1.いつかどこかの夢
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4章開始です。
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おやめ下さい、と懇願が響いた。玉を転がすような可憐な声だ。
奇跡と幻想と神秘に彩られた天上の世界。その一角にある異質な領域。光と幸福が溢れる天の楽園にありながら、暗黒と災厄がはびこる場所。通常の神ではない――悪神が坐す区画だ。
絶望が蔓延する邪悪な聖地に浮遊し、一つの影が地上を見据えていた。黒い靄に覆われ、姿は見えない。その背後に神紋が出現し、輝く巨大な遊戯盤が召喚される。広々とした盤上には、小さな丸い光が幾つも駆け巡っていた。
神の袖に縋るように、小柄な影が泣き伏す。こちらに背を向けているため容貌は窺えないが、声からするとおそらく少女だ。
『何卒お慈悲を……我が裔をお許し下さいませ! どうか、どうか神罰牢だけはご容赦を――』
袖を掴む細い手を、靄の中にいる神は振り払わなかった。それどころか、慈しむように己の手を重ねる。
『ハーティ、愛しいそなたがそこまで頼むならば、神罰牢はやめておこう』
盤面がドス黒い漆黒に染まり、散らばった丸い光の配置が高速で組み直されていく。
『だが、愚か者共の未来には、もはや安らぎも安寧も存在せぬ。不幸と絶望の運命に呑まれるが良い』
黒一色に染まった盤の中に置かれた、数個の光。上下左右の全てはびっしりと暗黒の神威の牢獄に覆われ、どこにも出口はない。頰を伝い落ちる紅涙に濡れそぼつ少女、その桜桃のごとき唇から漏れる悲痛な嗚咽。
『救いの道は無いと知れ』
非情な宣告とすすり泣きが、共に重い虚空の中に溶けていく。
やがて神と娘が眠っても、確定された盤面は変わることなく在り続けた。真っ黒な闇に閉じ込められた光はいつしか飲み込まれるように溶け消え、間隔を空けて別の光が代わりに現れることを繰り返した。
時が過ぎ、漆黒の中にポツンと一つの瞬きが現れた。四方八方を無明に囲まれてもなお澄んだ煌めきを纏う、透き通った光点だ。
そして――盤面の外で、赤黄色の閃光が炸裂する。彗星のように飛来したそれは、暗闇の檻を豪快にブチ壊し、突破口も抜け道もない中に囚われていた綺麗な光を掻っ攫い、黒き盤の外側へと救い出した。
◆◆◆
「……る。起きる! おねむタイム、終了」
「お姉ちゃ〜ん、起きて〜。仮眠の時間は終わりよぉ」
ゆっさゆっさと体が揺さぶられる。甲高い子どもの声が二つ、鼓膜を震わせて耳に届いた。
「う……ん……」
アマーリエは眉を寄せ、仮眠用のソファの上で身動ぎした。
「もうそんな時間ですか? さっき目を閉じたばかりなのに」
「アマーリエ、短い時間なのに、よく寝てた。熟睡。ぐーぐー。時々寝言」
毛布の上からぺトンと張り付くようにして体を揺すっていた幼児が、予備動作もなく後方に跳んだ。宙で華麗に一回転し、足音もなくシュタッと床に着地する。
「ぐーぐー? い、いびきとか掻いていなかったですよね?」
「大丈夫よぉ、お姉ちゃん。スヤスヤだったわよ。まだ体力が戻り切っていないのね」
ソファの前にしゃがみ込んでこちらを眺めていた幼女が立ち上がり、テーブルに置かれていたポットを取る。
「眠気覚ましのお茶を淹れてあげる」
「あ、自分でやりますから」
「良いの良いの、クラーラちゃんに任せといて〜」
「我、手伝う。我、偉い」
「駄目よ〜、我なんて言っちゃ。変装用に、ロールっていう素敵な名前を付けてもらったでしょ」
「うん。我、ロール!」
掛け合いをしながら、小さな手で紅茶の用意をしている幼女と幼児。その正体は、神々の頂点に達する神格を持つ葬邪神アレクシードと、疫神ディスシェル。共に天界最強の神でもあるらしい。
(素敵な名前というか、よくコロコロ転がっているから何となく浮かんだだけなのよね)
内心で冷や汗をかくアマーリエは、毛布を退けて起き上がる。休憩の時間になったので、一部を仮眠に充てようと横になったのだ。幼い姿に変化して付いていた二神が、休憩時間の半分ほどが経ったら起こしてくれると言ってくれた。
「思ったより寝入ってしまいました。聖威を使って回復したつもりだったのですけれど」
「アマーリエ、アレクと守護契約、交わした。神格抑えたまま、選ばれし神と契約する、かなり負担。聖威使っても、すぐの回復、難しい。しばらく疲れ、取れない」
茶葉を蒸らしている間にカップを温めながら、7歳ほどの幼児に変化した疫神改めロールがクルンと瞳を動かして言った。
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