27.皇帝との邂逅
お読みいただきありがとうございます。
その言葉の意味を理解するのに数瞬を要した。
「え、こうてい……?」
思わず顔を上げて少女を見つめ、無自覚のうちに声が漏れる。応えるように、凛烈な黒眼がこちらに据えられた。シュードンとミリエーナが息を呑む。
「ば、馬鹿! この方は皇国の皇帝様だよ! ここの機関誌に何度かお顔が載ってただろ、読んでねえのか!? 今すぐ謝罪しろ!」
属国の神官府の講義では、皇帝たちの名前は習ったが、具体的な容貌が分かる肖像は見せてもらえなかった。シュードンとミリエーナは、親や実家から定期的に帝国神官府が発行している機関誌を与えられていたが、アマーリエはもちろん読ませてもらっていない。
「も、申し訳ございません! 私はつい最近まで属国におりましたため、畏れ多くも皇帝陛下――い、いえ、皇帝様のご尊顔を拝する機会がなく……ご無礼をお許し下さい」
属国にいた時の癖で陛下の敬称を付けてしまい、慌てて訂正する。皇国と帝国においては、君主の敬称に陛下を用いない。皇帝と国王が別で即位しているからだ。
緊急時が起こった際、話中で咄嗟に『陛下』とだけ発せば、皇帝か国王どちらのことかを取り違え、思わぬミスが起こる可能性がある。そのため、陛下や殿下は用いずに『様』で統一している。
「良い」
皇帝からの許しを兼ねた返事は一音だった。だが、『良いんですね、ありがとうございます』と終われるはずもなく、アマーリエは畏まったまま床を見ていた。
ミリエーナがここぞとばかりに口を開いた。
「皇帝様、姉が申し訳ございません。姉は神官ですが、どうにか徴が出ただけの脆弱な霊威しかないのです。大変ご無礼をいたしました。ほら、もう一度ちゃんと謝りなさいよ」
皇帝の前で公然と貶されたことに、カァッと頰が熱くなった。胃がシクシクと痛み出す――だが、言い返せない。
「誠に申し訳ありませんでした」
ただ下を向き、小さな声で繰り返す。額ずいた顔の周囲に垂れ下がった髪が表情を隠してくれるのがありがたい。
「姉は家でも外でも失敗ばかりで、何を任せても駄目だと両親も手を焼いているんです。霊威が弱いから、皇帝様にも失礼をいたして――」
どこか得意気に言い募るミリエーナの言葉を両断し、皇帝が唇を開いた。
「私は良いと言った。また、私の容姿を知らなかったことと霊威の強弱に関係は無い」
「……ぇ……?」
ミリエーナが一瞬で身を硬くし、そのまま黙り込んだ。どうすればいいのか分からないのだろう。これまでは、困った時にはとにかくアマーリエの霊威を貶しておけば、家族やシュードンが同調して上手くいっていたからだ。
無音となった部屋の中、体を縮めていたアマーリエの耳に、静かな玉声が滑り込んで来た。
「地べたばかりを見ていてはならぬ。見上げれば、誰の上にも空がある。太陽の光も天弓の青も、選ばれし者のみに降り注ぐのではない」
(え……もしかして、私に仰っているの?)
そろそろと目線を上げると、寒気を覚えるほどの美貌が見下ろしていた。凄絶な意思を瞬かせる黒眼が、真っ直ぐこちらに注がれている。
「自分に自信を持てずとも良い。思い切って顔を上げ、周囲を見回すだけで良い。さすれば自ずと気付く。自分の上にも広く青い空が広がっていることを」
直後、皇帝の隣に別の気配が出現する。
「こちらにおいででしたか」
転移で現れたのは、皇帝に匹敵する美しさを持つ青年だった。非の打ち所がない長身痩躯に淡い金髪、春の温みを帯びた湖水色の碧眼。
「太子か」
皇帝が一瞥して呟く。蝋人形のように動かなかった無表情が、青年に対しては少しだけ和らいでいた。青年が少女に向かって一礼し、困ったように眉を下げた。
「父上がお出にならずとも、こちらの収拾には私が参りましたものを」
「帝城の庭を散策していたついでだ。天威師の中で、私が最もこの場所の近くにいた」
「我らに物理的な距離は関係ございませんでしょう」
幻惑的なまでの笑みを浮かべる青年の言葉を、しかし、アマーリエはほとんど聞き流した。それほどに最初の単語が衝撃的だったからだ。先ほどこの青年は――太子は聞き捨てならないことを言わなかったか。
〝父上〟
(皇帝陛下……ではなくて、皇帝様って男性なの!? 女の子じゃないの!?)
その驚愕で全てが吹き飛んでいた。
ありがとうございました。