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91.痛みを抱いて眠る

お読みいただきありがとうございます。

 うっすらと口の端を上げ、フロースは軽く頭を下げる。


「いずれにしても、()()()()()()()()。この数日、焔神様と邪神様、パパさんには手数をかけてしまってすまなかった。私の役目は終わったし、レアナの所に戻るよ。パパさんをゆっくり休ませてあげてくれ」

「ああ。今度はデートの話を根掘り葉掘り聞きまくってあげよう」

「あんまりヘタレだと聖威師のぶっといマニュアルに黒歴史を書かれんぞ。気を付けろよ」


 彼らなりの言葉で背を押してくれる二神に頷き、泡の神はふっとかき消えた。


「随分と積極的になったな。引き篭もりだったのが嘘のようだ」

「ホントは自分で全部できる奴だったんだろ。今までは甘えてただけで」


 呆れた顔でフロースが去った方を見つめてから、フレイムは眼差しを和らげてフルードを見た。


「セイン、顔色が悪い。一眠りした方が良いぜ」


 元から兄馬鹿だった彼は、ガルーンの一件があってからさらに過保護さを増した。そう考えた瞬間、フルードの背筋にゾッと寒気が走り、脳裏にかつての主人の顔がよぎる。自分の絶対的支配者であった、恐怖と絶望の象徴。

 およそ20年余の年月を経て再会した彼は、アリステルが扮したフルードを見事に本人と間違えた。


『本当はフルードを大切に想っていた。上手く愛情表現ができなかっただけだ。例え成長しようとも、あの子のことは一目見れば分かる』と豪語していたにも関わらず。


 フルードが従者の変装を解くと、本物に気付かなかったことに対して見苦しい言い訳を並べ立て、それも通用しないと分かるとついには開き直った。そして、ドス黒い念を込めた目で(わら)った。


『フルード、お前は美しくなったなぁ。男でも女でも通じるその神秘の容貌……』


 そう呟く声は、例えようもない嫌悪感をもたらすほどに粘ついていた。


『知っているか。お前の父母はお前を娼館に貸し出す予定だった』


 知っていた。幼い頃から、両親には繰り返し言われていたのだ。『お前はもう少し大きくなったら娼館に行かせる。何もできない穀潰しは、せめて体を使って稼げ』と。当時は()()()()()の意味が分からず、工場かどこかで肉体労働をさせられるのだと思っていたが。


 だが、衝撃はここからだった。苦い思い出に浸る間も無く、ガルーンはおぞましい事実を告げた。


『その後は貸主の特権として、無料でお前を指名して自分たちの夜の相手をさせるつもりだったのだ。男女を問わぬどころか己の親すら籠絡するとは、何とも罪作りな容姿だ』


 その言葉に、頭を殴られたような心地になった。あの両親は、自分をそういう目で見ていたのか。フルードを半殺しどころか九殺しの目に遭わせ続けては治癒霊具で治していた、人の皮を被った悪魔たちは、その奥にドロリと醜悪な色欲までも秘めていた。


『だがお前は徴が出て神官になり、私に買われた。お前が12歳になったら私の(ねや)に呼び、可愛がってやるつもりだったさ』


 ギラついた眼で言われ、本気で目の前が真っ暗になった。ガルーンは、よろめくフルードに手を貸したアリステルにも目を走らせ、黄ばんだ歯を見せて喉を鳴らした。


『兄とやらも同じ容貌をしているな。本当にそっくりだ。いっそ兄弟でまぐわせてそれを眺めるのも――』


 醜く言い募る声が遠のき、体中の血が下がったような感覚が走った。同時に割り込んだフレイムとラミルファが空間を切り裂き、二神に支えられて大神官室に戻った。その後は貧血を起こして立っていられなくなり、仮眠室で癒しの眠りにつかされたのだ。


「…………」


 あの日のことを想起した瞬間、再び立ち眩みに襲われた。スゥッと冷たくなった体がふらつく。フレイムとラミルファが表情を変えた。


「フレイム、我が珠を治さねば。今すぐにだ」

「分かってる。取りあえずもう一度心の表層を癒すが、快くならなかったらもっと奥を治療する。魂に干渉する方法だから、気軽には使えねえけどな」


 フルードは素直に頷き、自ら兄の方に足を踏み出した。


「はい。お願いします」


 心も体もボロボロの自分は、もう天に還るべきなのだろう。それでも、限界が来るその時までは、大神官として抱えた務めを投げ出すことなく完遂したいのだ。本音を言えば、私的な面でもやり残していることが幾つかあるのだが――残念ながらそれらは果たせそうにない。


 寿命は既に尽き、一刻の猶予も無い今、痛む心を抱えて泣いている暇はない。

 聖威師として立ち続け、走り続け、進み続けなければならない。

 今際(いまわ)瞬間(とき)まで途切れずに。


「良い子だ」


 山吹色の双眸が、こちらを安心させるような色を帯びた。伸ばされた手が、フルードの瞼を閉じさせるようにしながら、額から目までを覆う。陽だまりのようにじんわりとした神威が流れ込んだ。


 ふわりと浮遊するような感覚と共に、心地良い眠気に包まれる。四肢から力が抜けると同時に、温かな腕が背に回され、ふかふかの地面に横たえられた。目隠しをされたままなので分からないが、おそらくソファベッドだ。


(お父さん、お母さん。あなたたちは本当に、僕のことを道具としか思っていなかったのですね。でも僕は……)


 ガルーンからおぞましい事実を聞かされてもなお、フルードは実の両親をまだ家族だと思っていた。自分の父母は誰かと聞かれれば、彼らの顔も思い浮かぶ。そこに怒りや憎しみはない。

 どこまでも親を責めず、ただ赦し続ける驚異の意思。明らかに異常だ。だが、常識の枠から大きくぶっ飛んでいるからこそ、高位神に見初められるという偉業を成し遂げた。


 通常であればとっくに心が壊れている環境に置かれても、どれだけ魂が傷付いても、フルードもアリステルも、自我と理性を保ち続けた。誰もが恐れ、忌避する悪神相手にも平然と笑ってみせた。

 そのような完全に異質な精神性だったがゆえに、太古の神の心すら鷲掴みにした。常識通りに壊れる普通の魂であれば、その他大勢に埋もれるだけ。高位の神の目に留まることなどなかっただろう。


「眠れ。寝てる間に済む」

「お休み。良い夢を見るのだよ」


 子守唄のような囁きと、心身を包む神威の揺りかごに抱かれ、遠のく意識。実の両親の顔が綺麗さっぱりかき消えた。微睡みの中で、ポツポツと声が聞こえる。


「ところで、()()()()()()()だが。僕の方で適当な奴を見繕っておこう。案じずとも、思考が柔軟で優しい奴を選ぶよ」

「……すまんな。助かる」

「大事な同胞のためだ。良いようにしてやろう。ああもちろん、アマーリエにとって良いように、だ」

「頼んだ」


 一体この二神は何を話しているのだろうか。夢現の中でぼんやり考えたところで、フルードの記憶はふつりと途絶えた。

ありがとうございました。

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