13.夜の脅威
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「お姉ちゃんのお家、ひろ〜い! お姫様のお城みたい!」
魔物騒動を片付けて終業時刻を迎え、クラーラを自邸に連れて行くと、幼い声が歓声を上げた。広い庭園に喜び、内部の調度品や煌めくシャンデリアに目を丸くし、大勢の使用人に驚いている。
「きゃ〜、ベッドがふかふか!」
アマーリエの部屋から近い客室を用意すると、ベッドに転がってきゃっきゃとはしゃぐ。
(こんなに喜んでくれるなんて。サード邸での私の部屋を思い出しながら、なるべく簡素な内装に変更したのだけれど……)
クラーラには十分すぎるほど豪華に映ったようだ。落ちぶれたとはいえ、腐っても元貴族であったサード家は、ごく一般的な町民よりは上等な家具を揃えていたのかもしれない。
「夕食は一緒に食べましょう。先に入浴をしておいてくれる?」
「はぁい、お姉ちゃん」
クラーラが頰に人差し指を当ててキャピッと笑う。彼女に用意した夜着用のワンピースは、淡いクリーム色をしたシンプルなデザインだ。胸元にアクセントのリボンが付いている。素材はコットンを使っており、柔らかい肌触りだが、品質面ではシルクに劣る。
(食事は――私だけ豪華なものを食べることはできないわ。ポトフを作って、表面上は同じ献立にすれば良いわよね)
アマーリエはフレイム作の、クラーラはアマーリエか使用人作のポトフを食べれば良い。
(パンとポトフとサラダにしようかしら。孤児院の食事もそんな感じでしょうし)
アマーリエ自身、それよりずっと酷い食事内容で育って来たため、特段貧相だとは思わない。――聖威師の食事としては信じがたいほど質素だが。
生粋の貴族であるリーリアならば、品数が少なすぎると言うだろうか。いつだったか、フルードが具もバターもジャムも何もないシンプルな丸パンが一番好きだという話をした際は、目を丸くしていた。
『ポタージュやシチューを付けたりもなさいませんの? 生地にミルクやナッツなどを混ぜ込んでいるわけでもなく? ああ分かりましたわ、最高級の小麦をお使いですのね……ええっ、ごく普通に流通している小麦!?』と声を上げ、それでは味がないではないかと本気で驚いていた。
(……せっかく来てくれたのだから、ちょっとしたデザートも付けても良いかも)
形代の使用人に連れられ、ルンルンと部屋を出て行くクラーラ。ツーサイドアップにまとめた髪がふんわり揺れる。彼女が自分で結んだのだろうか。あるいは父ボガースが結ってやっていたのだろうか。
(こんな小さな子を残して、何をやっているのよ)
面識のないボガースに対し、アマーリエは密かに毒付いた。
◆◆◆
「ご馳走様、お腹いっぱ〜い!」
スプーンを下ろしたクラーラが、膨れた腹をさすった。広大な食堂に、カチャンと小さな音が響く。
宝石を埋め込んだシャンデリアが煌めく天井に、玉のごとく磨き抜かれた大理石の床、壁にかかった壮麗な絵画。長大なテーブルには染み一つないテーブルクロスがかかり、大きな花瓶に活けられたスノーボールが咲いている。
二人で使うには広すぎる食堂の隅に控える使用人たちは、もちろん全て形代だ。
「たくさん食べたわね」
アマーリエも静かにカトラリーを置き、ナプキンで口元を拭う。
「とーっても美味しかったわ。お姉ちゃんのお城の人たちはお料理が上手なのね」
「そうね……ふふ」
(結局私が自分で作ったのだけれど、言わなくて良いわよね)
フレイムの料理の素晴らしさにつま先から頭までどっぷり浸かり、数多の使用人に囲まれている現在でも、定期的に自炊はしている。フレイムがアマーリエの手料理を食べたがるためだ。曰く、『ユフィーの作る料理ほど美味いものは無い!』そうだ。満面の笑顔でそう言い切られれば悪い気はしない。
「デザートもあるのよ。ココアブラウニーは好き?」
「だーいすき。生クリームを付けて食べるのがお気に入りなの」
笑顔で頷いたクラーラが、不意に目を輝かせた。
「そうだ。ねえお姉ちゃん、あたしお庭に出てみたいわ! とっても広いお庭だったもの」
「良いわよ。けれど、もうお外は暗いから、今夜はテラスに近い所だけね。また明るい時に案内してあげるから」
「うん!」
「それなら、ブラウニーと紅茶はテラス席に運ばせるわね」
テラス付近であれば庭園灯が多く取り付けられてあり、夜でも安全だ。すぐに形代に指令を送る。
「紅茶に砂糖とミルクは入れる? レモンやオレンジもあるわよ」
「お砂糖たっぷりが良いわ。ミルクもいっぱい入れて」
クラーラが嬉しそうに笑う。風呂上がりに綺麗に梳られた金髪が揺れた。
「甘い物が好きなのね」
「だーいすき!」
(そういえば、パンにもジャムをたくさん塗っていたわね)
数種類あるジャムの中でも、ストロベリージャムがお気に入りのようだった。子どもらしくて良い。
「行きましょうか」
アマーリエは立ち上がり、テラスに向かった。広いテラスは食堂からも行ける。独特のリズムで鼻歌を歌うクラーラが、スキップでもしそうな勢いで後に続く。
「入浴した後だから、湯冷めしないようにね。周囲の温度を調節する霊具がテラスにも付いているから、少し高めに設定しておくようにするわ――」
言いながらテラスへの扉を開け、庭へ出る。
次の瞬間、呼吸が止まった。
目を血走らせ唾液を垂れ流す獣型の魔物が、庭園灯に照らされながらこちらを睥睨していた。
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