37.魔神顕現
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よく見てみれば、蠢く顔の中に見知ったものがある。
「……ワイマーさん……?」
(どうして彼が……まさか、魔神様が変化していたの!?)
直後、花瓶からゴポリと黒い水が噴き上がり、無数の顔が咲く元スノーボールを包み込んだ。そのままボコボコと鳴動し、光と共にパァンと大きく弾ける。
一見気を抜いていたように見えたフレイムとラミルファが、瞬きするよりも早く結界を張ってアマーリエたちを防御した。
『そんなに警戒するでない。もう何もせぬぞ〜』
漆黒の雫がポタポタと降り注ぐ中、顕現した青年が麗しく微笑む。黒色がかった濃青の長髪に、瞳孔が避けた暗い紫紺の瞳。尖った耳に口元から覗く牙。忘我するほどの凄絶な美貌。銀糸で刺繍がなされた黒い神衣と外套。
『雛たちの姿を真似てみた。これでどうじゃ』
『あー良いんじゃないっすか』
『ふふ、お似合いですよ』
いかにも適当といった風情で頷くフレイムと、小さく笑うラミルファ。防御の結界が解かれ、フルードとアリステルが動きを合わせて拝礼した。
「「魔神様、お目覚めおよび御来駕を賜わり恐悦至極にございます」」
ピタリと唱和する声。事前に念話で打ち合わせていたのかもしれないが、それにしても息が合っている。当人たちの心情はどうあれ、彼らは紛うかたなき兄弟なのだ。
アマーリエも大神官たちの背後で跪きながら、その言動の一つ一つを脳裏に刻み付ける。今は彼らの後ろに付いて真似をしていれば良いが、いずれ自分がランドルフと共にこの立ち位置を引き継ぐのだから。
『楽にせい』
ゆるりと告げた魔神が、フッと邪神の真横に移動した。白い腕を伸ばし、未だ持っていたチョコレートを取り上げる。ずっと手中にあったにも関わらず、全く溶けていない。神の体温は人間のそれとは異なるのかもしれない。
『おくれ』
『どうぞ』
端的な了承を得て茶色の粒を口に含んだ太古の神は、ふむ、と呟いて一つ頷く。
『不味い。しかるに、食せなくはない』
肩を竦めて呟いた次の瞬間、ラミルファと向き合う位置にある椅子にかけた状態で、再度スッと現れる。この神は歩くという動作をしないのだろうか。
『僕とは夢で一度だけお会いしましたね。いつからお目覚めだったのですか、魔神様?』
『何故ユフィーを襲ったんです?』
隠すつもりもないのか、魔神は婉然とした笑みで答えた。
『うむ。目覚めたのは……照覧祭とかいうものをしている最中じゃった。存外静々と目が覚めてのう、誰も此方の起床に気付いておらなんだ』
流麗な仕草で口元を袖で覆い、悪戯めいた声で続ける。
『皆を驚かせてやろうと思うての〜、こっそり己が領域を出て、気配を殺して周りを窺ってみたのじゃ。そうしたら、やれ驚き。えらく様子が様変わりしておった』
少し眠っただけというに、目覚めてみればすっかり変わり果てた別世界よと、古の神は肩を震わせた。
『神威で探ってみたところ、下では人間なる生物が暮らしており、神は上に集まっておった。興味を持って人間を注視する内、下にも神の雛たちがおることに気付いた。しかし、その大部分は何やら面妖な――神でありながら神性を抑えておる。実に不可思議』
アマーリエは大神官兄弟と目配せをした。要するに、その面妖な神とやらが聖威師だ。
『あれは何じゃと気になってのう、密かに見に来たのじゃ。せっかく観察しているゆえ、人間の姿を取っての。ほれ、ちょうど照覧祭とやらで世界中から人がたくさん来ておったに、その中に混ざった』
暗さを帯びた一対の紫紺が、スゥとアマーリエに向けられる。
『あの時、そちと目が合った。可愛らしく笑いかけてくれたのお』
訝しげな顔をしているフレイムやフルードたちに、アマーリエはこっそり念話を送った。
《照覧祭の時、聖威師と対面したい神官たちが大勢並んでいましたよね。あの中にご老人がいたのです。同じ容貌が、先ほどスノーボールに浮き出ていた顔の中にありました》
《んじゃ、魔神様はあの長蛇の列にいたってことか。……ちっ、気付かなかったな。自分を神だって認識できねえように目眩しでもかけてたんだろう》
《僕たちは神威を抑えていたから、まんまとそれに惑わされてしまったようだ》
天界の神に気配を察知されず、かつフレイムたちの目をごまかせる出力に調整して、目眩しを使ったようだ。
特にあの時のフレイムとラミルファは、人間の従者に変化していたため、一層強く力を抑え込んでいた。そういった制限を課していない天の神が本気で隠蔽しようとすれば、見抜くことは難しいという。
《実を言うと、そのご老人とは今日も一般公開エリアで会ったのよ。私用で中央本府に来たと言っていたわ。少し話をして、この前の嵐の時に家族を救われたとお礼を言ってくれたけれど……正体が魔神様だったのなら、作り話だったのね》
すっかり騙されたと思いながら、アマーリエは古代神を見た。
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