92.最古神たちの密談
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『あぁ〜、これは困った』
天界にある神々の共有領域。魅惑の調べが響く中、逞しい体躯を誇る美丈夫が頭を抱えていた。葬邪神である。
『神威が不規則に鳴動している。覚醒の前兆だ。以前より強くなっている――やっぱりアイツ起きるぞ』
『ルファ、未来を操作できそう?』
葬邪神の横に佇んで問いかけるのは、ローズレッドの髪とルビー色の双眸を持つ女神、煉神ブレイズ。火神の長子にしてフレイムの姉だ。
『……難しいね』
薄紫と深紫の神威を凝らせた竪琴を奏でる青年が、薄く瞳を開いて呟いた。その双眸は、神威と同じ二色の紫のオッドアイ。偶然と必然を自在に操り出す神、運命神ルファリオン。
白く細い指を滑るように踊らせ、一心に弦を弾く彼の前に立ちはだかるのは、輝く巨大な盤面。天界の床からそそり立ったその盤上に、無数の丸い駒が光り、絶え間なく動いている。紡ぎ出される演奏と、盤上を駆け巡る駒。両者から放たれる神威がせめぎ合い、互いにしのぎを削る。
『向こうにも俺と同じ神がいるから、俺の力を相殺しようとして来る。まだ起きたくないみたいだ。それに、眠れる神々の中には選ばれし神も複数いる。その力と強さは俺と互角。俺の神威でも手綱を取り切れないよ』
『そう……起きる日時をこちらが設定できればと思ったのだけど』
『同格の神が相手だと厳しいね。そもそも、奏でた未来の旋律が力ずくでかき消される可能性すらある。何しろあの神がいるから』
『ええ、問題はアレよ。困ったわね』
ブレイズが眉を顰めて一の邪神を見る。
『話はちゃんと通じる相手なのよ。でも、肝心の話し合いの席にいくまでが……。ねえアレク、いざとなったらまた抑えてくれるわよね?』
『どうだろうなぁ。そりゃ頑張るがなぁ』
『そんなに弱気にならないでちょうだい』
『前とは状況が違うぞ。暴れるアイツを俺が叱り飛ばして、大喧嘩の末にアイツがふて寝したのは一億年ほど前だ。その頃はまだ人間なんて生き物が誕生してなかった。俺も細かいことは気にせず、のびのびと神威を振るえたんだ』
一億年。人間からすれば途方も無い星霜だが、数千兆年以上を在る最古参の神々からすれば、ほんの少しうたた寝したくらいの感覚でしかない。
『だが、今は違う。聖威師なんてものがいるだろう。神格を抑えたあの子たちはあまりにひ弱だ。しかも、地上を守って下さいと懇願して来るぞ絶対。聖威師と下界を守りながらアイツの相手をするとなると……キツイなぁ〜』
『そもそもあの神は、ずっと寝ていたんだ。聖威師が何かも知らないだろう。よく分からないまま、何か変だけど神っぽいし大丈夫だろうと思って遊び始めるかもしれないよ』
いったん演奏を止めたルファリオンが溜め息を吐く。竪琴に張った弦の一本を軽く弾くと、二色の紫の光が鱗粉となって舞った。
『あの神の神威に、か弱い聖威師なんか耐えられない。そこが怖いんだ。皆それを心配してる』
『聖威師は死んだら神に戻るわ。でも、擬人化している状態で負った傷のうち、治るのは体の分だけ。心の損傷は治らない。精神を破壊された後で神に戻っても、廃神になるだけよ』
『ああぁぁぁ困ったなぁ〜〜』
ルファリオンとブレイズの宣告に、葬邪神がますます煩悶する。
『葬邪神アレクシード。あの神に真っ向から立ち向かえる数少ない存在が君だ。頼んだよ』
『何てことだ全く。アイかセラあたりに助太刀を頼むかな。ハルアは……動いてくれんだろうなぁ。ハルアがアイツにガツンと言ってくれるのが一番効くんだが』
『アレクの末弟君にも声をかけたらどうだい。ブレイズも、ほら、末の義弟君なら。あの子たちも、アレクたちと同じだろう』
『フレイムとラミルファね。でも、あの子たちは性格が温厚すぎるわ。表面上の戦力値自体はアレと互角でも、実際に対峙したら苛烈さに圧倒されてしまうわよ』
三神が一斉に渋面を作る。神の美貌も台無しだ。葬邪神はずっと眉間に皺を寄せている。
『そうなんだなぁ。アイとセラも同じだし……レイとリオを起こして……無理か、あの二柱も優しいからな〜。アイツの激しさに対抗できるのは、俺とハルアくらいか。困ったなぁ困ったなぁ』
『とにかく、あの神がどうにか話し合いのテーブルに着いてくれさえすれば万事解決なんだよ。話はできる神なんだから』
『そうだなぁ。俺もそう思う。だが、まず話し合おうと叫んでも、起き抜けの運動がてら遊びたがるぞ、絶対。その衝動に任せてこっちの声なんか聞き流すだろ。……あぁ〜どうするかな。地上全壊なんかじゃすまんぞ、世界消滅だ』
『そうは言うけど、アレク。私たちが顕現した頃なんて、最初の宇宙すらまだ無かったではないの。何も無かったあの頃に戻るだけと思えば良いのではなくて? 世界が消滅しても神々と天界は無くならないのだから、このまま皆で楽しく暮らせるわ』
『いや、そういうわけにはいかんだろさすがに。悪神より過激だな、お前は』
『ブレイズ、君って時々極端だよね……』
『あぁ〜もう……どうするかなぁ……』
うんうん唸る葬邪神。難しい顔で眉を寄せるブレイズとルファリオン。天界の片隅で、三神の苦慮はしばらく続いていた。
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