28.見極めよ
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天威師は全員が皇帝か太子になる。当代は女性の天威師も複数名いると聞いていたので、てっきりそのうちの一人だと思っていた。
なお、皇国と帝国の皇帝家は代々通婚を繰り返しているため、黒髪黒目で生まれる者と金髪碧眼で生まれる者が混在しているらしい。前者は皇国の皇帝となり、後者は帝国の皇帝となる。例え親子兄弟でも、外見が違うために所属が分かれることもあるようだ。
目の前の二人で言えば、皇帝は黒髪黒目なので皇国の皇帝だが、金髪碧眼の太子は帝国の太子であるはずだ。
「父上、もうこの場は収めたのでしょう。儀式の時間が近付いております、祭祀の場に参りましょう」
まるで姫君をエスコートするように恭しく手を差し出した太子に、皇帝は肩を竦めた。息子の手に自分の手を乗せながら言う。
「外では皇帝と呼びなさい。以前より言っているだろう、マナ」
「父上も今、私を名で呼んだではありませんか」
「それは親の特権だ」
「左様でございますか。親はずるいですねえ」
朗らかに笑う太子は、皇帝よりもずっと背が高い。並んでいると、妹を護る兄か、姫に仕える騎士のように見える。
「――次代を担う神官たちよ」
太子に丁重に手を引かれ、退室しかけていた皇帝が振り返った。唐突な出来事に、アマーリエたちは一斉に凍り付く。
「神官は人でありながら神に通ずる者。ゆえにこそ己をしかと保ち、心を歪めず、甘言に流されることなく強かにあれ。誘惑に侵され身を堕とせば、いずれ辿り着く末路に泣くことになる」
瓏々と告げる皇帝は、言葉の上ではアマーリエたち全員に語りかけているものの、その視線は何故かミリエーナ一人に向けられていた。
「皇帝様……?」
ミリエーナが困惑を浮かべ、おずおずと聞く。
「恐れながら、どういう意味でしょうか……?」
だが、皇帝は直接的な返答をしなかった。果てのない強さを秘めた双眸を、ひたと据え続けている。
「よく聞きなさい。現世という場所は特別なのだ。英雄と咎人が並んで歩けば、太陽は双方を分け隔てなく照らし出し、雨はどちらにも平等に降りかかる」
「父上、お時間が」
太子が控えめに割り込もうとするが、皇帝は言葉を止めない。
「だが、天においては違う。温かな光は神に認められし者だけに注がれ、冷雨は神に疎まれる者のみを打ち据える。ゆえに、性情関係無く等しい扱いを受けられる現世でこそ、持ち直す機会が与えられる」
「ここまでです」
太子が再び口を開いた。気のせいか、先ほどより緊迫した声だ。
「この者はまだ人間です。我らが必要以上に介入するべき存在ではありません」
はっきりと制止した太子に、しかし、皇帝は首を横に振って続けた。
「昇天してから後悔し、やり直したいと望もうと、それは至難の技となろう。そのことをゆめ忘れるな。今一度自省し己の有り様を見つめ直し、誇れる姿であるか、潔白ならざるものに魅入られる姿であるか、自分が相対しているものが何であるか――見極めよ」
そこまで行った瞬間、皇帝の体が虹色の光に包まれた。光が弾け、電流のようにバチバチと火花が散る。
アマーリエが瞠目する傍で、シュードンとミリエーナが悲鳴を上げた。
「父上!」
太子の顔色が変わる。火花はすぐに消えた。悲鳴すら上げずに崩れ落ちた皇帝は、白い面をさらに蒼白にし、息子の腕の中で目を閉じていた。
「だから申し上げましたのに。天威師が特定の人間に関われば、祖神からご注意を受けます。それは天威師の役目ではないのですから。今回はお許しいただけたようですが……次は天へと強制送還されてしまいますよ」
言葉もないアマーリエたちには目もくれず、太子が悲しそうな顔でひとりごちた。そして、一瞬だけこちらを見た。
「皇帝は私がお運びする。お前たちはこのまま儀式に行け。遅れぬように」
簡潔に言い置くと、皇帝を抱えその場からかき消える。
「…………」
後に残されたアマーリエたちは、しばらくの間呆然としていた。ややあって、シュードンが呟く。
「な、何だったんだ今のは? 一体何が起こってどうなった?」
混乱の極みにある疑問に、答えられる者はいない。
「……ええと、整理しよう。まずはいきなり俺の形代が燃えて……霊威の水でも消せなくて、そこに皇帝様が現れて助けて下さったんだよな」
「天威師が来て下さったということは、あの黒い炎は神のお力だったのかもしれないわ。天威師は基本的に、神が関与していることでないと動かれないはずよ」
アマーリエが言うと、ミリエーナが顔をしかめた。
「どうして神がわざわざシュードンの形代を燃やすのよ。意味が分からないわ。それに最後のお言葉、私の方を見て仰ってなかった? どういう意味だったのかしら。甘言とか身を堕とすとか、後悔とか自省しろとか……」
顔色が悪いミリエーナに、アマーリエは提案した。
「儀式が終わったら、今のことを上に相談してみましょうよ。助言がもらえるかもしれないわ」
天威師が動いた案件である以上、皇帝と太子から神官府の上層部に何らかの報告は下されるだろう。だが、それとは別に、アマーリエやミリエーナの方からも直接相談をすれば、対応してもらえるはずだ。
そう考えたアマーリエだが、反応は芳しくなかった。
「上って聖威師のこと? 私のことを信じようとしない人たちに相談するなんて嫌よ。どうせ今回もまともに取り合ってもらえないわ。神のお声だって、自分だけを信じて欲しいと仰っていたもの」
「ミリエーナ、その声だけれど、少しおかしいと思うの。言っていることが変だもの。聖威師があなたを脅威に思うとか、あなたの声を握り潰すとか、自分だけを信じろとか……何だか嫌な予感がするわ」
「何よ、やっぱりアマーリエも私を疑うのね!」
「そうじゃないわ、声が告げている内容がおかしいと言っているの」
どうにか冷静に話そうとしたアマーリエだが、神官府に響いた鐘の音に口をつぐんだ。シュードンが焦った声を上げる。
「しまった、もう儀式の時間じゃねえか。話は後だ、急いで転移するぞ!」
「遅れたら大変だわ!」
シュードンとミリエーナが、我先に転移を使って姿を消した。
「あ、ちょっと……」
置き去りにされたアマーリエは息を吐き出し、部屋の中を見た。視線の先に、形代の燃えかすが転がっている。
「…………」
シュードンをいたぶるように焼き続けた、あの黒い炎。焼かれているのはシュードン自身ではなく、あくまで感覚を同調させているだけの形代なので、全身火だるまにされる苦痛を味わいながら死ぬこともできない。
発狂すらできず、ただひたすらに苦しみ続ける姿を嘲笑うかのように踊っていた黒炎を思い出し、身震いが走る。
(フレイムなら……そんなことはしないわ)
フレイムが駆使する美しい紅蓮の炎を思い出し、しみじみと思った。ダライとネイーシャ、ミリエーナとシュードンに度々激怒し、燃やしてやると言って振りかざす炎は、しかし、ハッとするほどに気高く神々しい。
彼の放つ高潔な炎ならば、焼いた者を必要以上に嬲り痛めつける真似はしないだろう。
そう考えた瞬間、閃いた。
(あっ、そうだわ。黒い炎のことはフレイムに相談してみればいいのよ! こっそり話すならバレないもの)
名案を思い付き、心が軽くなる。今日は一日、アマーリエの部屋に閉じこもっていると言っていたフレイム。彼の姿を思い浮かべただけで、気分が晴れやかになった。
「……さて、私も儀式に行かないと」
ひとまずの結論が出たことに安堵し、アマーリエも儀式の会場へと転移した。
ありがとうございました。