35.脅威再び
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アマーリエが反応する前に、フレイムと、口を閉じたラミルファがそろって身構える。
「……おいでなすったか」
「そのようだね。計ったようなタイミングだ。ひとまず僕の話は後にしよう」
二神が見つめる方向を追うと、庭ではなかった。食堂の壁にかけられた絵画を見ている。先ほどの音は、額縁が壁にぶつかった際に立ったものかもしれない。
(今、風は吹いていなかったはず……)
アマーリエも絵画を注視する。描かれているのは、炎を纏う勇壮な不死鳥。燃える火の粉を従えて翼を広げるその姿が、不自然な波紋と共に揺らいだ。鮮やかな赤がドス黒く染まり、雄々しい炎鳥の輪郭が不気味に歪んでいく。
「アマーリエ!」
「何かあったのか?」
異常を察したか、フルードとアリステルが転移で現れた。
直後、キャンバスを突き破り、鈍い漆黒に染まった異形の魔鳥が実体化した。先端が二又に分かれた長い舌にギョロリと飛び出した眼、ざわめく硬い羽。不死鳥であった時の壮麗さはどこにもない。
ねじれた嘴がカッと上下に開かれ、けたたましい奇声が大音量で響き渡る。神威を帯びた刺々しい音波が放出された。アマーリエとフルード、アリステルがそろって耳を抑え、苦悶の表情を浮かべる。
「よしっ」
フレイムが即座に神威を解放して結界を張り、音波を弾く。紅蓮の炎と共に熱い風が室内を吹き荒れ、衣がはためいた。いつでもアマーリエを守ってくれる温かな力だ。
『神が直に関わってる件で、愛し子および愛し子に等しい存在が加害行為を受けて危険な状況になった。これで俺たちが対処できる。ユフィーにセイン、アリステルも、俺の後ろにいろ!』
どうやら、口実を作るためにあえて一度攻撃させたらしい。
「君たちはフレイムから離れるな」
アマーリエたちを背後に庇ったフレイムと入れ替わる形で、ラミルファが前に出る。
「大丈夫ですか、アマーリエ」
少しだけふらついているフルードが声をかけた。隣でアリステルも顔色を悪くしている。
「は、はい」
しゃがみこんでいたアマーリエは、そっと耳から指を外して頷いた。今の衝撃で鼓膜が破れたかと思ったが、フレイムの初動が早かったので無事だったようだ。
「小賢しい真似を」
一方、音波をものともしていないラミルファは忌々しげに眉を寄せた。高位神直々の援護を受けた魔物の攻撃は、聖威の防御すら貫通する。だが、この邪神もまた高位の神だ。抑えていた御稜威を解き放てば、黒い神威がゴゥと渦巻き、炎と化す。
『神の威を借りただけの魔物ごときが、神格を持つ存在に牙を剥くとは』
少年の細腕に圧倒的な力が収縮した。
『あーラミルファ、ソイツもこの前の牛野郎も正気を剥ぎ取られてたし、魔物側もある意味じゃ被害者かもだぜ?』
『関係ない。我が同胞を襲った事実が生じた時点で有罪確定だ』
一応といった風情でフォローをするフレイムを切り捨て、邪神が黒炎を絡み付かせた腕を振るった。放たれた火炎が歪な鳥を舐め、みるみる内に腐敗していく魔物が断末魔の絶叫を上げる。
それを眺めながら、ラミルファは気の無い表情で視線を動かした。
灰緑の眼が向けられたのは、食堂のテーブルに飾られているスノーボール。小さな白い花が集まって球形を成している。庭園に咲いていた物を一部持ち込んだのだ。聖威が満ちるこの邸では、季節に関わらず多種多様な草花が咲く。
透明な花瓶に活けられているスノーボールを横目で流し見た邪神は、再び無造作に繊手を閃かせる。黒い炎が踊った。
『――そんな物に擬態しても無駄ですよ、魔神様』
同時に花瓶の水がドロリと濁り、腐臭を放つ。粘つく泡が水面に弾け、ゴプッと鈍い音を立てて湧き上がると、向かい来る炎を相殺した。
『やれ、可愛い雛よ』
『まぁそうカッカしないでくれ』
スノーボールの花が揺れ、渋さを帯びた壮齢の声と、張りのある青年の声が続け様に響いた。
『本気で同胞を傷付けるはずないじゃん!』
『何、ちょっとしたお遊びじゃ』
『怖い顔はやめて〜!』
間を置かず、幼さを残す少年の声が放たれ、次いでしわがれた老齢の声がほっほと笑い、溌剌とした少女の声が続く。
『うふふ、いきなり燃やそうとするなんてびっくりだわ』
『えぇ〜ん怒らないでよぉ』
さらに、艶かしい女の声が紡がれ、最後は甲高い子どもの泣き声だった。
スノーボールに咲き誇る小花がザワザワと蠢く。花弁の中心から滲み出るように、花の一つ一つに異なる顔が浮き上がって来た。
壮年、若者、少年、老人、少女、美女、幼児……多種多様な顔がボコボコと浮き上がる。可憐なスノーボールは、瞬く間に小さな無数の顔がびっしりと張り付く球体に置き換わった。
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