だろう。新入りの使役の様子を見るために、自らわざわざ足を運んだのだ。普通の神なら他の使役に行かせるか、遠視で確認するか、自分の元に来させるだろうに。
「さらに、神官バルド。川の神にも幾度かお会いしたことがある。温厚でどっしりとした神であられる。下の者に理不尽を強いる神ではない、過度な心配は不要だ」
実際に神々を知っている神官長の言葉に、二人は一様に安堵した表情を浮かべた。アマーリエはエイールを見た時から気になっていたことを聞く。
「それはウサギかしら? 可愛いわね」
彼女は胸にネックレスを下げていた。青い石を削り出して形取られたウサギが付いている。長い右耳には、金色の輪がはまっていた。
「私の母の形見なのです。サファイアから作ったものだそうです」
「実を言いますと、このネックレスが私と妻を結び付けてくれました。妻は私の初恋の人なのです。幼い頃に初めて見かけた時、このネックレスをしていたことを覚えていたおかげで、再会した時に彼女だと分かりました」
「もう、ハオスったら聖威師様の前で惚気ないで」
笑顔で頭をかいたバルドに、こちらも嬉しそうな表情を浮かべたエイールだが、すぐに表情を硬ばらせる。両手をぎゅっと握り、恐る恐るアシュトンに話しかけた。
「そうだ。あの……神官長。話は変わりますが、先日は私の実家が大変なことをしでかしたと聞きました。本当に申し訳ございません」
「エイールはエイリスト王家とは縁を切っているだろう。無関係になった家のために頭を下げることはない」
「ですが……」
「礼なら私ではなくマーカスに言えば良い。あの者の働きは見事だった。知恵の神からもお褒めのお言葉を賜っている」
「はい、既に何度もお詫びと感謝を伝えました。ご本人は気にしなくて良いと仰るばかりですが」
(マーカスさん……さっきのご高齢の神官ね)
いち早く平静さを取り戻して膝を折った老年の神官だ。人間が得られる褒章の中では最高格とされる王宝章の一つ、玻璃章を授与されている。フルードの恩師でもあるそうだ。
マーカスがいた方を見ると、表向きは動揺を見せずに懇親会を続けている。ついでに会場内に視線を巡らせれば、運営役の神官と精霊が見回っているようだった。先ほど見かけた子ども姿の精霊も、一生懸命な表情でクルクルと動いていた。可愛い、と思いつつ、意識を目の前の二人に戻す。
「ええと、何かあったのですか?」
遠慮がちに聞くと、エイールとバルドは困惑気味に下を向いた。アシュトンが嘆息しながら説明してくれる。
「知恵の神がエイリスト国王から請われ、幾多もの制限と条件を付けた上で天の書物を何冊か貸し出していた。だが、王家の管理不足により火事が起き、書物が燃えかけた。あわやのところで、緊急念話を受けたマーカスがいち早く転移で駆け付け、炎の中に飛び込んで全て救出した」
とんでもない話だ。アマーリエは気が遠くなりそうになった。
「天の書物は知恵の神が管理されてはいるが、彼の神の私物ではない。神々全体の共有蔵書だ。貸し出した中には、色持ちの神が手ずからしたためた稀少書もあった。それが一時でも失われたとなれば、相応の騒ぎになっていただろう」
神々はどこまでも同胞に甘いので、知恵の神を責めたりしない。書物は神威で復元できるので、実質的な損害もない。だが、『何にせよ一度は燃えた』という事実は残る。
マーカスを見出した知恵の神は高位神ではないという。自分より格上の神が記した書が、神々全員の所有物が焼けてしまえば、貸し出した当事者として、ごめんなさいではすまないという心地になるだろう。
「書物を貸した自分の面子にも関わる問題だったと、知恵の神はマーカスをいたく褒めていらっしゃる」
アマーリエが葬邪神の守護を受けた反動で疲労し、休養していた間に起きた出来事だという。
「大事に至らず良かったですけれど……天の蔵書が人間界の火で燃えるのでしょうか?」
「王城に安置されている神器の誤作動で発生した炎だったらしい。つまり神炎だ。神器下賜の際に説明された手入れを怠ったことで出火し、王城の一部に火の手が回り、別室に置いていた書物も危なくなったと」
「し、死傷者は出ませんでしたか!?」
「死者はいない。マーカスと私が避難対応も行ったため、負傷者が数名出たのみだ。それも治癒で対処し、全員が完治している」
「そうですか。良かったです」
アマーリエは胸を撫で下ろした。人命に大きな被害が出なかったことは喜ばしい。
神器はマーカスと同時に急行したアシュトンが鎮めたという。それでここまで詳しく事情を知っているのだ。
「私の兄は――エイリスト国王は、火の手が上がると真っ先に逃げ出したそうです。王国の君主として、王城の頂点としてあるまじき振る舞い。お恥ずかしい限りです」
蒼白な顔をしたエイールが、絞り出すような声で言いながら床を見ている。傍のバルドが心配そうに肩を支えた。これはフォローせねばという心地になり、アマーリエは慌てて片手を振った。
「国王だもの、身の安全を最優先に行動することは間違っていないわ。現場へ指示を出すのは専任の担当者がいるでしょうから」
「いいえ、違うのです。唐突に上がった火にパニックになったらしい兄は、全力で城の外へ向かって逃走し、進行方向で狼狽えている女官や官吏たちを片端から突き飛ばして走り去ったそうです」
アシュトンが言っていた数名の怪我人とは、彼らのことだという。
「それだけでなく、避難指示を出そうとする担当者や、兄を王族用の退避経路に誘導しようとする者とも途中で鉢合い、彼らまで邪魔だと怒鳴って弾き飛ばしたそうです。転倒した彼らは頭や体を強打して動けなくなり、神官長とマーカス様に避難対応を行っていただく羽目になったと……」
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