40.その背を叩くのは
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『あーあー、逃げてしまった。可哀想に。魔神様が揶揄うからですよ』
テーブルに頬杖を付いたラミルファが口端を上げる。
「彼女一人に茶菓の用意を任せるのは申し訳ないのですが……」
「頃合いを見て私が手伝いに行って来る。お前は残れ」
フルードとアリステルが小さな声で話している。聖威師が全員、魔神を放って部屋を出るわけにはいかない。
アマーリエが去った方を名残惜しげに見ていたフレイムが、フルードとアリステルに視線を移した。
『ユフィーの手伝いは俺が行く。お前たちも座っときな』
立ったままでいた大神官たちを労い、ふと魔神に目をやって口を開く。
『……それにしても魔神様。今回の魔物はちょっと可哀想だったんじゃないですか。あなたの遊びのために正気を失わされ、強引にユフィーを襲わされて、弁明も釈明もできないまま俺たちにやられちまった』
『魔物は魔神の駒だ。駒の扱いなどそんなものだよ。ただの消耗品だ。フレイム、君は元が精霊だから、下の者に情が篤い。だが、それは神としては珍しい部類に入る』
ラミルファが涼しい顔で言う。
『けど……』
眉を顰めるフレイムに、魔神はのんびりと言った。
『邪神の雛の言う通りなのじゃ〜。とはいえ、此度に関しては此方も発狂させるつもりまではなかったぞ。それをあの方が、遊び半分で魔物共の魂に神威を注入されたから、耐え切れず狂ってしもうた』
『『「「え?」」』』
この場にいる者たちの声が綺麗に重なる。
『最初に様子見として、スザール地区とやらで魔物をけしかけた時、あの方も見ておられたのじゃ。そして、ちょうど良い玩具だと仰せになられての。此方の神威の陰に隠し、魔牛や魔鳥にご自身のお力を注がれた。それが強すぎて、正気を失くしてしもうた』
あ〜あと肩を竦める魔神に、呆気に取られた顔のフルードが聞いた。
「お待ち下さい魔神様、あなたはお目覚めになられてから御一柱で動かれていたのでは」
『いや。言うておらなんだか。密かに周囲を窺っておった際、此方とほぼ同時に覚醒なさった神と会うてのう、行動を共にしておった』
『は? ……もう一柱、そーっと起きた神がいたんですか?』
『うむ。やれ、あの暴れ神様がほぼ気配なく静かに起きるとは、此方も驚きじゃ。此度はあの方も面白がって人間に変化されておる。随分とお小さいお姿になられてのう、まだ7歳頃の子どもじゃ』
『暴れ神……もしや魔神様と同時に覚醒したのは、僕の二の兄上ですか?』
『左様じゃ。面妖な雛たちが被虐趣味ではないかと、最初に予想を立てたのもあの方であるぞ。ならば少し遊んでやろうと話したのじゃ。貴きあの神は、遊びであれど本気で遊び、全力で壊す。此方も迂闊に触れられぬ。あぁ怖い怖い〜』
のほほんと紡がれた物騒な言葉に、フレイムとラミルファが血相を変え、フルードとアリステルが青ざめた。
◆◆◆
(に、逃げて来てしまったわ……。けれど実際問題、卓に付いている神にお茶の一杯も出さずにお還りいただくわけにはいかないものね)
食堂から逃げたアマーリエは、広々とした厨房で項垂れながら、内心でひとりごちていた。幸い、魔神は顔も体も一つにまとめてくれた。出す茶は一杯分で良い。
(私の分も淹れるとして、6名分ね。チョコレートはお気に召さなかったようだけれど、甘い物がお好きではないのかしら。それとも、悪神だからまともな食べ物自体を忌避されるのかしら)
ラミルファは人間と同じ物を平然と飲食しているが、そうではない悪神もいるだろう。
(念のためにどちらも用意しておけば安心だわ。悪くなった食べ物はここには無いから、果物か生菓子かを聖威で傷ませるしかないわね。段取りが決まれば、配膳は形代にさせるとして……)
食器棚の中に整然と並べられた茶器を眺め、使うカップや菓子皿をどれにするか考えていると、トン、と背中に手が当てられた。
「え?」
振り返ると、小柄な影が華奢な腕を伸ばしていた。柔らかな金髪が揺れ、真っ青な目が三日月の形に笑っている。
「お〜ね〜ぇ、ちゃぁぁぁ〜ん」
可憐なあどけない容貌に、やたらと間延びした幼い声。ここにいるはずのない者の姿に、アマーリエは軽く瞠目した。
「クラーラちゃん……?」
ありがとうございました。




