21.若神と太古神と
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いっそ朗らかさすら感じさせる軽快な応えに、フレイムは肩を落とした。何だろう、そこはかとなく頭が痛い。神に痛覚はないはずのに。
『……だが、その暴神が起きていた時期は一億年前なんでしょう。その頃なら、まだ人間という種族自体が生まれていなかったはずだ。必然、この星の地上も人間の領域じゃなかった。だから気ままに力を振るっていたのでは?』
現在は当時とは状況が大きく変わっている。地上は人間の領分になったのだ。
『暴れ神が目覚めたら、話をしてみるのはどうですか。今はもう状況が違う、人間という生物が誕生して、地上は人の世になった。だから前みたいに、ガンガン神威をぶっ放さないようにして欲しいって説明すれば、分かってくれませんかね?』
『分かるとは、もしや彼の神が地上や人間に気配りするようになることを期待されているので?』
『期待というか……地上を人間の領域にするのは天も認めたことでしょう。例えその神が寝ていた間に決まったことだとしても。なら、それを尊重して迂闊に壊さないようにするとか、最低限の配慮をしようとするのが道理だと思うんですが』
自身の神威をどこでどの程度どのように使うかは個々の神の自由なので、配慮は義務ではなく、強制できることでもない。だがそれでも、天地の住み分けは天が合意した事項である以上、地上や人間に対してはそれなりの尊重をするべきではないかと、フレイムは告げた。
だが、狼神はあっさりばっさりきっぱり否定した。
『ははぁ、それは、顕現時より世界と共生して来た若神ならではの考え方ですな。むろん否定はいたしませんが、古き神はそのような思考回路は持ちません』
地上は人間の領分になったということを鑑みて、自分から積極的に関わらない程度の譲歩はするかもしれない。
しかし、例えば神の領域である天界において、自身が神威を炸裂させ、強大なその余波で地上まで壊滅するとなれば、それは知ったことではないと切り捨てるだろう。
――自分の領域に迫る脅威は、そこを領分としている存在が己の力と自己責任において対処すれば良いだけ。とても防げない、対応し切れないというなら、それは己の力不足なので諦めるしかない。それが、自分たちが担う世界を持つということだ。
きっとそのようなことを言うだろうと告げられ、フレイムは額を抑えた。
『そんな滅茶苦茶な……。人が神の力に抗せるはずがない。初めからクリアできない無理ゲーを仕掛けて、圧倒的な力量差で自分の主張を押し通すのは横暴が過ぎる』
『焔神様にとっては滅茶苦茶で横暴なことも、古の神々にとっては通常運転にして当たり前のことなのですよ。それこそ、ほれ何でしたかな。あなたが肩入れする人間たちのことわざでありますでしょう。自分にとっての常識は他者の非常識、と』
涼しげな顔をしている狼神に、明確な反論はできなかった。神には一柱ごとにそれぞれの意思と基準がある。自分の正義や真理が、他者にも同じように当てはまるとは限らない。
『……いっそもうちょっと寝ててくれませんかね、その暴れ神とやら』
(せめてユフィーとセインが昇天するまで――いや、聖威師が全員昇天する時まで)
アマーリエとフルード以外の聖威師たちも大切な同胞だ。廃神になどなってほしくない、させない。
(あと数千年か、一億年もすりゃ人間は滅びてるだろ。それまで寝ててくれねえかな)
人間には途方もない遼遠の時も、神にとっては一時のうたた寝に等しい。覚醒が近付いているようだが、数千年くらい誤差の範囲でズレてくれないか――と考え、さすがにそれは望み薄だろうと首を横に振る。
そんなフレイムを眺める灰銀の視線が、憂いを滲ませて宙を揺蕩った。
『焔神様の仰せの通り、あの神が眠りに付いた一億年前といえば、まだ人間が生まれていなかった時分です。当然ながら、元人間である聖威師もおりませんでした。……つまり、目覚めた彼奴が聖威師を見たとして、一体どういう存在なのかすぐには分からんでしょう』
『神の眼で視れば見通せるでしょう』
『あの御仁は、わざわざそのような手間のかかることなどなさいません。何だかよく分からんが神ではあるようだから良いだろうと思い、神を相手にするのと同じ気分でちょっかいをかけ、遊び始めるやもしれませぬ』
とんでもない話だ。フレイムは頰を引き攣らせた。
『ちょっと待って下さい。聖威師は神威だけじゃなく、神格自体を……神性そのものを抑えてるんですよ。神相手の基準でちょっかいなんか出されたら即死ですって。廃神になっちまう』
(身体的に死ぬのは良い。だが精神的に殺されるのはマズすぎるぜ。聖威師は死ねば神になる。その際、体に負った傷は無効になるが、心の方は治らねえ)
神威を喰らえば、身体面だけでなく精神まで影響がある。心が耐え切れなかった場合、魂を破壊され虚ろな廃神となってしまうのだ。そして、そのまま永遠を在ることになる――まさに最悪の末路だった。
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