32.大神官兄弟の確執
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「やっぱり酷い有様だわ……」
食堂からテラスに続く入口の扉を開き、庭園の惨状に肩を落としていると、後ろから声をかけられた。
「アマーリエ、ありがとう」
驚いて振り向くと、気配なくラミルファが佇んでいた。
(び、びっくりした。一緒にいらしたのね……というか今、ありがとうと言われた?)
突如として礼を言われ、アマーリエはキョトンと目を瞬かせた。
「え? ええと、何がでしょうか?」
「今日の夕食だ。おかげで、あの子たちが一緒に卓を囲んだ」
「ああ……けれどご兄弟ですから、普段から一緒に食事なさっているのでは?」
当然の疑問を投げるアマーリエだが、返って来たのは否だった。
「あの子たちは生き別れて育った。ヴェーゼにとっての弟はシス……サーシャ・シスで、セインにとっての兄はフレイムだ。しかも、性格も価値観も違いすぎる」
同程度の熾烈な虐待を受けて育った兄弟。だが、兄は復讐を選び、弟は赦しを選択した。双方で進んだ道が真逆すぎた。
「聖威師になってから再会し、互いを血縁上の兄弟だと認識はしているが、肉親の情は限りなく薄い」
「そう……なのですか。けれど、お二人で普通に話している場面も何度か見ました。仕事の時は協力し合っていますし」
「それは同胞特典だよ。神は同族を愛し、大切にする。兄弟という実感は薄くとも、神同士という点では身内だから、その部分で親愛が湧く」
神々の中では、至高神から最下位の神までを合わせた全神々が、最広義における家族と認識される。神族全体が一つの大きな家族なのだ。それを踏まえれば、フルードとアリステルも、互いを広い意味での身内だとは思っている。
それで十分だと言えばそうだがね、と言った邪神は、すぐに続けた。
「だが、僕はあの子たちに、本来の形で――兄弟という形で仲睦まじくして欲しいのだよ。もっと狭い範囲においても身内であって欲しい」
「確かに、せっかく生き会えたんですしね」
「ああ。とはいえ、最優先かつ最重要なのは、あの子たち自身の心と意思だ。あの子たちが望まないことを、無理強いしたりお膳立てする気はない」
相手への思いやりに満ちた言葉を当然のように発するラミルファの姿は、悪神とはかけ離れている。同胞への特別対応なのだろうか。
「だから、ゆっくりゆっくり時間をかけて、あの子たちの心の雪解けを待つつもりだった。幸い、神の時間は悠久にあるからね。待って待って待ち続けていれば、距離が縮まる時が来る」
灰緑の双眸がキラリと光る。
「僕の勘がそう言っているのだよ。今は海面と海底ほどに隔たっていても、いつか歩み寄れる。必ず」
「ラミルファ様の直感は当たるのですよね。フレイムもフロース様もそう言っていました」
「フレイムの嗅覚も中々だがね。……そうだよ、僕の勘は外れない。その勘でピンと閃いたんだ。いつか必ず、あの子たちは本当の意味での兄弟になれると」
そう告げ、邪神はひょいと肩を竦めた。
「といっても、それはとても先のことになる予定だった。永い永い星霜の果てだ。それで構わない。その時を待とうと思っていた。……だが、君が今日の夕食の場を設けてくれたことで、待ち時間が驚くほど短縮されたのだよ」
純粋な喜びを込めた瞳が宙をさ迷う。夕食時の光景を回想しているのかもしれない。
「あの子たちの確執を知らない君の提案だからこそ、あの子たちも応えた。雰囲気を壊さないよう穏便に会話したのだよ。それがきっかけで話が盛り上がった。恐るべき前進だ」
ラミルファやフレイムが食事に招待していれば、こうは運ばなかった。天の神々はフルードとアリステルの不和を知っているのだから、態度を取り繕うことはせず、兄弟で無理に話すこともない。
「君のおかげだ」
静かに告げる邪神に、アマーリエは胸を撫で下ろした。
「良い方に行ってくれたなら良かったです。けれど、一歩間違えれば、逆にお二人の負担になってしまっていたかもしれないと思うと……」
「あの子たちに無理はさせない。その時は僕が適当な理由を付けて夕食の場を中止させていたよ。場の空気を壊さず、誰も不快にならないように配慮しながらね」
微笑んだラミルファが、軽く息を吸うと再度謝辞を述べた。
「心より感謝する」
「いいえ、私は何もしていません。何も知りませんでしたし……。それに、話が盛り上がった一番最初は、ラミルファ様が私に箸の使い方を指導して下さったのが発端でしたから、ラミルファ様のおかげでもあります」
そこから豆の掴み方の話題が出て、修行時代の会話が始まったのだ。
「丁寧に教えていただいてありがとうございました。ラミルファ様に大事にしていただけて、フルード様とアリステル様はお幸せですね」
本心から言うと、少年姿の神は何故か黙り込んだ。
ありがとうございました。




