11.贅沢を覚えると後が辛い
お読みいただきありがとうございます。
大神官補佐室に戻ると、綺麗に整理整頓されたデスクや書類棚が目に入った。キャビネットの中もきちんと整えられている。
(やっぱりフレイムは几帳面だわ)
ワインレッドの髪と山吹色の双眸、そして『おぅ、お帰り!』と笑いかけてくれる声を無意識に探してしまい、急いで頭を振る。シンとした室内が妙に寂しかった。
「こっちのお部屋で待っていてね。夜勤の時に休憩するお部屋で、ベッドや最低限の家具もあるから」
(あっ、そうだわ。絵本があったはずよ)
児童施設や病院に寄付しようと思って買ったものだ。フレイムが見やすく分類してくれていたので、少し目を走らせただけで見付けることができた。
「良かったらこれを読んでいて。今日は疲れたでしょうから、お昼寝をしても良いわよ」
「分かったわ。ありがとう、お姉ちゃん」
絵本数冊を受け取ったクラーラが、素直に続き部屋へと入って行くのを横目に、念話を展開する。
《フルード様》
《どうしましたか?》
《実は――》
すぐに出てくれた大神官に、アマーリエは事情を説明した。
《……ということなのです。数日だけ、クラーラちゃんを私の邸に泊めても良いでしょうか?》
《それは構いませんが……》
一瞬だけ考え込むような間を開け、フルードは続けた。
《単に寝食を提供するくらいであれば、一般的な慈善活動なので許容範囲かと思います。ただ、その子にあまり深入りや肩入れはしすぎないように。神格を有する者は、必要以上に特定の人間に関与してはいけません》
フルードの場合、帝国にある数多の孤児院と児童全体への支援活動の一環として、一神官に可能な範囲での援助や、避難場所や物資の提供などを行なっているそうだ。
紅日皇后や黇死皇も、当真に強大な霊威が眠っており、自分たちが手出ししようがしまいが近く覚醒することを見越して、それを少し早める後押しをしただけだという。
《とはいえ、この辺りは見極めが難しく、どういう状況と条件下であれば何がどこまでどれだけ許されるのか、本当にケースバイケースなのです》
類似の状況でも、ほんの少し条件や環境が異なるだけで、許容範囲内に収まるものもあれば超過と見なされる場合もある。だが、それで天に文句を言うことはできない。
聖威師と天威師は、本来は地上にいる存在ではない。あくまで特例として、天の厚意と譲歩で滞留させていただいている立場だと、自覚しなくてはならない。それを弁えられず自分の意見を通そうとするなら、『文句があるならば還れ』と、さっくり強制昇天させられるだけだ。
《もしもの時は一発アウトになるのではなく、許容範囲を超えそうになった時点で天から警告が下されます。私も何度も食らっていますから、それを目安にすると良いでしょう》
それを聞いた瞬間、ミリエーナを悪神の生贄から逃れさせようと助言をした黇死皇が、途中で虹色の稲妻に打たれていた姿を思い出した。
《ただし、例え天の許容範囲に収まったとしても、高位の者が特定の誰かを厚遇すれば、贔屓や不平等に繋がります。そのことは留意して下さい。例えば邪神様の場合も、表向きは孤児院からの行儀見習いとしていますが、それも多くの対象孤児院の中から無作為に一人を選出したことにしています》
聖威師がはっきりと肩入れする孤児院や児童を、個別に作ってはいけないのだ。
《気を付けます。クラーラちゃんを受け入れてもらえるよう、孤児院と打ち合わせすることは大丈夫でしょうか?》
《それなら通常の神官や人間にもできることなので、天には許されると思います。ですが、一人に心を砕きすぎれば、自分や自分の子にも同じ対応をして欲しいと、別の孤児や親が後に続く可能性があります。そうなれば際限がありません》
孤児院と示し合わせて内密に行動しても、クラーラが何かの拍子に話したり、自慢したりして外に知られてしまうかもしれない。
《孤児院と折衝をすることは構いませんが、リーリアとも相談しながら、社会通念上における常識的な介入に留めるように。また、本来は神官の仕事ではないので、次回同じような事が起こっても対応できるとは限らないことも明言しておくのです》
神官は神や霊威に関連することに対して動く。子どもの保護や世話は主たる仕事ではない。
《判断が不安な際は、私やアシュトン様に確認して下さい。もしも天から警告を受けた場合は、それ以上動いてはなりません》
《分かりました。ええと、夕食にフレイムのポトフを出しても良いでしょうか?》
《……事前に焔神様の許可をいただいて下さい。神がお作りになられた料理を人間が食すわけですから》
《はい》
(こんなことでフレイムに連絡するのも申し訳ないけれど……)
色々と制約ばかりだが、当たり前だ。聖威師は国王より上位であり、天にも届く存在。身分も地位も超越した立場と位置付けられており、あまりに影響力がありすぎる。一挙一足一動に多くの制限が課せられるのは当然だ。
《ただし、仮に許可が出たとしても、焔神様の料理を出すのは慎重にした方が良いです》
《え、どうしてでしょうか?》
《美味しすぎるからです。クラーラはいずれ孤児院に行くのですから、一度贅沢を覚えれば、後が辛くなってしまいます。食事や衣服、部屋を含めた待遇は、最低限にした方が良いかと》
《あ……そうですね、気を付けます》
《人間には順応力がありますし、豊かな暮らしを経験することで感性が磨かれたり、あの時の環境に近付きたいと今後のモチベーションに繋がることもあります。ですから、一概には言えないのですが……夢の世界から中々現実に戻れない子もいるかもしれません》
確かに、フレイムの料理を食べてしまえば、孤児院での食事が物足りなくなってしまうだろう。下手にあの天上の味を覚えさせない方が良いかもしれない。部屋にしても、聖威師の邸にある最上級ベッドの寝心地を知れば、孤児院のベッドは硬く感じるかもしれない。
《マナーの練習も兼ねて、コースの食事などを出すのも一つの方法ですが、味付けや献立は分相応なものにするのが本人のためです。……それでは頼みましたよ。私も児童支援をしていますから、力になれそうなことがあれば連絡を下さい》
優しい言葉と共に、フルードとの通信は終わった。
(クラーラちゃんの夕食は私が作ろうかしら。形代に作らせても良いけれど。……まあ何にせよ、ひとまずは泊めることができそうで良かったわ)
そんなことをツラツラと考えていた時。
《大神官補佐、緊急連絡です! 帝都郊外スザール地区で魔物が出現しました!》
不穏な気配の訪れを宣告するように、脳裏で硬い声が響いた。
ありがとうございました。