5.悪神の神器鎮静
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神器の断面から、漆黒の煙が噴出する。
「不幸の狼煙だ。蔓延すれば帝都は終わりだよ。聖威で対処するが良い」
「は、はい」
紅葉の輝きが神器を囲う結界を展開し、散じかけていた煙を中に吸い込んで短杖ごと閉じ込める。
(よし、このままいける……!?)
「鎮静化!」
いつものように力を放つが、神器は狂ったように煙を噴き上げ続けている。結界内に充満した黒い煙幕が、邪魔な囲いを押し破ろうと暴れている。
(鎮火しない! 葬邪神様の神器の時は上手くできたのに!)
だが、一の邪神の神器は黒ではなく赤黄色の神威を放っていた。悪神ではなく神の面を打ち出した、真っ当な神器だったからだ。あれは悪神の神器を鎮めた内には入らないのだろう。
「落ち着けアマーリエ。神器の鎮めだけでなく、災禍の鎮圧と浄化にも意識を割くのだよ」
「鎮静化と浄化を同時並行で行わないとダメだな。でないと鎮める端から再暴走するという凶事が起こって、鎮静化が進まねえ」
(何て厄介な神器なの!)
心の中で毒づきながら、改めて聖威を放とうとした瞬間、アマーリエの背に手が置かれた。
「もう少し出力を上げて、聖威の的を短杖に絞って。煙は拡散する余波で抑えれば良いんだよ」
「フロース様!」
泡の神がアマーリエの隣に現れ、冷静に指示を出している。ひんやりとした神威が背中越しに伝わり、スゥッと思考が冷えた。
「火元を叩けば煙は止まる。鎮めと浄化の対象はあくまで神器だ。広がった煙にまで気を配りすぎる必要はない」
「わ、分かりました」
聖威を込めた目ならば、黒い煙に覆われた結界の中が見通せる。結界内全体を注視していた意識を切り替え、標的を神器に絞ったアマーリエは、鎮静化と浄化の力を同時に練り上げた。
◆◆◆
「つ、疲れたわ……」
「お疲れさん。クッキー食えよ」
ゼィゼィと息を切らしながら呟くと、フレイムが労いの言葉をかけてくれた。
「そうするわ。いただきます」
一番甘そうなショコラ味を取り、口に放り込む。チラと視線を落とすと、どうにか鎮火と再起動を終えた短杖が、ちんまりとテーブルに転がっていた。未だ結界で囲っているのは、剥き出しで置いていればそれだけで災厄を引き寄せるからだ。
「まぁ上手くできたじゃないか。僕たちの助言あってのことだが、それは初めてなのだから当然だ。この神器は君に貸してあげよう。自主練などもしたいだろうし、まぁ好きに使うが良いよ」
「あ、ありがとうございます……」
疲れた笑みを浮かべたアマーリエは、パチンと指を鳴らした。神器を結界に包んだまま異空間に収納する。もちろん、他の物を収納してある空間とは分けた。悪神の神器は危険すぎる。
「この調子だとすぐにコツを掴めると思うぜ。悪神の神器の鎮静は厄介だが、要領さえ分かれば何とかなる。セインも一回勘所を押さえたら修得は早かったしな」
「ふふ、オーネリアから聞いた逸話がある。フルードが大神官になってすぐ、悪神の神器と通常の神の神器を複数相手取った時があったらしい。しかも神器の神威を浴びて大幅に強化兼凶暴化した魔物たちまでいたとか」
折り悪くヴェーゼは別件で不在だったそうでね、と補足し、邪神はヒョイと肩を竦めた。
「フルードはその場から一歩も動かないまま片手で魔物どもをフルボッコにし、全部の神器を片足で踏み付けながら、全て同時並行で鎮静化と正常化を行ったそうだ。文字通り瞬殺だったとか。いつもの笑顔だったから逆に怖かったそうだよ」
たまたま手が空いていたオーネリアも同行したが、全く出番はなかったという。
(じ、神器を土足で踏んで笑う……)
神官とは思えない所業である。
「あの臆病な子が、中々逞しく育ったじゃないか。本当は今でも昔と同じ怖がりだがね。内心ではとても多くを耐えているのだろう」
「だろうな。……にしても時々出るよな、ブラックセイン。マジでどこの神なんだ、色々吹き込んだのは」
フルードの逸話に愉快そうな顔を浮かべているラミルファと、若干タジタジとなっているフレイム。二神から目を逸らし、アマーリエは隣の泡神に向き直った。
「フロース様、教えていただいてありがとうございました」
「礼なんか要らない。あなたがどうしているかなぁと思って、少し様子を窺ってみたらちょうど練習中だったんだ。これからも私にできることがあったら力になるよ」
さらりと長髪を揺らしたフロースがにこやかにアマーリエの両手を取り、端整な容貌で覗き込んだ。絶世の美顔が間近に迫る。
(ち、近い……!)
失礼にならない程度にさりげなく仰け反ると、フレイムが素早く動いた。フロースとアマーリエの間に割り込む形で転移する。幸い、ソファは大きいので、三人が並んで座っても窮屈ではない。
「何してんだよ泡神様! 自分の愛し子はどうした!」
「アマーリエには私の宝玉か妹になってもらわないと」
「それまだ諦めてなかったのかよ……」
「まあ聞いてくれ。実は、最近レアナがよく眠れなくて困っていたのだけど、アマーリエがくれたポプリを使ったら良くなったんだ。本当にありがとう」
「ほー、そりゃ良かったじゃねえか」
「リーリア様のお役に立てたなら嬉しいです」
「レアナはアマーリエのことをとても慕っている。本当の姉のようだと言っているんだよ。その話をする時の彼女は本当に幸せそうで……心から笑ってくれる」
フレイムが険を和らげ、アマーリエも面映さを感じつつ表情を緩める。過酷な環境で修練と勉学に明け暮れて来たリーリアが、素のままに笑えるようになってくれたなら嬉しい。
「だからこそ、だよ。レアナのお姉さんなら、なおさら私の妹にしなくては」
ありがとうございました。