20.真価は常に抑制中
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「では、その牛型の魔物がアマーリエを襲撃し、聖威も破られたのですか」
「はい」
アマーリエ邸の賓客室にて、応接ソファの客人席に座るフルードが、考え込むように顎に手を当てる。
「獣型の魔物が人を襲撃することはありますが、有色の聖威を押し切るとなると、やはり何らかの形で神の援護があったとしか……」
「焔神様が視られていると感知したのなら、いずれかの神が様子を窺っていたのは間違いないだろう」
フルードと並んで着席しているアリステルが呟いた。同じ顔の兄弟だが、目元に乗せている気配は異なる。弟は憂慮、兄は剣呑。
アシュトンとリーリアはこの場にはいない。アシュトンは夜勤担当の聖威師に緊急報告をしに行き、リーリアは自邸に留まっている。
リーリアに関しては、眠るクラーラを連れてこちらに来ることも考えたそうだ。だが、同胞ではなく神官ですらないただの人間の子どもに、ラミルファがどのような態度に出るか分からない。ゆえに、念のため場所を分けることにしたらしい。
リーリアと邸の様子を視ながら、君もこちらにおいで、と初めは言っていた邪神だが、何故か途中で爆笑し、気持ち悪いと呟きながらなおも笑った挙句、遠視で見守っているから好きにして良いよと了承した。何が彼の笑いのツボに触れたのか、何が気持ち悪いのかは分からない。
結果的に、リーリアにクラーラの面倒を見てもらうことになってしまい、誠に申し訳ございませんというのがアマーリエの所感だ。
「視たところ、神器を持っているわけでもなさそうでした。黒い神威も魔物の中からではなく、どこか別の場所から飛んで来たように思いました」
アマーリエが言い添えると、二人の大神官はそろって小さく唸る。
「襲撃時の様子を聞く限り、魔物は正気ではなさそうですし、葬邪神様の時のように神使として動いていた可能性は低いでしょう」
「仮にそうだとしても、アマーリエを狙う理由はないはずだ」
上座に悠然と腰掛け、無言で思案していたラミルファが唇を開いた。
「魔牛の角を入手したと言ったな」
「はい。遺骸は消えてしまいましたが、角はその前に採取しておきました」
アマーリエが軽く手をかざすと、異空間に収納していた角が出現する。異形の牛から切り落としたものだ。
「こちらです。どうぞご覧下さい」
両手で捧げ持つようにして差し出すと、邪神は一瞥して手に取った。注視したフルードが眉宇を曇らせる。
「僅かに神威の残り香を感じますが、この気配には覚えがありません。邪神様、アリステル、何か分かりますか?」
「この神威は私も知らない。悪神の力ではあるようだが……」
(やっぱり悪神の黒ではあるみたいね)
戸惑い気味に首を捻るレシス兄弟とアマーリエが、残る一名に視線を向ける。答えが分かるとすれば彼しかいない。
「…………」
三名の注視を浴びた末の邪神は、怒りとも苦笑とも困惑とも納得とも愉悦とも言えない、それはもう何とも微妙な顔で角を見ていた。
◆◆◆
『焔神様。この世界ができてから顕現した神々は、無意識の内に世界の枠組みに合わせて力を使うよう、自分を抑えているのです』
静寂が降りた太古神の神域に、主の声がポツポツと響く。向かい合ったままのフレイムは、大人しく耳を傾けていた。
『あなたのように、顕現して年月が浅い若神は特にそうだ。人間という生き物が生まれた後に顕現したため、自ずと地上を――人の世を壊さないように気を配り、力を絞り込んでおられる』
神の力は甚大だ。最下位かつ最弱の神ですら、その気になれば容易く世界の全てを消し飛ばせる。だが、普段は本来の力を抑えている。世界を尊重する意識が自然と身に付いているのだ。
『次元が、宇宙が、星々が、そして人の世が、己の顕現時から既に存在していた。ゆえに、それらと共に在ることが当然になっているからです』
『ええ、そうですね。俺もその自覚はありますよ』
フレイムは今まで、幾度も己の神威を抑えたり解放したりしてきた。だが、それらは全て、『世界を壊さないように本当の力の大半を抑えた状態』が基準だ。本当の意味での真価は、常にそのほとんどを抑え続けている。そのことは自身でも認識していた。ラミルファたち他の神も同じだろう。
頷くフレイムを眺め、狼神は溜め息を吐いた。
『しかし、古き神は違う。特に私たちのような最古参の神は、宇宙次元ができる以前から顕現していたのです。何一つ無いところで、何の気配りも遠慮もなく、己の持つ神威をのびのびと振るっていました』
その後に森羅万象の種を創生したのは、地水火風禍の最高神たちだ。より正確に言えば、原初の最高神――原地水火風禍の神々である。さらに後、その種から幾多もの次元や宇宙が生まれ、宇宙には無数の星が生まれ、星の何割かには生物が生まれ、生物の中の猿という種族の一部が人間に進化した。
『古株の神々は、俺らみたいな新参者とは、思考から価値基準から全部の意識が違うわけですか』
『すみませんなぁ、何しろ使い倒した古雑巾ですゆえ、頭が硬いのですよ』
太古の神々にとっては、宇宙次元を含めた世界の全ては、自分たちの庭に後から生えて来た有象無象の雑草でしかない。先にいた自分たちが、あえて力を抑えてやる道理も義務も必要性も無いと考える。それで世界が耐えられず押し潰されても気にも留めない。
『それでも、宇宙が生まれ星が生まれ生物や無生物が生まれ、と、森羅万象の変化を見続けていく内に、古の神々の一部もそれらに呼応し、後天的に神威をセーブするようになっていきました』
生物が生まれてからは、神々が坐す場所として天界という領域もできた。多くの神々が、世界の流れに応じて意識を変えていったのだという。
『かくいう私もその一柱です。後は、原初の最高神様方、煉神様、葬邪神様、運命神様、時空神様、雷神様……その他にも大勢が、自主的に世界に自らを合わせていきました。か弱い聖威師が誕生してからは、特にその傾向が強くなりましたな』
だが、一部の神々の中には変わらない者もいた。
『しかし、全員がそうではない。世界のために譲歩したり神威を抑えようという意識が薄いままの者も、一定数おりました。そういった神々は、とうの昔に現状に飽き、現在は入眠しております』
『例のめっちゃくちゃな神もそうなんですね』
彼の神の場合、飽いたのではなく葬邪神と諍いになって拗ねたというのが正確なところだが。
『ええ。あの暴れ神は力を抑えるなどとは欠片も考えず、顕現時と同様に力を振るい続けておりました』
そりゃあマズいですね、とフレイムは即答した。
『禍神様の御子神なら選ばれし神でしょう。しかも俺たちと同じだと聞きました。そんな神が手加減も容赦もなく神威を放ってたら、宇宙なんか何度消滅しても足りない』
『左様。それがために、葬邪神様によく叱られておりました。そしてついに大喧嘩とふて寝に発展したわけです』
『地上への気遣いとかは、本当に無かったんですか? ほんのこれっぽっちも?』
『ええ、微塵もありませんでしたな』
ありがとうございました。