23.裏で引かれていた糸
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煌めく神威が無数の粒子と化して大気を彩る様は、天の園が織りなす美に相応しい。神殿内にいながらにして絶景の中に身を置く二神は、向き合ったまま会話を重ねていた。
『暴れ神は、決して話が通じない神ではありません。底知れぬ深慮と同胞への慈心はお持ちです。私ですら、幾度か諭されてぐうの音も出なかったことがあります』
ただ、欲求のままに動くことも多く、二面性が激しいのですよ、と困った顔で呟く狼神。
『一度こちらの声に耳を傾けてくれさえすれば、聖威師のことについても説明できます。そうすればどうにかなるのですが、そこにいくまでが難関と言いますか』
思い込んだら一直線な気質で、こちらの声を聞かずに突っ走り遊びまくることも多いのだという。
『私はセインが……引いては聖威師たちが廃神になるリスクを見逃せぬのですよ』
『だから昇天させたくて、滞留書の繋がりを絶ったんですか。その時期をアリステルの復讐に合わせたのは、セインの内にある複製の異変に気付かれないように?』
『天界の原紙に変事があった際、その気配を察知し得る可能性があるのは、原紙と繋がる複製を持っているセイン。そしてアリステルと……もう一名ですからな』
含みのある狼神の言葉に、フレイムが眦を吊り上げ、美麗な容貌を険相で彩る。だが、狼神を睨んでいるのではない。ここにはない別のものに対して憤激している。灰銀の古神は一切臆することなく、飄々と続けた。
『焔神様もお分かりの通り、セインとアリステルは〝レシス〟です。互いの間には特殊な感応がある。アリステルならば、セインから漏れ出た僅かな異変の気を嗅ぎ取れるかもしれませぬ』
『ランドルフじゃ無理でしょうね』
『ええ、あの子もセインの子であるのですから同じ血を持ってはおりますが、〝レシス〟ではありませんので。――他ならぬ焔神様が呪いの軛から解放してやったでしょう』
『…………』
『ゆえに、滞留書へ手出しするタイミングをアリステルの復讐時に合わせたのです。数十年待ち続けた悲願の時、アリステルの意識は復讐の実行に注がれていた。セインと共にある滞留書からほんの僅かに香る違和感など、感じるゆとりは無かったでしょう』
険しい顔を崩さないフレイムが、一度奥歯を噛み締めてから口を開いた。
『……オーブリーへの懲罰まで一緒のタイミングにしたのも、同じ理由からですか。アイツがユフィーにやらかしたことを、あなた方はあらかじめ調べて把握してたんだ。ガルーンやアリステルの復讐とまとめてやれば良いと思った、とか言ってましたが――ユフィーからも余裕を奪うのが目的だった?』
オーブリーが神の寵を受けたと聞いた時、アマーリエは一時的とはいえ失神するほど衝撃を受けた。表面上はすぐに立て直したが、内心では相当狼狽えていただろう。
『セインの近くで起こった異変に気が付けるもう一名がアマーリエですからなぁ。そのことは分かっておいででしょう』
『…………んで、ユフィーを心配して注意力の大半をそっちに注いだ俺の目も眩ましたと。同じ理由で、セインを案じるもう一柱の俺とラミルファの目もセインの精神状態に釘付けにさせた』
当然だが、フルードの心と滞留書は全く別個のものだ。前者に絞って注視していれば、いくら近くにあろうとも後者の異変には気付き難くなる。例えるなら、大きな精神的ショックを受けた者を案じて側にいるからといって、その者の指輪に芥子粒より遥かに小さな汚れが付いていることに気付くか、という話だ。
『自分たちの大事な者の心を守ることや、ガルーンやオーブリーが聖威師になった真相を確認することに注力させて、滞留書の複製なんざ眼中に入らないようにしたわけだ』
『親子兄弟や夫婦、包珠の契りを結んだ者の間にも、愛し子と主神に匹敵する繋がりができますからなぁ。セインの近くで異変が起これば、感知されるやもしれませんでした。しかし、地上に降臨しているあなた方は神威を大幅に抑えておられましたので、どうにか目を眩まし切ることができました』
『つまり、セインがあの状況でラミルファを頼ることも想定してたんですか』
もし、あの時フルードがラミルファに助けを求めていなければ、彼は特別降臨せず天界にいるままだった。その場合、わざわざ神威を抑えることはない。少し前には、神使選定で天界がピリついているため、神威の使用を控えるようにとのお達しが出た時期もあったそうだが、それは既に解除されていると聞く。
能力を抑えていない万全の状態ならば、ラミルファはフルードの側で起きた変事の気配に気付き、滞留書や更新部屋の箱を確認してみろと連絡してしまっていたかもしれない。
(おそらく、滞留書か箱への細工は数日がかりで少しずつ行われた。途中で気付かれたらマズかったんだ)
灰銀の毛並みを震わせ、狼神が余裕の体で述べる。
『私はセインの主神ですぞ。あの子がいつどのような状況になった時、誰にどうやって縋るかくらい、予想できますとも』
『…………』
ガルーンの脅迫状を読んで動転したフルードが、狼神でもフレイムでもなくラミルファに助けを求めたことで、予定がポシャった。そう言っていた葬邪神の声が脳裏をよぎる。
――いや〜、あれは俺たちにとってもまさかの展開だったなぁ
いけしゃあしゃあとのたまい、ヘラヘラ笑っていた悪神の長兄に、内心で悪態を吐く。
(何がまさかだ。全部……とまでは言わんが、ほとんど計画通りだったんじゃねえか)
『あなたは強硬派ですからね。本当は腕ずくでセインを昇天させたがっている』
『そうですとも。ですが、あの子の中にあなたがいる以上、正面きっての力ずくは通用せんのですよ』
困った顔で狼神が笑う。フルードの中にいるあなたとは、すなわち焔の神器のことだ。フルードの意思と想いだけを基準に行動するとんでもない代物。
『それに、最後はどうしても愛し子の意思を無視できぬのです。いつもいつも、あと一歩のところで踏み切れません』
『そうでしょうね。いざという時に力でねじ伏せる神なら、ラミルファはあなたをセインの主神に見出していない』
最愛の者を尊重し、その心を大切にしてくれると信じたからこそ、ラミルファはフルードを狼神に託したのだ。そして、あの邪神の直感は外れない。灰銀の瞳が苦笑を帯びる。
『ええ、そうでしょうなあ。――ですから、滞留書の繋がりを絶ち、自ずと強制昇天以外の道が閉ざされるよう仕向けました』
ありがとうございました。