57.天界一怖い神
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粉々に弾け飛んだ空間を突き破り、灰銀の巨躯が躍り出る。大きな前脚が、アマーリエに気を取られて反応が遅れた疫神を踏み敷いた。
『ぶへっ』
長身の青年姿から幼い子ども姿に戻った疫神が、もっふりとした毛並みの下に埋まっておかしな声を上げる。フルードが号令を放った。
《アマーリエ、焔神様の所に!》
天から降り注いでいた神威が失せ、体が軽くなる。アマーリエは跳ね起き、フレイムに背後から抱きついた。
「フレイム、フレイム! 聞こえる? ねえ戻って来て、お願いフレイム!」
『――――!』
迸るのは涙混じりの哀訴。山吹の瞳から爛とした輝きが消えた。虹が失せ、神威がじんわりと温かさを取り戻す。
『……ユフィー? ――泣いてる、のか……?』
夢から覚めたような顔で瞬きし、緩慢に首を巡らせてこちらを見遣るフレイムに、ぎゅうぎゅうとしがみつく。
「ああ良かった。元のフレイムね!」
『いや、元のっつーか……え?』
アマーリエの涙を拭っていたフレイムが、ふと目線を動かし、素っ頓狂な声を上げる。彼が見ている先を追い、アマーリエも硬直した。
巨大な狼が、幼児の姿に戻った疫神を前脚で押さえ込んでいた。
『ちょ、ハルア、痛い! 離す! 神、同格以上の神威、使われたら痛い!』
幼き神が訴えているが、毛を逆立たせた太古の巨狼は構わず脚に力を入れた。みしりと言う音と共に、『うぎゃぁ』と、潰れた蛙のような声が響く。
『ディスシェル』
めき。
『貴様は』
ばき。
『一体』
べきょ。
『何をしておるか』
ぼぎっ。
『この愚か者が!』
『ぎゃあああああああ痛い痛い痛いいいぃぃぃ!』
グリグリと足の下のブツを踏み付ける狼神。どうやら、前脚に膨大無比な神威を凝縮させ、他には一切漏らさないようにしているようだ。暴れ神が悲痛な絶叫を上げている。
ふと気が付くと、こちらを押し潰さんばかりだった神威がすっかり消えていた。フレイムとラミルファ、何故か葬邪神までがちょこんと正座し、神妙な顔で小さくなっている。それほどに、狼神の放つ気迫は恐ろしかった。
「…………」
アマーリエもフレイムの後ろでそっと正座した。アリステルとリーリアも続く。自分たちが平静でいられるのは、狼神がこちらには威圧や怒気を飛ばしていないからだ。
普段は温厚な狼神は、実は怒ると天界一怖い。そんな評を聞いたことがあったと、今更ながら思い出す。
《アマーリエちゃん、無事!?》
日香の声が響いた。
《皇后様! はい、どうにか無事です。狼神様がお越しになり、疫神様を止めて下さいました》
《あー良かった。もう大丈夫だよ。こっちはね、お義父様がお義祖父様を……先々代の帝国皇帝を勧請してくれたの》
《先々代の、皇帝様……?》
《そう、皓死帝ルーディ様。お義父様にとっては実の父親だね。お義祖父様も生来の荒神だから、降臨してもらってその神威があるだけで、天から降り注ぐ神威を相殺できるの》
そんな方法があったのか。目を剥くアマーリエに、日香はペラペラと続ける。
《この方法、義兄様が思い付いたんだよ。祖神は末裔に激甘なんだからその特権を利用しろ、使わなきゃ損だ、ここで遠慮したらその時点で負けだって》
どこかで聞いたフレーズである。
《聖威師たちにも念話して、同じ方法を取ってもらったの。アマーリエちゃんたちがいる所は、疫神の対応でそれどころじゃないから、佳良とか他の聖威師にだけどね。……それぞれの主神を喚んでもらって、その神威で天から落ちて来る神威を中和してもらってるんだよ》
寝起きの神々とて、いつまでも寝ぼけているわけではない。垂れ流していた神威は間もなく抑えるだろう。あと短時間だけ凌げれば良いのだ。
《と言っても、天の神は極力地上に関わらないから。ただ佇んで神威を出してもらってるだけなんだけどね〜》
何をするでもなくポツンと突っ立って、粛々と神威を放出する神々。想像すると奇妙な光景である。
《これで解決したも同然だよ。もう心配ないと思うけど、念のために念話は繋いでおくね。何かあったら話しかけて〜》
軽やかな声で言い、皇后の声は聞こえなくなった。
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