7.属国神官との再会
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広く長い廊下を歩くと、すれ違う神官たちが一斉に道を開け、叩頭する。かつてのアマーリエであれば、正面から向き合うことすら覚束なかった高位の神官たちだ。神官府の総本山で繰り広げられるその光景に、聖威師となったばかりの頃は尻込みしていたが、現在はかなり順応できつつある。
「ご苦労様。皆、変わりはないかしら?」
「はい。お気遣いありがとうございます」
「お声かけいただき、光栄にございます」
最初は思い切り頭を下げながら敬語で話しかけてしまい、フルードにやんわりと注意されていたのも良い思い出だ。
『もうアマーリエの方が上位者なのですから、丁寧な言葉は必要ありません。会釈も不要です』
『わ、分かっているのですが、相手は貴族なのでつい……』
『神格を持つ者は人間にへりくだりません。あなたはもう、世界王である帝国と皇国の国王よりも上の存在となりました。皇帝様にも通ずる身位を持っているのです。そのことを自覚しなくてはいけませんよ』
『はは、いつまで経っても敬語癖が抜けずに苦労してたお前が、いっぱしにそう指導するようになったとはなぁ。月日の流れってのは偉大なもんだ』
『お、お兄……焔神様、それは内緒です!』
懐かしげに笑うフレイムの口をあわあわと塞いでいた大神官を思い出しつつ、府内を闊歩する。下階や地下まで一巡し、聖威師の目があることを言外にアピールする。
(庭園も見ておいた方がいいわよね)
だだっ広い庭をぐるりと回り、一般公開エリアにも足を伸ばす。神官府に入るには受付を通過する必要があるが、例外として一部区画は解放されているのだ。
紋入りの神官衣を纏うアマーリエの登場に、ちらほらといた一般人が歓声を上げる。神格を持つ聖威師は、皇帝たる天威師と同様に尊敬と崇拝、憧憬の対象だ。
(あまり長くいたら騒ぎが大きくなるわ。早めに切り上げましょう)
自然な笑みで人々の視線と拝礼を受け流し、別の場所に移動する。ここも一般公開エリアだが、この時間はやや日当たりが悪いため、人の気配はなかった。
「ふぅ」
小さく吐息を漏らすと、遠慮がちに声をかけられた。
「あの……」
「え?」
振り向くと、水色の神官衣を着込んだ老人が立っていた。
「あら、どちら様?」
(水色の法衣……属国の神官ね。全然気配に気が付かなかったわ)
内心で驚つつ、相手をざっと確認する。
外見は初老を超えたところか。シワが寄った目元から覗く瞳は淡い青。僅かな金を残して白く染まった頭髪は、ボリュームが寂しい。枯れ木のような腕には杖を携えている。リーリアの祖父たる老侯が持っていた神杖とは異なり、純粋に身体機能を補助するためのものだろう。
(どこかで見た覚えがあるわ。ええと、確か――)
記憶を辿っていると、老人が照れ臭そうに破顔した。笑うとシワの中に目が埋もれ、柔和な印象が強くなる。その顔を見てピンと来た。
(あっ、思い出したわ)
だが、相手が口を開く方が早かった。
「突然声をかけてしまい、申し訳ありません。あなた様をお見かけしまして。追いかけようとしたのですが、この足ですので……転移を使って来てしまいました」
霊威で脚力を増幅するか、一時的に脚を回復させることも考えたが、転移した方が早い上に楽だと思ったらしい。
(後を追って来たのではなく転移して来たから、気配を感じなかったのね)
加齢や老化により自ずと衰えていく身体機能は、霊威をもってしても減退を抑え切れない。強力な霊威を持つ高位神官であれば、若い時の体力を維持することも可能だ。しかし一般の神官であれば、せいぜい有事の際に衰えた分を増強あるいは回復させるくらいだ。
節くれだった手に持っている杖を見て納得しながら、アマーリエは友好的な笑みを向けた。
「照覧祭で挨拶に来て下さった方ね。エイリスト王国の神官、ワイマー・エクドルだったかしら。その節は長い時間並んでいただいてありがとう」
(確かあの長蛇の列にいた人だわ)
照覧祭では、聖威師たちと対面したい神官たちが軒並み列を連ねてやって来た。その中に、目の前の相手もいたはずだ。老人や子どもも列に加わっている光景を見て、長時間並んでもらうのが申し訳ないと思ったので、記憶に引っ掛かっていた。
「恐れ多くも大神官補佐様に覚えていただいておりましたとは、望外の喜びに存じます」
感極まった表情を浮かべた老人――ワイマーはつと姿勢を正すと、目を潤ませながら深々と頭を下げた。最敬礼に近い角度だ。
「大神官補佐様、お礼を申し上げるのはこちらの方でございます」
「顔を上げてちょうだい。脚がお悪いのにそんな体勢を取ってはいけません。――ええと、私はお礼を言われるようなことをしたかしら?」
「先だっての嵐をお鎮め下さったおかげで、私の家族や友人が命をお救いいただきました。ヤクス山脈が崩壊しかけ、まさに間一髪だったそうです」
「……まあ、そうでしたの」
アマーリエはほろ苦さを隠して頷いた。あなたのおかげで救われたという礼をしたためた手紙は、それこそ山のように届いている。国家や王家、神官府からの公式の礼状もだ。だがその陰で、間に合わず零れ落ちていった数多の命もある。
「私はただ、聖威師に許される範囲での支援を行っただけよ」
「そのおかげで多くの命が長らえ、無数の未来が繋がりました。私の大切な者たちも、その中に含まれております」
ワイマーが杖を置き、脚を踏みしめてアマーリエの両手を握りしめた。
「心より感謝申し上げます」
「一人でも多くの命を守ることができたなら、私も本望だわ」
アマーリエは相好を和らげた。ご老体が体勢を崩さないよう支える意味も込め、しっかりと力を入れて握り返す。
「ところで、今日はどうしてここへ? 中央本府にご用が?」
「いいえ、ちょうど私用で帝都に来る用事があったので、足を伸ばして中央本府に寄ったのです」
神官府の総本山は、全ての神官にとって憧れの聖地だ。帝都に来れば立ち寄る者も多い。
「少し内部を見学させていただきまして、帰りに庭園を散策しておりましたら、あなた様をお見かけしました」
「それで来てくれたのね」
「はい。こうして再び見えることができ、至福の極み。今日のことは生涯忘れませぬ。もうお一方の……神官長補佐様にも、どうかよろしくお伝えいただけますと幸いでございます」
「聖威師リーリアね。もちろん私から伝えておくわ。彼女もきっと喜ぶはずよ」
「ああ、ありがとうございます、ありがとうございます」
幾度も繰り返しながら、ワイマーはそっとアマーリエの手を外した。自らの霊威で、地面に置いた杖を浮かせて掌中に取り寄せ、目尻にシワを寄せて微笑した。
「今日はお会いできてようございました。また近い内にお会いしましょう」
次の瞬間、一陣のそよ風を置き土産に、老人の姿は消えていた。
ありがとうございました。